2024/12/20 02:59

世界を瑞穂の国へ 外国人の日本流入と神道

編集者より

 

 

 

世界を瑞穂の国へ

 
外国人の日本流入と神道
 
  貴著『神国の民の心』には、「天照大御神、神武天皇」 を論じて「瑞穂の国の国造り」は、日本の国体にも祭りにも大切な基本だと力説されてゐる。それは近代工業化した今の日本でも大切だ。それは決して人間の食 とは無縁ではない。その工業力を利用して、技術と工業物資(鉄材、セメント、電機、ブルドーザ、交通機器、肥料等々)を、未だに食になやむ諸外国の農業開 発、治水等に役立てねばならない。それが「八紘一宇」、ユニバーサルブラザフッド、「世界一家」への道だとの壮大な瑞穂の国論があります。
 これは日本のみの壮大なコメ論ではなく、グローバルな立場から、日本が世界農業の一大拠点となる使命があるとの説でせう。私は、それは一つの大切な思想だと思ひます。
 だがその思想と直結するのではないが、今の国際化時代には、食がなく職もなくて、治水や農業開発は、十年や三十年では間に合はない人口過多の国が非常に多い。それらの国から、先進諸国への移民が数千万人になってゐます。一つの国際化大風潮です。
 ところが、今の日本は、その点では先進諸国のなかで、もっとも閉鎖的だと非難されてゐます。明治以来、日本は人種平等を訴え、海外移民の自由を主張して来ました。ブラジルと かハワイには多くの日本人が移民した。米国の西部にもずいぶんと出たが、排日法などでせきとめられて、日本人が激しく憤った歴史もある。しかし近頃の情況 では条件が全く逆転して、海外から異邦人が日本への移民を欲する時代になると、一番移民を嫌う国になったとして、これが近い将来の日本の国際化の大きな壁 になりかねないとして論議されてゐます。現代先進国の都市は、どこでも多彩な人種が混住してゐるが、日本だけは、どこでも一民族日本人のみで、外人の姿は 百分の一にもたっしない。日本人は島国的で閉鎖性が根づよいと評されますが。
 
  世界の大勢が、将来、平和な国 際化の潮流へと進むものと仮定すれば - そしてそれは望ましい仮定でもありますが、日本が先進諸国なみの比率で、五百万人や千万人の外国人の移民を受け入れるのは当然でせう。外国人の大量の移民 があると、どこの国でも人種的気質、風俗の差などがあって、社会的トラブルや犯罪が多くなったり、いろいろ問題が起ります。しかしそれを、時を稼いでも克 服する能力はアメリカ人に劣らず日本人には十分にあります。昔は、韓国から多くの移住者が来ましたし、シナからの亡命者も次々に来ました。特に宋が亡びて元が制覇した時代には少なからぬ学者や宗教人が来日して、大きな文化的影響を与へました。
 かれらは日本の社会で高いポストにつき日本文明を進めるのに大きな業績 を残し、日本人と親しみ、その子孫は日本人と全く同化してしまひました。豊太閤の朝鮮の役では、これは日本軍が乱暴だったのですが、韓国の有能な工人、文 化人などを強制的に引き連れて来て、陶業以下の諸業で働かせた。
 しかし日本人は、かれらを優遇した。韓国政府が怒って、徳川幕府になって、その帰還を要求し、幕府も同意して帰らせたのですが、その数が足りない。帰りたがらない韓国人が多いからです。諸方に、その当時に「韓国人の故国帰還を勧告する」高札を立てて、帰還者を集めたが帰らないで、日本人に同化した者がずいぶんと多いのです。これは移住してきた人が、高級な知識や技術があって、日本人に敬愛されたからです。
 ただ現代ではこれと反する問題を生じました。前の大戦で、強制的に日本に連れて来た労務者が、数十万人となくある。日本が敗戦したので、勿論、帰国の自由を得たのですが帰らないものが多い。在日韓国人 六十万人とか八十万人とかいふが、かれらは日本に対して永住権を要求し、しかも日本社会で「差別」されるといっては、度々強い抗議をしてゐます。韓国の経 済も今では繁栄したのだし、日本人に差別感があって不快なのだったら、帰りさうなものだが帰る者が少なくて永住する。不平、不快な点があるから文句をい ひ、抗議するが、住みなれた日本には、住みよい点があるのでせう。日中国交ができた時には、万一にも中国に強制帰還されるのは嫌だといって、日本に帰化した台湾系の中国人の数も少なくありませんでした。日本では外国人の事を知らないので、移民のトラブルをおそれるのです。
 ECではフランスな どにも移民が多い。しかし外から見るやうに、安全で無事円満なのではない。インタナショナリズムに徹した共産党系の集団が、移民の住宅地を襲撃するやうな トラブルも起りました(インタナショナリストの晩年のサルトルが、とても歎いた)。本来は、多民族国家の今の米国などでも南方スペイン系 の移民と、それ以前からの米人との間には鋭いトラブルが常に起ってゐます。かつて日本人や中国人の対米移民が、極端に嫌われ、迫害され、つひには入国禁止 されたのも遠い歴史ではありません。多少の混乱やトラブルはさけがたいとしても、日本人が外国人に比して、移入外人を嫌ひ、なじめないとは私は思ひませ ん。三世紀も四世紀も解決しえないインドネシア人の華僑嫌ひのやうな問題は、日本人社会では生じえないと思ひます。
 ただ日本には、日本特有の問題があることは、諸外国に諒解させるべきで す。日本は、人口が多くて、農地が極度にせまい。農業移民の余地は、まったくない。移住者の職は、商工業の外にない。しかも商工業でも、日本には工業資源 が貧弱で、ほとんど海外に依存してゐるのですし、資源と市場の確保が将来の日本商工業の存亡を決する大問題です。だから日本としても、移民を受け入れ得る のには、やむをえざる条件を考へざるを得ません。
 日本の工業を存続し得るための資源確保に協力してくれる国、自由に市場 を開放してくれる国の国民の移住を歓迎する。しかし市場を閉ぢたり、資源供給を制約する国の人の移住は、おことわりせざるをえますまい。それは、せっかく 来日しても、かれらに与へる「職」そのものがなくなるからです。
 この問題について、今日、外人移住を嫌がってゐる人、または消極的な人は、風俗習慣、社会意識の異なる大量移民の流入によって、社会道徳のトラブルが多くなり、治安のわるくなるのをおそれるからのやうです。しかしそれは米国でも英国ドイツフランスで もが経験しつつ、その克服に苦心してゐることです。移民を出さねば立ち行かない国が多いし、それを認めねば国際の友好平和が保てないのです。苦労しても、 その困難の克服をするのは先進諸国の人道的義務です。日本、とくに前世紀から世界に先がけて人種平等を提唱して来た日本としては、一時代の犠牲を払っても その義務を果す責任があります。ここに帰化人と日本人の歴史を詳説するのは略しますが、少なくとも三百年前までの日本人は、異邦人を迎へて、人情の温かさ と礼とをもって、かれらに故国に帰るよりもこの日本国に永住し、同化することを望ませる民族だったことを想起していただきたいと思ひます。
 
