中学からの恩師との別れ
天理教本部・神殿(奈良県天理市)
中学時代の恩師との別れ
人は何のために生きるのか?
人生で大事なことは何なのか?
海外への挑戦など、中学時代に大きな影響を受けた恩師の告別式を迎えて。
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恩師で天理教布教師の吉川利雄先生が91歳で出直された。
天理教では、死を迎えることを『出直す』という。
人間の体は神様からの『かりもの』で、古い着物から新しい着物に着替えて、人生を『出直す』。『肉体的な死』は終わりではなく、新しい自分を迎えるための準備期間ととらえる、肯定的な宗教感が自分は好きだ。
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恩師の吉川利雄氏は、元中学の英語教師だったが、ある天理教布教師との出会いから自分もその道を決意。
語学力を生かして、オーストラリア、台湾などでも布教活動を行っていた。
恩師の様々な国での体験談は、海外にあこがれを持っていた中学時代の私には、とても刺激的で、自分も早く海外に出て、いろんな体験をし、多くの人の人生に関われる仕事につきたいと思うようになった。
そして、その夢に近づくべく、天理高等学校(奈良県天理市)に入学。当時は全寮制の学校で、多感な時期に全国から集まる学生とテレビもなく、クラブや勉強に集中できる楽しい時間を過ごした。
卒業後は、留学ではなく、当時、出来たばかりの『ワーキングホリディ』の制度を利用して、オーストラリアに。
その後、イギリスに留学し、イタリアの農場生活や、韓国での『日本語教師』も体験した。
日本に戻ってからは、人の幸せに関わりたいと、海外挙式の仕事に就き、ハワイ、オーストラリアにも出かけるようになった。
そして、結婚し2児の親になり、長男が就職するほど、年月も流れた。
苦しい時代もあったが、『人の役に立つ自分』になりたいという気持ちは一貫していた。
2013年、国際紅白歌合戦というイベントを初めて関西で開催した時も、一番喜んで、協力してくれたのも、恩師の吉川利雄先生だった。母校・天理高校の校長に、私のボランテイア活動をとっても嬉しそうに話してくれ、協力を頼んでくださった。
恩師の吉川利雄氏は、日本でも、行先に困っていたアジアの人たちの親代わりとしての活動も長年続け、その熱心さは、中国語の新聞などでも特集されるほどだった。
しかし、吉川先生に、いわゆる宗教としての道や教えを説かれた経験はあまりない。
全てを自らの行動で示す姿勢に勝る教育はないと思う。
現在の私は、縁あって、大きな問題意識を持って、医療や福祉の関連の仕事もするようになったが、吉川利雄先生から受け継いだ、『行動で示す姿勢』を自分も次の世代に伝えていきたいと思う。
(グローバルコミュニティー 主宰・編集長 宮崎計実)