2024/11/19 00:01

国際紅白歌合戦 出場者 【ラテン歌手ジョージ・KURAMOCHI プロフィール】 日系三世(ペルー国籍)

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国際紅白歌合戦 出場者 

【ラテン歌手ジョージ・KURAMOCHI プロフィール】
日系三世(ペルー国籍)

ギタリストの兄の影響で、7歳より歌のレッスンを始める。
14歳迄、マリア・パロデ女史に声楽を学ぶ、その後ラテンバラードに転向し16歳の時に「 トランポリン アラファマ・フェスティバル 」に出演し、グランプリを獲得する。


18歳の時にアルゼンチンの歌姫「グラシュラ スサーナ」を日本に紹介したと言われる、日系人プロデューサー島袋氏に日本での活動を薦められ来日する。


テレビ東京「外国人歌謡大賞」にて日本語で「乾杯」を歌い優勝する。


続いて「日本ラテン協会・アムラン新人コンテスト」にて優勝しラテン協会メンバーとなる。
その後戸川昌子「青い部屋」、松原ルリ子シャンソニエ、渋谷ジャンジャン、クロコダイル等に定期的に出演する。        
同時にラテンポップバンド活動も開始し、ライブハウス「原宿ロサンゼルス」にてコンサートを開催する。
2002年ニューヨーク・ワシントンで、ギタリストとして活躍していた兄に招かれ、「ワシントンDCラテン・フェスティバル」に出演し好評を博す。 
この頃よりアメリカでの活動も多くなり、ニューヨークのクラブ「コパカパーナ」や「ラ・コパ」等に定期的に出演する。         
又、ニューヨークで行われた「スーパースター・フェスティバル」に参加しファイナルメンバーとしての出演を果たす。
この時、世界のテナーと言われている「プラシド ドミンゴ」と一緒のステージとなり、本人曰く「もう死んでも良いと思った・・・」程の思い出となる。
又、南米全土で30年間トップスターとして活躍している「ロサンゼルス ネグロス」に招かれ、ワールドツアーにソロシンガーとして参加し絶賛される。


日本に於いては、2005年・2007年・2011年と三回に渡りサッカー「キリンカップ日本対ペルー戦」にて国歌斉唱を努める。(三回の出演は稀である)
日本側歌手は尾崎紀世彦、石井竜也(米米クラブ)であった。


現在はイベント歌手としての活動も多く相撲界や野球界、政治家パーティー、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、企業パーティーや結婚式等でも活躍している


又、東北支援・チャリティーコンサートやイベント等の参加出演も多く、自らも南米や アジアの「恵まれない子供たち」の為のコンサート等の企画主催をしている。
「いつも全力投球」をポリシーとしている、熱いラテン・シンガーである。