カポエイラの起源 禁止された格闘技から国民的文化へ

(19歳で受けたテレビの取材)
ポルトガル語のスピーチコンテストで、カポエイラのデモンストレーションを見せてくれた、松江・ガブリエリ・河音さんにZOOMでお話をお聞きしました。
彼女は、今は大学を卒業し、カポエイラのマスターになるためのトレーニングを受けながら、カポエイラの教室で教えることもしている。今はカポレイラの技だけでなく、カポレイアで使われる楽器の演奏にも力を入れています。
また、マスターになるためには、心を癒すこと、人生のへのアドバイス、自己表現の仕方を含めフィロソフィーを体現することも求められるということでした。そして、カポエイラを通じて、新しい家族の一員のように暖かく迎えることも、カポエイラを学ぶグループの特徴だと話してくれました。
技もそうですが、華麗で美しいものカポレイアの特徴です。元々は、アフリカの奴隷が、格闘技をしていることを、欺くために、ダンスや音楽の要素を取り入れたことがその要因になっていて、『舞踊格闘技』ともいえます。
カポレイアの魅力に取りつかれたガブリエリさんは、どんどん、上達して、テレビ、新聞でもその活躍が取り上げられたようです。また、海外のグループとの交流や、パラリンピックの聖火ランナーの経験など、彼女には、カポレイアはなくてはならないものになっているということでした。
これからも、カポレイアのマスターとして、華麗なカポレイアの使い手として、また、カポレイアの魅力の伝道師として、マスコミなどでも、活躍されることを願っています。
禁止された格闘技から国民的文化へ
ブラジルの街角で、円陣を組んで歌と楽器の音に合わせて踊るように戦う人々の姿。これが世界的に有名になったカポエイラだ。しかし、この独特な文化形態が今日のような人気を得るまでには、長い歴史と数々の変遷があった。
奴隷制の遺産から国民的誇りへ
カポエイラの起源は16世紀、アフリカから連れてこられた奴隷たちにさかのぼる。当初は自由を求める闘争の手段だったこの技芸は、19世紀末には犯罪者の技として禁止されるまでに至った。
しかし、20世紀に入ると状況が一変する。1932年、サルヴァドールで初のカポエイラスクールが開校。1940年代には合法化され、1953年にはついに大統領の前でデモンストレーションが行われるまでになった。
「カポエイラの合法化は、単なる法律の変更以上の意味がありました」と語るのは、リオデジャネイロ大学の文化人類学者、マリア・ヘレナ・サントス氏だ。「それは、かつて抑圧されていた文化が、国民的誇りへと変貌を遂げる瞬間だったのです」
多面的な魅力が人気の秘訣
カポエイラが広く受け入れられた背景には、その多面的な魅力がある。格闘技としての側面だけでなく、音楽、ダンス、アクロバットの要素を含む総合的な芸術形態として評価されるようになったのだ。
サンパウロのカポエイラ教室で指導するジョアン・シルバ氏は次のように説明する。「カポエイラは体を鍛えるだけでなく、音楽性や創造性も育みます。老若男女問わず楽しめるのが、人気の理由の一つでしょう」
社会変革の担い手としても
近年では、カポエイラは単なる娯楽や伝統文化以上の役割も果たしている。貧困地域の青少年支援や、人種差別撲滅運動などの社会活動にも活用されているのだ。
「カポエイラは、かつての抑圧の歴史を乗り越え、今や社会変革の力となっています」と、リオのNGO「カポエイラ・パラ・トドス」代表のカルロス・フェレイラ氏は語る。「それこそが、現代ブラジルにおけるカポエイラの真の姿なのです」
奴隷制の遺産から国民的文化へ、さらには社会変革の担い手へと進化を遂げたカポエイラ。その歴史は、ブラジルという国の変遷そのものを映し出しているといえるだろう。