  大量の外国人の流入は、日本人自身の独自性を崩壊させ、日本文化を破壊してしまふのではないかとの不安の声もつよいやうですが。
 
  日本人の自主独立の精神は大切です。しかし、一億二千万もの日本国民が、その一割にも足らない五百万人や千万人の外人の渡来によって、その独立精神を廃されるとすれば、それは外来移民の罪である以上に、日本人自らの精神的貧困を意味します。
 私は、年々計画的に大量移民を、相当長期に移入させる国際的門戸の開放を当然の問題と考えてゐます。これは決して安易のことではない。しかし努力すべき当然の国際化時代の問題と思ってゐます。
 私は、今の日本人の閉鎖性の気質は、切支丹から後の欧米の侵略政策から 日本を自衛しようとしたころからの習性が身についたもので、決して古くからの本質ではないと思ひます。異民族にたいしても明るく温かく迎へ得る。そして自 らの本質を失はないで、相和親し得る本質を内在してゐると思ってゐます。
 もっともこれは、異邦人に対する日本国としての精神的原則を話してゐる ので、実際的には、考慮すべき行政上、当然にいくたの制約が必要でせう。異邦人に門戸を開くのは、この国に来て、なんらかの健全、合理的な仕事をしたい意 欲と、職につく可能性のある人物とその家族に対する話で、不法犯罪の危険性のある人物とか、失業者になるほかないと推定される人物とか、そのほか社会的ト ラブルの危険度の多い者を、やたらと移入しようなどといふのでないことはいふまでもありません。それは移民を出す国の政府との条約とか日本の国内法によっ て、慎重周到な制約をせねばならないのは当然でせう。それは、どこの自由な国にでもある制約です。
 私が、ここで力説したいのは、日本国が明治以来、世界にさきがけて主張して来た人種平等、移民の自由という公正な国際原則主張の歴史を銘記すべきで、その誇りある歴史に反して、多少の利害やショーヴィニズムにさ れて、八紘一宇 - 世界大同の理想に反してはならないといふことです。日本人は、日本に特殊の文明史を有し、民族としての誇りをもってゐます。それは固く守り発展させねばな らない。だがそれは決して、民族エゴの低劣な精神と混同されてはならない。あくまでも明るく公正な、異民族との友好な気質を失ってはならず、むしろそれを 大いに発揚しなくてはならないと主張したいのです。
 
(続く)
 
 葦津珍彦「世界を瑞穂の国へ」(平成元年)、『天皇 昭和から平成へ』神社新報ブックス(平成元年 第一刷発行))pp.149-163