2024/12/20 03:30

移民国家 オーストラリアからのレポート NO.2

国際人
オーストラリア・日本の大学 多文化・多民族社会への教訓
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大学とは、多文化・多民族という概念において、一般社会を反映しているミクロコスモスである。オーストラリアと日本の両国では、年々留学生の人口が増加すると共に、両政府も積極的に彼らを受け入れようとしている。今回、両国の大学での留学生に関する現状と一般社会との関係を、様々な点から考えてみたい。

最初に両国での留学生の現状を様々な側面から見てみよう。まず両国の留学生に対する対応は、概ね好意的だと言えるだろう。しかしこの歓迎的なムードが、不安を抱えてやってくる留学生達にとって、どれだけ心強いことか現地学生は忘れがちである。

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その一方で、両国の大学に留学生を積極的に歓迎し、受け入れようとする現地学生がいるのにもかかわらず、留学生の増加につれ、彼らの存在が他の学生にとって特別な存在ではなくなり、むしろ無関心や反感が生じるという危険性がある。忘れてはいけないのは、大多数の留学生が外国に行って勉強するのは、その国に何らかの魅力があるためである。しかし、希望と共にその国に渡っても、現地学生からの無関心な対応によって、その国に対するイメージが否定的になってしまう。これは、国にも大損失となる。また、両国の一般社会と多文化・多民族との関係も見ると、少数民族に対する同じような対応は、彼らの持っているその国へのイメージを悪化させるだろう。

次に、両政府の留学生に関する政策を考えてみよう。留学生が国にもたらす利益は多いのだが、両国の政府から見ると、留学生を経済的枠組みの中で考えすぎる傾向がある。留学生の社会に対する経済的利益は確かではあるが、そればかりに目を向けてしまうと、国の「教育」、というサービスを過剰に商品化してしまう可能性がある。オーストラリアと日本のいわゆる「ソフト・パワー」の一つは、両国の教育制度などへの信頼性である。商品化によって教育の水準が下がってしまうと、そのソフト・パワーの影響力も弱ってしまう。同じように、一般社会で外国人の労働者などを経済的資源とだけ捉えてしまうと、その国における労働環境の魅力などもなくなってしまう。

オーストラリアと日本の大学は留学生だけでなく、現地学生にも有益な教育環境を提供していると言えるだろう。しかし、これは必ずしも改善の必要がないというわけではない。また、一般社会と多文化・多民族との関係といった観点から見ると、両国の大学における留学生の現状から様々な教訓が得られるのではないだろうか。

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ランス・トロング

2月までグローバルコミュニティーの留学生インターンとして、変革の時代の日本を
生で体験したジャーナリズム専攻のランスさん(モナッシュ大学)からのリポートです。

オーストラリアと日本の留学生数の比較

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