私塾が日本を救う!!
人のために流す涙は自分に勇気を与える
出会いは人生を加速する
「努力は苦し、されどその実は甘し」(野口英世博士)
Patience is bitter but its fruit is sweet
(Dr. Hideo Noguchi)
社会変革の時代を迎え、加速度的にパワーアップする平成の松下村塾、山元学校。77歳になった今も走り続ける山元雅信氏にインタビューしました。
山元学校を始められた動機は何ですか?
海外から帰ってきたときに、無気力、無感動の精彩のない日本人が多くなっていたのに気づいて、何かしなければと考えていた矢先、瀬島龍三さん(昭和の参謀と言われた元伊藤忠会長)の「幾山河」の出版記念パーティで「自分の会社だけでなく日本人や日本の国づくりも心配りして欲しい」と直接言われました。そして、「私塾が日本を救う」という本も3度読んで、やってやるぞという気持ちも固まっていたちょうどその頃、学生たちから講演依頼などがあり、またその反響もあったので、月に一回、講演を聴いた学生たちとの「再会の場」として山元学校が始まりました。初めは体験談を話していましたが、だんだん賛同者が応援に駆けつけてくれ、たくさんの素晴らしい人が次々に話をする、現在の形に自然となっていきました。現在私は進行役に徹しています。
学生時代どんな学生でしたか?
優秀な兄たちと自分を比べて、とても劣等感が強く自分に自信を持てない人間でした。
大学2年までは、英語や海外インターンのサークルでも活動をしていましたが、今の妻に会いそれもやめて、いつも彼女といっしょにいましたね。彼女なしでは生きていけないような運命的な出会いを感じたので、卒業後すぐに結婚しました。
どのように自分を変えていったのですか?
卒業後もなんとなく仕事をしていたのですが、31歳の時にノルウェーに赴任することになりました。英語にも仕事にも自信がない私が送られたのは会社としての受注実績もない国で、左遷のようなものでした。
その私が変わったのは雑誌のある記事がきっかけです。ある日、知り合いから日立造船の記事が当時の朝日ジャーナルに載っていると聞き、その記事を読みました。造船の仕事が減り、工場の社員の家庭が次々に崩壊しているという記事でした。自分の仲間が大変な状況にあることを知り、号泣して3時間ぐらい涙が止まりませんでした。
そして私は決心しました。うまくいかない理由を他人のせいにしていた自分を改め、
日本にいる仲間のためにも頑張ろうと。
しかし、周りは実績のある企業ばかり。私は受注するために必要な情報は、何でも集めるようと走り回りました。船主(船を発注する人)が必要な荷主(船に積む荷物を発注する人)の情報収集や金融機関の条件まで、自分のところに情報が集まってくるような仕組みも作りました。一時は業界紙の情報の出所の7割近くが自分だったこともあります。会社に頼ることが出来なかった私は、自分独自の情報ネットワークを作り、最後には市場の85%までを独占することが出来るようになったのです。
講演などでどんなことを日本人学生や留学生に伝えていますか?
どんな状況でも自分を諦めないこと。特に今まで挫折を知らずに人生を歩んで来た人たちは逆境に弱いところがあります。人生、勝負は、20代でも30代でもありません。
40代、50代でもそれで人生が終わるわけではありません。私は現在65歳ですが、まだまだ新しいことに果敢に挑戦しています。
山元学校には、目を輝かせて、世の中のために役に立つことをやってやるぞと
訴える人が大勢集まります。そこで、いろいろな人との出会いがあります。
年齢も中学生から、80歳前後のシニアの方までと幅広く、毎回各国大使のスピーチがあり、参加者も国会議員、企業経営者、歌手、ダンサー、芸術家、公務員、医師、エンジニア、メディア関係者など様々です。学生さんも大勢集まっていて、年代を超えた交流が本音で出来る雰囲気がありますのでぜひ一度参加してください。
外国人の人たちも増えてきましたがこれから日本はどうなって行くと思いますか?
いろいろな文化を持つ人たちと一緒に暮らしていくことは大変重要なことです。近い将来、日本もアメリカやフランスのように移民大国になっていくのは間違いないでしょうね。国際結婚という概念もなくなるかも知れません。お互い交わりあってみんなオバマさんのような顔になっているかもしれませんね。
先生の一番好きなことばは何ですか?
