教育とグルーバリゼーション
教育とグルーバリゼーション
~global citizenship education の可能性と限界~
2015年8月31日、第61回、国際学生会議の発表会が行われた。この会に来るのはこれで、4回目だが、この会議の一番の特徴は、国内外の学生が、1週間一緒に寝食を共にしながら、お互いを等身大で理解しながら、ひとつのことを徹底的に議論するところにある。
今回は、5つのtableに別れ、ナショナルアイデンティ、食の流通における安全と差別、LGBTフレンドリーな社会に向けて、越境する市民間関係、教育とグローリゼーションのテーマで5日間、議題しいよいよ発表の日を迎えた。
今回は、『教育とグルーバリゼーション』の議論に参加した学生さんにお話を聞いた。
Table5は、スリランカ、ベトナム、インドネシアの学生を含む、9名で話を進めた。
Global Citizenship Education(GCED 地球市民教育)は、2012年にUNESCOが、発表した新しい教育の概念。教育で、いかにして、世界をより平和的に、包括的で安全な、持続可能なものにするかという内容だ。
まずは、参加した学生さんにどうしてこの課題を選んだかについて聞いてみた。
*UNESCOのHPなどで、GCEDの内容を見たが、どんなものになるのか想像できなかったので、価値観の違う学生と話しながら、答えを探りたかった。(日本)
*大学で、GCEDのプログラムを取っていたので。世界市民って何だろう?
*世界市民的な発想を知ることが必須の時代になる(インドネシア)
*スリランカでは、30年間内紛が続いたが、GCEDの考えを国中に広げれば、争いもなくなると思った。(スリランカ)
*教育がどのように現実の問題解決に役立つのか?(日本)
*ベトナムではまだまだ教育制度など遅れているが、新しい教育の概念を学んで、世界の問題を解決しようというGCEDの取り組みに共感した。(ベトナム)
*単に高度の勉強をするというより、社会のために学ぶ姿勢が大切と思い選んだ。(インドネシア)
など、様々だが、さて、5日間の議論でどのような発見があったのだろう。
続いて聞いてみた。
この5日間の議論の自分なりの結論(感想)は?
*様々な国で価値観も違うが、GCEDの定義をまずは、はっきりすることが大事だと思った(日本)
*価値観の違うものどうしでも、対話を繰り返していけば、必ず、人と人とは繋がっているということを理解できると思う。(日本)
*理想的ではあるが、GCEDの教育理念が世界中に浸透すれば、無駄な争いがなくなっていくと思った。(インドネシア)
*GCEDの考えを広めていくのは大切だが、それぞれの国でも独自の価値観がある。その点は認めながら、時間をかけてGCEDの考えを広げて行くことが大切だ。(スリランカ)
*議論を進めていく中で、色々な価値感に触れられたことが、一番の成果だった。地球市民とは、より多くの価値観に共感できる人といえるかも知れない。(日本)
*お互いを知り、理解しようと努力しながら、理論だけではなく、その考えを実際の社会問題に役立てようとする試みはとても重要なことだと思った。(ベトナム)
*それぞれ、教育のレベルによって役割は違うが、発展途上の国のことも考慮した考え方が新鮮に思った。(ベトナム)
*GCEDの考えが果たして正しいのかどうかを知ろうと議論を進めたが、様々な意見、価値感に触れながら、GCEDの考え方にそれぞれのメンバーが共感できたことが大きな成果だった。(日本)
*UNESCOもこれがGCEDの教育だというはっきりとしたものは出していないが、自分たちなりには、ある程度、形になったものが出来たと思う。(日本)
教育を世界で起こっている問題解決に応用できるような形に変えていく、このGCEDの取り組みはまだ始まったばかりだが、意識の高い大学生同士が、議論の中で、お互いの価値観を共有し、認め合うことが出来る姿勢を身につければ、地球市民に一歩近づいたといえるのではないか?
対話を繰り返しながら、お互いを認め合う、そして持続可能な環境への配慮もしながら、それぞれが自分の役目を果たしていく。発表の終わった学生達もみんな地球市民になるべく新しいものをつかんだようだった。