2024/11/18 20:51

特集

私塾が日本を救う!!

特集
 
人のために流す涙は自分に勇気を与える  
出会いは人生を加速する 
 
                  
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私はこうして46歳から英語をモノにした

46歳から一念発起して英語に再挑戦した山元氏は、語学力を身につけたことで性格まで変わり、明るく積極的な人間になった。今からでも遅くない語学征服のカギやアイディアを、ユニークな語り口で披露してくれます。山元氏いわく、『いい加減だから良いのだ。何事も完璧を求めない』。まずは、生き方を変えること。転機を逃さずに、21世紀対応型人間になれば、英語は自然についてくる。人生を楽しみながら、遊びながら英語がいつの間にか上達する、山元式超簡単・英語習得法を伝授します。

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山元学校が101回目を迎えました
 
「努力は苦し、されどその実は甘し」(野口英世博士)
Patience is bitter but its fruit is sweet
(Dr. Hideo Noguchi)


社会変革の時代を迎え、加速度的にパワーアップする平成の松下村塾、山元学校。77歳になった今も走り続ける山元雅信氏にインタビューしました。

山元学校を始められた動機は何ですか?

海外から帰ってきたときに、無気力、無感動の精彩のない日本人が多くなっていたのに気づいて、何かしなければと考えていた矢先、瀬島龍三さん(昭和の参謀と言われた元伊藤忠会長)の「幾山河」の出版記念パーティで「自分の会社だけでなく日本人や日本の国づくりも心配りして欲しい」と直接言われました。そして、「私塾が日本を救う」という本も3度読んで、やってやるぞという気持ちも固まっていたちょうどその頃、学生たちから講演依頼などがあり、またその反響もあったので、月に一回、講演を聴いた学生たちとの「再会の場」として山元学校が始まりました。初めは体験談を話していましたが、だんだん賛同者が応援に駆けつけてくれ、たくさんの素晴らしい人が次々に話をする、現在の形に自然となっていきました。現在私は進行役に徹しています。

学生時代どんな学生でしたか?

優秀な兄たちと自分を比べて、とても劣等感が強く自分に自信を持てない人間でした。
大学2年までは、英語や海外インターンのサークルでも活動をしていましたが、今の妻に会いそれもやめて、いつも彼女といっしょにいましたね。彼女なしでは生きていけないような運命的な出会いを感じたので、卒業後すぐに結婚しました。

どのように自分を変えていったのですか?

卒業後もなんとなく仕事をしていたのですが、31歳の時にノルウェーに赴任することになりました。英語にも仕事にも自信がない私が送られたのは会社としての受注実績もない国で、左遷のようなものでした。
その私が変わったのは雑誌のある記事がきっかけです。ある日、知り合いから日立造船の記事が当時の朝日ジャーナルに載っていると聞き、その記事を読みました。造船の仕事が減り、工場の社員の家庭が次々に崩壊しているという記事でした。自分の仲間が大変な状況にあることを知り、号泣して3時間ぐらい涙が止まりませんでした。
そして私は決心しました。うまくいかない理由を他人のせいにしていた自分を改め、
日本にいる仲間のためにも頑張ろうと。
しかし、周りは実績のある企業ばかり。私は受注するために必要な情報は、何でも集めるようと走り回りました。船主(船を発注する人)が必要な荷主(船に積む荷物を発注する人)の情報収集や金融機関の条件まで、自分のところに情報が集まってくるような仕組みも作りました。一時は業界紙の情報の出所の7割近くが自分だったこともあります。会社に頼ることが出来なかった私は、自分独自の情報ネットワークを作り、最後には市場の85%までを独占することが出来るようになったのです。


講演などでどんなことを日本人学生や留学生に伝えていますか?

どんな状況でも自分を諦めないこと。特に今まで挫折を知らずに人生を歩んで来た人たちは逆境に弱いところがあります。人生、勝負は、20代でも30代でもありません。
40代、50代でもそれで人生が終わるわけではありません。私は現在65歳ですが、まだまだ新しいことに果敢に挑戦しています。
山元学校には、目を輝かせて、世の中のために役に立つことをやってやるぞと
訴える人が大勢集まります。そこで、いろいろな人との出会いがあります。
年齢も中学生から、80歳前後のシニアの方までと幅広く、毎回各国大使のスピーチがあり、参加者も国会議員、企業経営者、歌手、ダンサー、芸術家、公務員、医師、エンジニア、メディア関係者など様々です。学生さんも大勢集まっていて、年代を超えた交流が本音で出来る雰囲気がありますのでぜひ一度参加してください。

外国人の人たちも増えてきましたがこれから日本はどうなって行くと思いますか?