『出会いは人生を加速する』ですね。人はいろいろな人と出会い、学びあって成長していくものだと思います。ひとつの出会いが人生を大きく変えていくこともあります。
山元学校でも今まで本当の多くに人たちの運命的な出会いに遭遇してきました。
最後に、これから就職活動をスタートする学生たちにアドバイスをお願いします。
面接官は将来伸びる人を採用しようと思っていると思います。
どういう人が伸びていくと思いますか?考えてみてください。
伸びる人は、素直で、明るく、愚直な人です。素直な人は、どんどん知識や意見を取り入れていきます。明るい人には情報が集まります。愚直な人は単純なことでもやり続けられます。また、時代はIQからEQになり今はHPの時代になったと思います。HPとはHorse Power すなわち馬力です。大きく世の中が変わっていく時代は、頭のよさというより、人からものを吸収し、加速度的に成長する力が必要です。それがまさに『出会いは人生を加速する』ということですね。
Patience is bitter but its fruit is sweet
(Dr. Hideo Noguchi)
社会変革の時代を迎え、加速度的にパワーアップする平成の松下村塾、山元学校。77歳になった今も走り続ける山元雅信氏にインタビューしました。
山元学校を始められた動機は何ですか?
海外から帰ってきたときに、無気力、無感動の精彩のない日本人が多くなっていたのに気づいて、何かしなければと考えていた矢先、瀬島龍三さん(昭和の参謀と言われた元伊藤忠会長)の「幾山河」の出版記念パーティで「自分の会社だけでなく日本人や日本の国づくりも心配りして欲しい」と直接言われました。そして、「私塾が日本を救う」という本も3度読んで、やってやるぞという気持ちも固まっていたちょうどその頃、学生たちから講演依頼などがあり、またその反響もあったので、月に一回、講演を聴いた学生たちとの「再会の場」として山元学校が始まりました。初めは体験談を話していましたが、だんだん賛同者が応援に駆けつけてくれ、たくさんの素晴らしい人が次々に話をする、現在の形に自然となっていきました。現在私は進行役に徹しています。
学生時代どんな学生でしたか?
優秀な兄たちと自分を比べて、とても劣等感が強く自分に自信を持てない人間でした。
大学2年までは、英語や海外インターンのサークルでも活動をしていましたが、今の妻に会いそれもやめて、いつも彼女といっしょにいましたね。彼女なしでは生きていけないような運命的な出会いを感じたので、卒業後すぐに結婚しました。
どのように自分を変えていったのですか?
卒業後もなんとなく仕事をしていたのですが、31歳の時にノルウェーに赴任することになりました。英語にも仕事にも自信がない私が送られたのは会社としての受注実績もない国で、左遷のようなものでした。
その私が変わったのは雑誌のある記事がきっかけです。ある日、知り合いから日立造船の記事が当時の朝日ジャーナルに載っていると聞き、その記事を読みました。造船の仕事が減り、工場の社員の家庭が次々に崩壊しているという記事でした。自分の仲間が大変な状況にあることを知り、号泣して3時間ぐらい涙が止まりませんでした。
そして私は決心しました。うまくいかない理由を他人のせいにしていた自分を改め、
日本にいる仲間のためにも頑張ろうと。
しかし、周りは実績のある企業ばかり。私は受注するために必要な情報は、何でも集めるようと走り回りました。船主(船を発注する人)が必要な荷主(船に積む荷物を発注する人)の情報収集や金融機関の条件まで、自分のところに情報が集まってくるような仕組みも作りました。一時は業界紙の情報の出所の7割近くが自分だったこともあります。会社に頼ることが出来なかった私は、自分独自の情報ネットワークを作り、最後には市場の85%までを独占することが出来るようになったのです。
講演などでどんなことを日本人学生や留学生に伝えていますか?
どんな状況でも自分を諦めないこと。特に今まで挫折を知らずに人生を歩んで来た人たちは逆境に弱いところがあります。人生、勝負は、20代でも30代でもありません。
40代、50代でもそれで人生が終わるわけではありません。私は現在65歳ですが、まだまだ新しいことに果敢に挑戦しています。
山元学校には、目を輝かせて、世の中のために役に立つことをやってやるぞと
訴える人が大勢集まります。そこで、いろいろな人との出会いがあります。
年齢も中学生から、80歳前後のシニアの方までと幅広く、毎回各国大使のスピーチがあり、参加者も国会議員、企業経営者、歌手、ダンサー、芸術家、公務員、医師、エンジニア、メディア関係者など様々です。学生さんも大勢集まっていて、年代を超えた交流が本音で出来る雰囲気がありますのでぜひ一度参加してください。
外国人の人たちも増えてきましたがこれから日本はどうなって行くと思いますか?
いろいろな文化を持つ人たちと一緒に暮らしていくことは大変重要なことです。近い将来、日本もアメリカやフランスのように移民大国になっていくのは間違いないでしょうね。国際結婚という概念もなくなるかも知れません。お互い交わりあってみんなオバマさんのような顔になっているかもしれませんね。
先生の一番好きなことばは何ですか?
