母の日と1970年大阪万博
母の日
『お母さんを大切にするんだよ!!』17年前に、70歳で亡くなった父の口癖だった。
母は、奈良県法隆寺の農家で生まれ、大阪の繊維会社に就職。のち父と結婚し、婦人服卸売の会社を起業。
創業50年を迎えその会社は解散。その後、大きな病気もせず、昨年から、週に2度のデイケアセンターでの他のシニアの人たちとの交流を楽しんで、今年で88歳になった。
母は、当時珍しいワーキングマザーとして、フルタイムで働きながら、2人の子供を育てた。それのみならず、
教育熱心な祖父の影響でPTAの活動にも長年取り組んだ。
当時は、日教組の影響で、偏った思想を持った教師もいたので、それを何とかしようと他の学校のPTA会長と協力し、『教育を守る会』を組織。
『教師は聖職であるべき』とPTAの立場で教育現場の改革を訴え、地元の有力政治家の応援にも呼ばれるほどであった。
母の口癖は、『自分の家族だけでなく広く社会に役立つ人間になるように!!』
子供からすると、当時は普通のお母さんがいいなと思ったこともあった。
しかし、考えてみると、私も留学生の支援の活動をしたり、国際交流のイベントを長年、運営したりしているのも、母の影響が大きいのだと思う。
20年住んだ東京を離れ、去年の8月に地元の関西に戻ってきた。今では、週に1度、実家に寝泊りをして、母との時間を大切に過ごしている。
1970年大阪万博
2025年に大阪で再度万博が開かれるが、1970年の万博当時のことを母が懐かしんで話すことがあった。
当時は、外国の文化に触れる機会も限定されていたので、7歳であった私は、外国人のコンパニオンにサインをねだったり、一緒に写真を撮ってもらったりと大興奮だったようだ。
『珍しもの好き』の典型的大阪人の亡き父も、私を連れて、何度も会場に通ったと母は話していた。
子供心に、『太陽の塔』の不思議な存在感は今でも印象に残っている。
こちらが、その当時の様子 https://www.expo70-park.jp/cause/expo/#caption0
今では、長蛇の列を作ったパビリオンもすべて、撤去されて、残っているのは、太陽の塔だけだが、
現在は、太陽の塔の中も見学ができるようになっている。
太陽の塔の公式サイト 太陽の塔の4つの顔とは?