2024/12/23 02:58

「みんな、山元学校においで!」

イベント
とびっきりの人生の達人に会って、
きらきら輝く目をした日本人になろう。
Profile
山元雅信氏
Masanobu Yamamoto


日立造船(株)時代、赴任先の北欧でマーケットシェア85%を達成させ、神話を作り上げる。また、インドでもマーケットシェア85%を達成。入社から18年後カーナーズエクスポジション・ジャパン(株)にヘッドハントされ、アジア最大の国際産業見本市(眼鏡・宝飾・文具/事務機器・航空/宇宙・ブック・電子出版・粉体・ビュウティ/エステ/コスメティック・超伝導・CAI/教育)を立ち上げ、成功に導く。その後、セガにヘッドハントされ、サードパーティ売上げ10倍、北米売上げ倍増を達成、マーケットシェア63%など数々の記録を打ち立てる。現在は、国際ビジネスコンサルタントとして、多数の企業のアドバイザーをつとめ、各種新規事業に取り組む。かたわら国内外や大学で、年間100回をこえる講演活動と就筆活動を精力的に展開。
◆山元学校ってどんな場所?

毎月18日に開かれる、世代間の交流と勉強の場です。大変意欲的な人たちが集まり、強力なエネルギーが渦巻き、活気溢れています。異業種交流会とも言えますが、ちょっと違います。山元学校には、大学生の各種団体サークル実行委員のメンバーが大勢集まるほか、国会議員、官僚、財界人、若き起業家、作家、アーティスト、公認会計士、弁理士、弁護士、建築家、大学教授、スポーツマンなど、さまざまな分野のすごい人たちが毎回集まります。若い人もシニアーも、男性も、女性も、素晴らしい人たちが、次々に登場してそれぞれの世界のことを直接熱く語ってくれますので、大変勉強になります。めったに聴けない話、凄いお話、とにかく色々です。これまでもスピーカーと学生さんや起業家との間で、多くのコラボレーションが生まれ、数々の新しい会社や団体も生まれました。さらに、毎回、顔ぶれが違いますから、いつ来ても新鮮で驚きの連続。各国の大使も毎回参加しているのも、山元学校の特徴です。山元学校は大使を呼ぶことができる程、レベルの高い学校です。回を重ねることにレベルアップして、熱気溢れ(過ぎ?)る会となっています。現在は、日本の縮図や日本の今日を知る場として高い評価を得ています。


◆山元学校の目的は何?

僕、そして山元学校は、これといった思想や宗教は持ち合わせていませんので、特に目的というものはありません。むしろ、目的を持たないことが目的。
強いて言えば、「きらきら輝く目をした日本人になろう!」が、唯一の目的です。野田一夫さんによれば、日本人の目がもっとも輝いていたのは「大阪万博1970年」の頃。私もどんどん成長する日本を誇りに思い、胸を張って外国からのお客さんを案内していました。しかし、僕がビジネスマンとして世界を渡り歩いた後に帰国してみると日本人の目に元気がなくなっていました。これではマズイ…!して僕は日本を元気にしようと誓ったのです。
元気一杯の、「きらきら輝く目をした日本人」を増やしていきたいです。


◆参加すると何が変わる?

びっくりするような「とびっきりの人生の達人」に会い、山元学校全体の熱気を浴び、疲れやもやもやがふっ飛びます。そして、不思議な勇気とやる気が沸いてきます。「よし、自分もやってやろう!」と不思議なエネルギーが湧いてきます。男の人、女の人を見る目が変わって、今自分がいる世界が狭く感じ、広い世界に雄飛したくなります。そして、みな自分なりの実験をしている人たちばかりなので、自分も自分を主人公にして神話作りをしたくなり、居てもたってもいられなくなります。そして2次会に積極的に参加して、今日の出会いに感謝!かんぱ~い!となります。そこから、新しい人間関係が産まれます。
山元学校でたくさんの素晴らしい人の話を聞くことも有意義ですが、2次会に参加して、フレンドリーに人々と交流すると、その日の出会いがより一層貴重なものになると思います。

山元学校の概要

開催日:毎月18日開催(土・日・祝日の場合は前後にずれます。)
開催時間:PM 17:30(開場) 17:45(開始) ~21:00 2次会 PM 22:00~
開催場所:ツカサ五反田本社ビル5F
     JR山手線・東急池上線・都営地下鉄浅草線五反田駅より徒歩5分
     東京都品川区東五反田5-22-37 http://www.222.co.jp
学費:大学・高校生:1,000円・講師/一般:3,000 円
     海外からの留学生:特別無料ご招待
     ※出席者から頂いた学費を毎回学生団体やNPO法人に寄付させて頂いています。
ホームページ:http://www.yamamoto-gakko.com/index.php
お問い合わせ先:info@yamamoto-gakko.com

多文化共生時代の住宅事情

英会話教師の住宅事情
今も昔も住まいが最高の教室
イギリスから帰国した翌年の1978年に、山の手線目白駅と池袋駅のちょうど真ん中あたり、古びたビルの2階で「パットニー・ランゲージ・リンク」という語学教室を私は仲間と始めた。名前が悪かったのか、それとも経営者として未熟だったなのか、2年もしないでその教室は〝パット〟散ってしまった。その時、英語を担当してくれた先生でクリスさんというブロンズヘアーのイギリス人女性がいた。彼女はモデルが本業であったが、時間の合間を縫って手伝ってくれていた。彼女はすでに日本で1年近く生活していて、その時は目白駅から5~7分ほどの住宅地にあった古い1軒屋の1室(4.5畳)を間借りしていた。トイレも風呂も台所も共同、その割に家賃は高く、話を聞いた私は思わず「その家賃だったら普通の風呂付アパートが借りられるよ。なぜ引っ越さないの?」と聞いてみた。彼女は首を左右に大きく振り「N0!だって、日本はアパートを借りるのが大変でしょう。保証人とか、礼金とかあって」「それに、私は日本語が話せないから1人で不動産屋に行けないわ。友達にお願いするのもいやだし」「その点ここは家賃だけでいいの。なんといっても英語が話せるのがいいかしら」と。彼女にとっては4.5畳という部屋の狭さも、設備が共同であることも問題では無かった。問題は言葉が通じないことや、部屋を借りるにあたっての煩雑さの方だった。英会話教師が皆、クリスさんのような住居に住んでいたわけではない(今のようなゲストハウスは人と現在の200万人とほとんど無かった)。当時の在日外国人の数は76万比べはるかに少なく、しかも永住者を除けば新規入国者は20万人程度だったのではないだろうか。そのため外国人英会話教師は不足しており、給料は日本人より高めだった。求めるアパートの程度も日本人より上だったような気がする。最近の彼らの住宅事情に変化はあるのだろうか。外国人教師の中には、27年前のクリスさんのように、目的や期間に応じて簡単に借りる住居形態(ゲストハウスなど)を選ぶ人や、初心者英語教師の中には日本人に馴れるため、日本人入居者と交流ができる住居形態を探す人などもあらわれだした。外国人が増えることで、住まい方にも色いろと多様性がでてきたのかもしれない。

(文)荻野政男氏
株式会社イチイ社長
財団法人日本賃貸管理協会
国際交流委員会委員長

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