いろいろな文化を持つ人たちと一緒に暮らしていくことは大変重要なことです。近い将来、日本もアメリカやフランスのように移民大国になっていくのは間違いないでしょうね。国際結婚という概念もなくなるかも知れません。お互い交わりあってみんなオバマさんのような顔になっているかもしれませんね。

先生の一番好きなことばは何ですか?

『出会いは人生を加速する』ですね。人はいろいろな人と出会い、学びあって成長していくものだと思います。ひとつの出会いが人生を大きく変えていくこともあります。
山元学校でも今まで本当の多くに人たちの運命的な出会いに遭遇してきました。

最後に、これから就職活動をスタートする学生たちにアドバイスをお願いします。

面接官は将来伸びる人を採用しようと思っていると思います。
どういう人が伸びていくと思いますか?考えてみてください。
伸びる人は、素直で、明るく、愚直な人です。素直な人は、どんどん知識や意見を取り入れていきます。明るい人には情報が集まります。愚直な人は単純なことでもやり続けられます。また、時代はIQからEQになり今はHPの時代になったと思います。HPとはHorse Power すなわち馬力です。大きく世の中が変わっていく時代は、頭のよさというより、人からものを吸収し、加速度的に成長する力が必要です。それがまさに『出会いは人生を加速する』ということですね。
 
 
 

山元学校塾長:山元雅信氏プロフィール:

 
 
日立造船(株)時代、赴任先の北欧でマーケットシェア85%を達成させ、神話を作り上げる。入社18 年後カーナーズ・エクスポジション・ジャパン(株)にヘッドハントされ、アジア最大の国際産業見本市を立ち上げ、成功に導く。その後、セガにヘッドハントされ、サードパーティ売上げ10倍、北米売上げ倍増を達成、マーケットシェア63%など数々の記録を打ち立てる。現在は、「Break Through Consultant」という新しい国際ビジネスコンサルタントとして多数の企業のアドバイザーをつとめ、各種新規事業に取り組む。年間100回をこえる講演活動と就筆活動を精力的に展開。二国間の学生会議を30以上の大学生たちと設立。2008年4月より各国大使のインタビュー記事を載せた、産・官・学を結ぶ環境新聞「BLUE EARTH」を発行。毎月18日開催の山元学校は今年100回目を迎えた。 http://yamamotogakko.jp/
 
 
 
( インタビューした学生の感想 )

今回の取材で、私は多くの事を教えていただきました。その中で、印象に残っている言葉が『出会いは人生を加速する!』です。人と出会う事は、その人間の人生と交じわる事で、自分の人生の幅が広がるという意味でした。まさに、多くの苦労と出会いをなさった山元先生らしい名言だと思います。
私も、オリンピックボランティアをキッカケに多くの人々と出会い、たくさんの影響を受けて来ました。この言葉で、自分が感じていた事が確信に変わりました。
最後に、山元先生と出会えた事を感謝し、山元学校で多くの事を学び、多くの人々に出会って、自分を磨きたいです。(大東文化大学 環境創造学科 3年 新井 誠)

学生たちより山元先生へのお祝いの言葉

山元学校が100回目を迎えたとのこと、心よりお慶び申し上げます。
山元先生とはアイセックという学生団体の活動の中で知り合う機会があり、以来何かにつけてお世話になっております。初めてお会いした際に議論が弾み、昼に来訪したのが夜半過ぎまで滞在することになったのを昨日のことのように覚えています。山元先生を見ているとその行動力、フレッシュさに圧倒させられる一方で、次世代を担う人間の一人として
自分も負けていらない、という気持ちになり、その存在が非常に励みとなっています。
山元学校は、そんな山本先生の持つ魅力に惹かれた人たちがつながり、新たなアクションを起こす場として、非常に大きな意味を持っていると確信しています。山元学校の元に集まった人達が地域・世代・国境を超えて、社会に対し『これはすごい!』と言わせるような素晴らしいものを生み出していく、いつまでもその様な素晴らしい空間であり続けることを願っています。(東京大学法学部 嶋田庸一)

