司馬遼太郎記念館と『洪庵のたいまつ』
喫茶店 湖月堂(現在は販売店舗のみ)
母親孝行もかねて東大阪市にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。
近鉄河内小阪駅より徒歩12分。司馬さんがよく奥さんと通ったといわれる
湖月堂を超えてしばらく行くと、司馬さんが小学生のために書いた『二十一世紀に生きる君たちへ』の文学碑のある公園があります。 そこを道に沿っていくと左側に記念館が見えてきます。
記念館は安藤忠雄氏の設計の自然と調和した大きな書庫のような建物と司馬遼太郎さんの自宅からなっています。ガラス越しに司馬さんが執筆していた書斎も見ることが出来ます。
(生前のまま保存されている書斎)
ここで司馬さんが、坂本竜馬や空海等と対話を交わしたかと思うと興奮しましたね。
書斎を通り抜け、ガラスの回廊を抜けて館内に入ると、
中には2万点あまりの資料や作品が収納されています。
来館者ノートには、読者の人たちの司馬さんへの熱い思いがつづられていました。私も司馬さんの本が好きだった7年前に亡くなった父に会えたような気がしました。
(編集者 宮崎計実)
司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎さんが小学6年生のために書いた
『二十一世紀に生きる君たちへ】(併載:洪庵のたいまつ)
『洪庵のたいまつ】より
ーーーーー 振り返ってみると、洪庵の一生で、最も楽しかったのは、かれが塾生たちを教育していた時代だったろう。洪庵は、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群が、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後生のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。ーーー
緒方 洪庵(おがた こうあん、1810年8月13日生まれ) 武士・足守藩士、医師、蘭学者。大坂に適塾を開き人材を育てた。福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した。