2024/12/20 01:50

福島にとどまり放送局に就職する韓国人留学生

国際人

 

福島に残って本当の福島の姿を伝えたい

福島にとどまり放送局に就職する

韓国人留学生朱美善(ジュ・ミソン)さん

 


福島に残るつもりはなかった。1年前の震災2日後、留学先の東日本国際大学があるいわき市を出て故国に避難した。5月末に再来日したのは、「卒業だけはして、早く韓国に引き上げるためでした」。同じゼミの留学生仲間2人は戻ってこなかった。
 だが気持ちは、徐々に変わる。日本人の友達や先生、夏祭りで知り合った商店主。奨学金を出してくれた地元ロータリークラブの会員は自宅へ招き、娘のようにかわいがってくれる。放射線への不安を理由に福島を去れば、この人たちを裏切ることにならないか。震災以降、メデイアが果たす役割の大きさに目を見開いてもいた。
 福島放送の面接で「福島に縁もゆかりもない日本人より、縁もゆかりもある外国人の方が世界に伝えられることもある」と訴えた。「芯の通った熱意を感じた」と採用担当者。新卒採用は一人だけだった。
 ゼミの担当教授いわく、一段高い要求にも必ずくらいついていく粘り強さが身上だ。まずは営業局に配属予定
。外国人の採用も、女性の営業担当も同社では初めてとなる。「会社の利益を左右するんですよね。ドキドキします」
 いわきが舞台の映画「フラガール」にあこがれて大学を選んだ。入学後、幼いころから悩まされてきたアトピーも治ってしまったという。
「私にはここの水と空
気が合っているんです(3月19日 朝日新聞)

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この記事を読んでどうしても彼女に直接お話を聞きたくなりました。


福島放送の新人研修を終えた朱美善さんは、丁寧に質問に答えてくれました。

最終的に福島にとどまり就職活動をしようと思った一番の理由は何ですか?


一番の理由は、お世話になっていた米山ロータリークラブの経営者の人たちを始め、私を家族同様に扱ってくれて、応援してくれた福島の皆さんを残して帰国するのが忍びなかったからですね。私が韓国に一時帰国している間も、毎日のように連絡を下さって日本の状況を教えてくださいました。それと、福島は、完全に安全とはいえないけれど、人が普通に生活が出来る程度に安定していてそれほど、神経質になる必要はないということを他の地域の日本人や韓国にいる韓国人にも伝えたいという気持ちもありました。

韓国のご両親は心配して日本に住むことに反対をしませんでしたか?


親戚は確かに心配していましたが、両親は私が日本に戻りたいと行った時、意外にも全く反対しませんでした。私が日本に帰ることを希望していたので、娘の意志を尊重してくれました。韓国では、まだまだ両親の意思には逆らえない社会的風潮があるので、多くの私の友人などは両親の反対で日本に戻ることはありませんでした。私が少しでも放射能や地震のことを心配していたら、行くなといわれたと思います。しかし、私は、日本にいる知り合いは普段と変わらず元気にしていることなどを両親に話し、安心してもらう様に努めました。
両親を安心させるためにもまめに連絡を取って、韓国の友人や知り合いにも、福島の人たちも普段と変わらず生活をしていることを伝えて、風評被害を少しでもなくせたらうれしいですね。私は営業部ですが、普段と変わらず回りの人たちと接して、社会人として採用してくれた福島放送に役に立てる人になりたいと思います。それが強いては、福島の復興にも役立つことになると信じています。

多くの留学生が帰ってこない中、親の影響力の強い韓国の留学生、朱美善さんは福島に残り、お世話になった人たちの為にもここでがんばろうと誓った。本気で就職活動もがんばり、希望であった福島放送の最終面接に残り、自分の日本の人たちへの思いを伝えた。『福島には多くの友人知人がおり、みんな普段の通り生活をしています。日本人でなく、外国人の私が福島に残って、復興の為に尽くす姿を見せることによって、世界の人たちを安心させることが出来ると思います。』
福島放送では、外国人あるいは留学生が採用されたことは今まで無かった。しかし、彼女の純粋な気持ちが採用担当者の心を打ったのだと思う。数年は営業部に配属され、広告代理店や企業などを回るそうだ。彼女の活躍が少しでも福島の人たちの励ましになれば、韓国の両親も喜んでくれるであろう。美善さんのご両親に伝えたい。あなたの娘さんは本当に素晴らしいと。

彼女の通った東日本国際大学でも朱さんは紹介されています。

http://shk-ac.jp/blog/hiu/2012/03/post-135.html