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山元先生との出会いは2年前、今までお会いした方の中でも群を抜く先生のバイタリティに、LEAFメンバー一同圧倒されておりました。
その後先生にはLEAF日本実行委員会の顧問の就任して頂き、どれだけお世話になったことか。先生の豊富な人脈を数多くご紹介頂き、いつも本当に感謝しております。
そして、迎えた山元学校100回記念。LEAFメンバー一同より花束を送らせて頂きましたが、いつも通り活発な先生には花束がかすんでしますほどのオーラがありました。
今後もお身体にはお気をつけ下さいませ。200回、300回といわず、いつもの先生らしく1,000回くらいを目指して頂ければと思います。
20年後にも同じ姿で僕達の前に立っていることが容易に想像できますね。いや、実は30年後でしょうか(笑)
最後になりましたが、改めて山元学校100回記念おめでおうございます。今後とも末永くLEAF日本実行委員会をよろしくお願い致します。
《LEAF(東アジア国際学生フォーラム) 日本実行委員会一同》

ブラジルの人たちが私を育ててくれました

特集

 

 

移民100周年を迎える日系ブラジル人社会の歌姫

 

10年に渡り日系コミュニティーでの公演を続ける井上祐見さん

インタビュワー 可児タイスさん


日系ブラジル3世  歌手デビューした21歳の時に見たNHKのど自慢のサンパウロ中継をテレビで見る。『この人たちの為に歌いたい』との気持ちだけでブラジルでの公演に挑戦。

 

1:どうしてブラジルで歌うことを始めたのですか?

 

NHKのど自慢のブラジル大会をテレビで観ていて、日系の方々が日本の歌をとても大切に歌っている様子を知りました。すぐにマネージャーさんに「ブラジルに行って日系の方々に日本の歌を届けたい」と伝えました。南米との付き合いも人脈も何もない中、マネージャーさんはじめ多くの人たちに助けて頂いたおかげでブラジル公演を実現することが出来ました。一回目の公演が大好評をいただいて、「また来年も」というお話になりました。ブラジルを中心に南米各地の日系移住地を回らせていただいて今年で10年目。言葉も文化もまったく違う人たちの前で、私の歌やおしゃべりが伝わるかどうか不安でしたが、「歌を楽しむ」という気持ちは、人種も言葉も国籍も大きな問題じゃないんですね。


>2:今年はブラジル移民が始まって100周年ですが、そのことについてどう思われますか?

 

移民一世、二世の方々は大変な苦労の中、今の日系社会を築いてこられました。今年は大きな記念イベントが日本でもブラジルでもたくさんありますが、大切なことは101年目の来年だと思います。この機会をただ単なるブームに終わらせないようにまた、移住で苦労された方々を忘れて欲しくない」という気持ちをこめて『日系移民』の人たちの歌、『オブリガード 笠戸丸』をこれからも歌って行きたいと思います。

 

移民100周年を迎える日系ブラジル人社会の歌姫 歌手デビューした21歳の時に見たNHKのど自慢のサンパウロ中継をテレビで見る。『この人たちの為に歌いたい』との気持ちだけでブラジルでの公演に挑戦。その後10年の間毎年欠かさず、ブラジルの日系社会の人たちの為に歌ってきた。『日系人の心』を歌う日系社会では欠かせない存在の演歌歌手。移民100周年の記念の年にますます活躍の場を広げている

 

 



ハルとナツ novela sobre a imigraçao japonesa no brasil 届けなかった手紙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国民ひとり一人の意識で医療問題は解決する 川嶋朗医師インタビュー

特集 国民ひとり一人の意識で医療問題は解決する

川島朗(あきら)氏

東京有明医療大学  保険医療学部 鍼灸学科 教授

東洋医学研究所 付属クリニック 自然医療部門  医師

特定非営利活動法人統合医療塾塾頭・理事長

著書

病気は心のメッセージ(PHPファクトリー・パブリッシング

「見えない力」で健康になる(サンマーク出版)