『出会いは人生を加速する』ですね。人はいろいろな人と出会い、学びあって成長していくものだと思います。ひとつの出会いが人生を大きく変えていくこともあります。
山元学校でも今まで本当の多くに人たちの運命的な出会いに遭遇してきました。
最後に、これから就職活動をスタートする学生たちにアドバイスをお願いします。
面接官は将来伸びる人を採用しようと思っていると思います。
どういう人が伸びていくと思いますか?考えてみてください。
伸びる人は、素直で、明るく、愚直な人です。素直な人は、どんどん知識や意見を取り入れていきます。明るい人には情報が集まります。愚直な人は単純なことでもやり続けられます。また、時代はIQからEQになり今はHPの時代になったと思います。HPとはHorse Power すなわち馬力です。大きく世の中が変わっていく時代は、頭のよさというより、人からものを吸収し、加速度的に成長する力が必要です。それがまさに『出会いは人生を加速する』ということですね。
山元学校塾長:山元雅信氏プロフィール:
日立造船(株)時代、赴任先の北欧でマーケットシェア85%を達成させ、神話を作り上げる。入社18 年後カーナーズ・エクスポジション・ジャパン(株)にヘッドハントされ、アジア最大の国際産業見本市を立ち上げ、成功に導く。その後、セガにヘッドハントされ、サードパーティ売上げ10倍、北米売上げ倍増を達成、マーケットシェア63%など数々の記録を打ち立てる。現在は、「Break Through Consultant」という新しい国際ビジネスコンサルタントとして多数の企業のアドバイザーをつとめ、各種新規事業に取り組む。年間100回をこえる講演活動と就筆活動を精力的に展開。二国間の学生会議を30以上の大学生たちと設立。2008年4月より各国大使のインタビュー記事を載せた、産・官・学を結ぶ環境新聞「BLUE EARTH」を発行。毎月18日開催の山元学校は今年100回目を迎えた。 http://yamamotogakko.jp/
今回の取材で、私は多くの事を教えていただきました。その中で、印象に残っている言葉が『出会いは人生を加速する!』です。人と出会う事は、その人間の人生と交じわる事で、自分の人生の幅が広がるという意味でした。まさに、多くの苦労と出会いをなさった山元先生らしい名言だと思います。
私も、オリンピックボランティアをキッカケに多くの人々と出会い、たくさんの影響を受けて来ました。この言葉で、自分が感じていた事が確信に変わりました。
最後に、山元先生と出会えた事を感謝し、山元学校で多くの事を学び、多くの人々に出会って、自分を磨きたいです。(大東文化大学 環境創造学科 3年 新井 誠)
学生たちより山元先生へのお祝いの言葉
山元学校が100回目を迎えたとのこと、心よりお慶び申し上げます。
山元先生とはアイセックという学生団体の活動の中で知り合う機会があり、以来何かにつけてお世話になっております。初めてお会いした際に議論が弾み、昼に来訪したのが夜半過ぎまで滞在することになったのを昨日のことのように覚えています。山元先生を見ているとその行動力、フレッシュさに圧倒させられる一方で、次世代を担う人間の一人として
自分も負けていらない、という気持ちになり、その存在が非常に励みとなっています。
山元学校は、そんな山本先生の持つ魅力に惹かれた人たちがつながり、新たなアクションを起こす場として、非常に大きな意味を持っていると確信しています。山元学校の元に集まった人達が地域・世代・国境を超えて、社会に対し『これはすごい!』と言わせるような素晴らしいものを生み出していく、いつまでもその様な素晴らしい空間であり続けることを願っています。(東京大学法学部 嶋田庸一)
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山元先生との出会いは2年前、今までお会いした方の中でも群を抜く先生のバイタリティに、LEAFメンバー一同圧倒されておりました。
その後先生にはLEAF日本実行委員会の顧問の就任して頂き、どれだけお世話になったことか。先生の豊富な人脈を数多くご紹介頂き、いつも本当に感謝しております。
そして、迎えた山元学校100回記念。LEAFメンバー一同より花束を送らせて頂きましたが、いつも通り活発な先生には花束がかすんでしますほどのオーラがありました。
今後もお身体にはお気をつけ下さいませ。200回、300回といわず、いつもの先生らしく1,000回くらいを目指して頂ければと思います。
20年後にも同じ姿で僕達の前に立っていることが容易に想像できますね。いや、実は30年後でしょうか(笑)
最後になりましたが、改めて山元学校100回記念おめでおうございます。今後とも末永くLEAF日本実行委員会をよろしくお願い致します。
《LEAF(東アジア国際学生フォーラム) 日本実行委員会一同》
日本・海外で活躍する国際人の紹介です。
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