『「冷えとり」で体内酵素を活性化する方法』(2010年主婦の友社)など多数。

統合医療の大切さを訴え続けている信念の医師、川嶋朗氏にインタビューしました。

Q 統合医療を目指そうと思った元々のきっかけは、アメリカ留学中、現地の人たちに『はり』の効能を紹介したことだそうですね。

たまたま、個人的な使用のために、持参していた『はり』をしてほしいという要望があり、知人に試したこところ、それが大きな評判になりMIT(マサチューセッツ工科大学)よりセミナーをしてほしいと依頼を受けました。専門外なのではじめは、断っていたのですが、何度も要望があったので、はりの英語の専門用語なども準備をして、ノーベル賞の受賞者などもいる前で、セミナーを行いました。その時は驚くほどの反響があり、いいと思えば、すぐに取り入れる彼らの探究心と野心を目の辺りにしました。このままでは、いいものがまたアメリカにとられてしまうと感じ、急遽、帰国を決意し、はりをはじめとする東洋医学を日本の医療現場に取り入れようと、活動を開始しました。そして、ホメオパシーや漢方、自然医療、気功などいいと思ったものはどんどん勉強して、場合によっては専門家の教えを受けながら、時間を掛けて今の統合医療の形を整えていきました。しかし、日本の医療現場は、本家のアメリカやヨーロッパと比べても西洋医学の考えに忠実なところがあり、まだまだ、私のような考え方で治療をしている医師は少数です。

私も西洋医療の素晴らしさは否定しませんが、人が病気になる原因は様々で、西洋医学だけでは治療できない病気も増えています。西洋医学の病気を点で捉える発想では不十分で、心身、両面から患者を診る東洋医学の視点が世界の医学会でも注目されています。

 

Q 医者が失業するような世の中が理想ということですが?

私はいつも患者の皆さんに話していますが、自分自身の体の具合を一番理解できるのは実は患者自身です。医師の本来の役割は、患者が病気とどのように向かい合うかをサポートすることだと思っています。その点から考えると現状の診療は理想には程遠いといわざるをえません。しかし、患者自身も過度に医師に頼るところがあり、自分の体の状況は自分で知るという考えが必要です。私の著書にも書いていますが、患者が本当に自分の体に真剣に気遣い始めるのは、癌のような死の可能性のある病気になった時です。しかし、それでは遅いわけで、そのために予防医学を提唱しています。つまり医者に掛かる前に自分で問題を解決しようということです。本当は、患者の皆さんもそのようになることを望んでいると思いますが、現状では、人々が安易に病院に通うことで、医師のひとりの患者に掛ける時間も限定されています。

私は、自由診療の完全予約制で、ひとり一人に時間を掛けて患者に合った形の診療をしています。医師免許を持つものがこのような形で統合医療を実践しているケースはまだ少ないので、多くの皆さんが日々訪れています。一人ひとりの話を親身になって聞くと、よりいい対処法を提案することが出来ますね。

しかし、最終的にどのような治療をするかを決めるのは患者自身で、私たちの使命は、患者が自分の体のことを真剣に気遣い、安易に医者に掛かることがないように教育することだと思います。

Q 理想に燃えた若い医師や医学生で川嶋先生のような診療を行いたいと思う人は多いと思いますが、統合医療やその考え方を教える教育機関などを作る計画はありますか?

多くの医師は、現場の忙しさに追われ、中々本質的なことを考える時間もないのが現状です。また、もしそのような考えがあっても、組織的にも出来上がった業界ですので、異質な取り組みは中々評価されにくいところがあります。

しかし、このままではいけないと異を唱える人たちも増えているのは事実で、現状の医学界に問題定義をする書籍なども多数発刊されています。

私が大学の機関で診療を続けている理由には、まさに『医療従事者としての哲学』なども含めた教育機関を作りたいという想いがあるからです。現実的にはまだまだ解決しないといけない問題もたくさんありますが、思いを共有する仲間をどんどん増やして必ず実現したいと思っています。

ある僧侶の方に『お医者さんは人格者であってほしい』といわれたことがあります。生活が安定していて、給与的に優遇されているなどと考えて、医師を目指す人もいるかも知れませんが、多くの若者は、『人の命を救いたい』という純粋な動機を持っていると思います。しかし、その純粋な気持ちを受けいれて、医師本来の『患者が病気になることを未然に防ぐ仕事』を全うできる職場はほとんどありませんし、また、医師が患者に親身になって寄り添える余裕のある医療の現場も多いとはいえません。

そのためにも、早急に現状の医療のあり方を根本的に変えていく必要があると思います。

子役としてNHKのドラマで主役を務めるというユニークな経歴も持つ川嶋氏。

有名監督などからの熱心な誘いもあったが、あっさりと子役をやめて、医師の道を目指した。

本来医療は、僧侶や牧師などの祭祀が行ってきた『神聖な行為』でもあり、お金儲けではない。その医療を本来の形にするには『哲学』が必要だと川嶋氏はいう。

多くの医学を目指す若者は、川嶋医師と共に本来の医療の形を取り戻すべく心も磨いてほしい。また医療を受ける立場としては、『自分の体を一番よく知っているのは自分自身だ』ということを肝に銘じ、自分の体について知り、もし医師にかかっても最終的には自分で判断するという気持ちが必要である。医師はあくまでアドバイザーで神様ではない。自分の体は自分で守るという意識を一人ひとりが持てば、医療問題は必ず解決するはずだ。

認知症は改善する・政府も自立させた施設を厚遇

特集

厚生労働省発表の2014年の認知症患者は全国推定患者数462万人、2025年には、700万人を超えるとも言われているが、その対応策は、未だに十分とはいえない。
https://info.ninchisho.net/archives/2666


現状の介護の体制は大規模な介護施設が中心で、ひとり一人に十分なケアを行うことは現実的に困難だ。また、介護スタッフも重労働の割には、待遇がいいとはいえない。『認知症と付き合う』のが精一杯で、『認知症の改善』に役に立っているという充実感を味わうことが難しい状況も介護スタッフのモチベーションが上がらない原因のひとつとになっている。

しかし、現場では、要介護度が高くなれば、医療報酬がたかくなる現実があり、介護の状況を改善が医療報酬として評価されることがなかった。

これでは、どんどん増加する介護費用を抑制することは出来ないと、2016年11月10日、政府の未来投資会議において、介護の状況を改善した場合に医療報酬を上げると明言した。

そこで、大いに注目を浴びているのが、2万人以上の改善事例がある心身機能活性運動療法』だ。

また、この療法は、高齢のドライバーの事故が増加する中、効果的な改善プログラムとして、自動車教習所などでも試験的に実施されるようになった。

日経新聞で取り上げられた記事

業界誌でも注目されるほど、評価されている『心身機能活性運動療法』

この心身機能活性運動療法は「認知症の改善」を目的に開発したもので、5つのプログラムを一体的に組み合わせて実践し「脳と心と体」を「楽しく活性」するものです。「楽しく」というと遊びの様に聞えますが、その中にこそ人間性を取り戻す様々なノウハウが蓄積されています。

そしてこの心身機能活性運動療法は認知症の改善と予防だけではなく、脳卒中後遺障害者や障がい児、自閉症児、身体・知的・精神障がい者の改善にも役立つ画期的な方法です。

究極の認知症改善法認知症にならない!認知症にさせない!認知症を改善する!をテーマにお話しします

 

 

『ASIAN GATEWAY』を目指して『大阪』が動き出した

特集

 

ASIAN GATEWAY』を目指して『大阪』が動き出した

『人こそ大阪の大きな観光資源』
大阪人の寛容性でアジアの人たちと共に大阪を元気に!!

 

加納局長(写真左)は、様々な環境に左右される厳しい国際観光の世界で、18年もの間、香港政府観光局の局長を勤めてきたプロ中のプロ。長く日本を海外から見てきた経験を生かして、4月から大阪の観光の活性化に取り組まれている。インタビューするのは、関西学院大4年の郡山めぐみさん

Q:2020年までに大阪に海外からの観光客を今の3倍の650万人にするという目標が掲げられていますが、それをどの様に達成していこうと考えていますか?


A:ミラクルはありませんね。まずは、ひとつひとつ、今までの政策を検証しながら進めていくことですね。現在、大阪には東京や京都のように外国人観光客を呼び込むブランドがこれといってありません。しかし、大阪の人たちの陽気さや人懐っこさは、海外の人にとっても大きな魅力です。岸和田だんじり祭りに人生をかける人たちの姿や阪神タイガースの熱狂的なファンの様子、また何気ない会話の中にもユーモアを取り入れる大阪の人たちの個性が大きな観光資源となりうると思います。

 

大阪観光局のキャッチフレーズは、『ASIAN GATEWAY OSAKA』(アジアの玄関・大阪)『VENTURING to Asia? Start in OSAKA』(アジアでの起業は、まず大阪から)です。私は長年、日本を海外から見てきましたが、より具体的なプランド戦略が必要です。歴史的に見れば、大阪はアジアの国々とも深いつながりがあり、昔から日本とアジアの国々を繋ぐ拠点です。多くのアジアの人たちが、集い、生活の中で学び、またビジネスもしやすい環境を作っていくことが、長い目で見た場合大阪を魅力のある都市にしていくと思います。カラオケや回転寿司など今では、世界中で有名になった日本の文化ですが、元々の発祥は大阪です。大阪はイノベーションの街でもあります。日本企業はもとより、もっと多くのアジアの起業家が大阪で活躍していってほしいと思っています。

Q:観光を盛り上げるために留学生の活用で考えられていることはありますか?

A:4月より関西国際空港で、海外から大阪に来ていた人たちに帰国前のアンケート調査を行っています。そこでは、様々な外国語が必要とされますので、多くの留学生にも活躍してもらっています。アンケートといっても観光政策の参考データとなる重要な仕事ですので、きっちりとした研修も行い、そのために特別なユニフォームも作りました。この取り組みが教育的にも意義があると教育機関のからも授業の中で取り入れたいなどの要望も頂いています。このような活動を通して、留学生の皆さんの活躍する場所も広がっていけばいいと思っています。

Q:今後取り組んでいかれるイベントなどありましたらお教えください。

A:イベントは、国際観光という側面からも大変重要なものです。まずは、6月1日に、アジア初のモトクロス世界大会「Red Bull X-Fighters Osaka」が大阪城で開催されます。また、今年で20回目を迎え、今では世界のトップクラスのHIPHOPダンサーが集まる『DANCE DELIGHT』は、元々は大阪が発祥のイベントです。世界各国で予選が行われていますが、今年は決勝大会が大阪で9月1日に行われます。大阪にはこの分野でも優秀な人が多いですね。あと、『INTERNATIONAL JAZZ DAY』というUNESCOや国連も関わっている世界的に有名なイベントがありますが、こちらも大阪への誘致を進めています.それと、今年から大阪でもはじまる『国際紅白歌合戦』も応援していますよ!!(まだ小さいけどね)

加納國雄氏プロフィール
1944年 群馬県生まれ。群馬県立高崎高等学校卒業、米国ブリガムヤング大学マーケティング専攻学士号取得、米国サンフランシスコ州立大学にて国際経営学修士号(MBA)取得。1972年 マニュファクチャラーズ・ハノーバー銀行入社、1982年,同銀行証券駐在事務所設立、マネージング兼駐日代表に就任、1987年同銀行証券会社設立、マネージングディレクター兼副支店長に就任、1991年ロイヤルドルトン・ドッドウェル株式会社代表取締役社長を経て、1995年 香港政府観光局 日本・韓国地区局長に就任。在任18年間で、1997年の香港返還、2001年の9.11テロ、2003年のSARS、2009年の日本香港観光交流年、2011年の東日本大震災などを経験。2013年4月に大阪観光局初代局長就任。

 

 


インタビュー後の感想 
郡山めぐみ(関西学院大学4年) 
国際紅白歌合戦 IN OSAKA 実行委員会委員長
加納局長へのインタビューをさせていただいた中で、大阪へ足を運んでくださった方々へ対して日本ならではの「おもてなしのこころ」を持って迎え入れることを大切にしたいという想いに特に感銘を受けました。大阪に来られた「お客様」の満足のためには相手の立場や気持ちをよく理解し、客観的に自らを見つめ直すマーケティングをする必要があります。現在関西国際空港の出国カウンターにて滞在日数や滞在中の消費額、日本の満足度等を測るアンケートを実施・分析されているということで、観光立国・大阪としてその結果から見えてきた日本の新たな良さを更に伸ばし、外国人にとっての障壁を取り除く取り組みに行政と民間がひとつになって全力で取り組めば、2020年の来阪外国人650万人も夢ではないと心から思いました。更に素晴らしいと思ったのが、その関西国際空港でのアンケートのインタビュアーとして日本在住の留学生も起用しておられるということ。各々日本に魅力を感じて来日し、日本での生活の中で何らかの不便さを感じているであろう彼らをこの政策の一環に巻き込むことは大阪PRの点でも非常に助けとなるのみならず、留学生が日本への愛着を増したり自信を持てたりすることにもつながるでしょう。
加納局長率いる大阪観光局の取り組みに心から期待しつつ、私にできる「おもてなし」を模索していきたいと思います。

大阪の観光を一緒に盛り上げてくれる大阪サポーター募集中!!

何より仲間を大切に、GLOCAL な不動産会社でエキスパートを目指そう!!留学生 募集!

特集

何より仲間を大切に、GLOCAL(GLOBAL X LOCAL)
な不動産会社でエキスパートを目指そう!!


 
英語のできる外国人留学生大歓迎!!
社員に投資し、成長する機会を提供する人を大切にする社風!!
ベトナム、タイでも事業を展開中!!


日本で初めて『多文化共生都市宣言』をした神奈川県川崎市。そこで、地元貢献と国際化をテーマに掲げ、ユニークな事業展開をする不動産会社、㈱N-ASSETの宮川社長に学生時代から、起業に至る経緯、求める人材像についてお話を伺いました。

宮川 恒雄(みやがわ つねお)氏プロフィール

1971年京都府生まれ。1994年神戸大学卒業。伊藤忠商事株式会社に入社。1999年株式会社ノエルに入社。不動産オーナーの資産形成をサポートする部門を立ち上げ、多くのプロジェクトを成功させる。同社のジャスダック・東証二部への上場に貢献した後、2009年にMBOにて株式会社エヌアセットの代表取締役に就任。2011年に最初の海外拠点としてN-ASSET Vietnam Co.,Ltd.を、2014年には2拠点目となるN-ASSET(Thailand) Co.,Ltd.を設立。


宮川氏:大学時代は、サークルを立ち上げたり、イベントしたりと楽しく過ごしていましたが、遊びながら起業についても考えることもありました。そこで就職活動では、ビジネスを勉強できる環境はどこかと考え商社を受けたところ伊藤忠商事に採用され、不動産事業を体験しました。

そして、伊藤忠時代の上司が立ち上げた不動産会社に転職しました。転職当時、その会社は10名ほどの小さな会社でしたが、どんどん成長し、株式上場も果たしますが、リーマンショック後に、破綻してしまいました。

私のいた事業部も清算されることになり、残務整理後、入札されることになりました。一緒に働いた仲間を守るためにも、思い切って入札に参加したところ運よく、落札することが出来ました。株式会社N-ASSETはこのように苦労を共にした仲間と一緒に生まれた会社です。


 
だから、今でも会社の理想は、『サークルみたいな会社』です。(笑)

社員がのびのびと仕事を楽しめる会社で、やりたいことにどんどん挑戦できる機会がある会社にしていきたいですね!!

また、新しい会社の文化も創って行きたいので、6年前の社員数がまだ約30名の頃から積極的に新卒の採用を継続しています。

新入社員に求めるものは? 『素直さ』『チャレンジ精神』


我々が目指しているビジネスモデルは新しい不動産業であり、簡単なものではありません。

新入社員の方に一日でも早く仲間に溶け込んでいただき、戦力となっていただきたいので、『素直に』吸収する姿勢が大切です。そして、新しい仕事や環境に果敢に挑む皆さんの『チャレンジ精神』に期待しています。

また、この街は外国人の方達がこれからも増えてくると思います。そのような方たちがこの街で快適に過ごせるよう、今回は英語が出来る社員を特に募集します。


この4月から、英語と中国語のできる優秀な社員(元留学生)も入ってきますので、その社員とも協力しながら、エヌアセットグループのグローバル化に貢献してほしいと思います。


また、うちの社員の特徴として、社員同士がとても仲がいいんですね。仲間を大切にする人は、お客さんも大切に出来ると思います。不動産管理業は、サービス業だと思っていますので、そのサービスの質を絶えず向上させて、お客様に喜んでもらう姿勢を持っていてほしいですね。


(ベトナム・ダナンでの社員旅行)


現在弊社ではベトナム、タイでも現地に進出する日本企業をサポートする事業を展開していますが、日本国内ではまだまだ国際化は遅れています。したがって、国籍を問わず素直でやる気のある社員であれば、仲間になっていただき、時間をかけて不動産のプロに育てていきたいと思います。


そして、不動産業とは街の価値を高める仕事です。『地域と共に発展する』気持ちで、私たちのビジネスの拠点であるこの川崎市高津区を盛上げる活動にも積極的に参加し、GLOCAL(GLOBAL X LOCAL)を日本に、そして世界に広げていきましょう!! IT化が不動産業でもどんどん進み、当社でも効率化も進めていますが、私は、経営者の大きな使命は、雇用をどんどん作っていくことだと思います。ビジネスの拠点の地域に貢献し、地域になくてはならない企業体になれば、どんどん事業を拡大していくことは可能です。
そして、社員が楽しく働ける環境を作っていきます。利益を上げて、社員にどんどん投資していきたいですね!!

不動産業界をサービス業と捉えれば、時代と共にどんどん進化していく先端事業ともいえる。
不動産業界で様々な浮き沈みを経験した宮川社長の下、社員を大切にするGLOCAL企業、㈱N-ASSETで不動産業のエキスパートを目指してみよう!!

私はあなたをあきらめない

特集
自分自身の可能性に目覚めさせる『スタント・メソッド』で世界の若者を救う
 


マハテール元マレーシア首相とも一緒に講演



現地のマスコミでも大きな反響が。。
母国インドネシア・シンガポール・マレーシア、中国の政府や関係機関からも熱烈なラブコールを受け、それぞれの国で講演。スタント教授の教育にかける熱い思いは各国の悩める若者たちを奮い立たせた。その様子は、現地のマスメディアでも大きく取り上げられている。久しぶりに日本に帰ってこられたスタント教授に3人の学生がお話を聞いた。


(菅野勝男氏撮影)

Q:先生の子供の頃の様子や日本に来られた経緯をお聞かせください。

A:私は幼いころ両親を亡くし、とても厳しい継母に育てられました。病弱で邪魔者扱いされ家ではいい思い出はありませんでした。家にいるのがいやだったので、朝早く登校し学校の掃除をするようにしました。そのおかげで先生やみんなにも認められるようになったので、もっと認められたいと思い、熱心に勉強しクラスメイトや近所の子供たちにも勉強を教えはじめました。しかし、高校1年になったばかりの1965年、9.30事件反共産党クーデターで、新政府が全国の中国系インドネシア人の学校を閉鎖し、私たちは教育が受けられなくなりました。仕方なく兄の電子機器の販売事業を手伝いながら、自分も修理事業を立ち上げました。そしてその事業が大成功し、兄が裕福な生活を送れるようになったので、経済的な理由から高校や大学に行けなかった私は、もっと勉強したいという気持ちを抑えきれなりました。

エンジニア志望だった私は精巧な電子製品を作る日本に自然と惹かれ、そして、23歳で来日し、26歳の時に一般の年齢より8年遅れではありますが、ついに日本の大学に入学することが出来ました。東京農工大学で、電子工学を専攻し、東京工業大学で博士課程も修了しました。しかし、34歳を過ぎていた私には、日本での就職先はありませんでした。日本で就職する夢を諦められなくて、自分の条件をよりよくするために、もう1つの博士号を必死に挑戦して取得しました。そこで、工学・医学と2つの博士号をとりましたが、それでも日本では認めてられませんでした。日本で14年間がむしゃらに生きてきたのにまさかだめだとは。。。途方にくれていましたが、人生を再出発しようと決心し、日本がだめなら今度はアメリカしかないなあと思い、3人の幼い子供を残し、38歳で全く未知の最もレベルが高いといわれる米国の科学界に挑戦することにしました。「当たって砕けろ」の精神で、もう一度自分の人生を賭けてみることにしました。そして、幸いにも、実力を認めてくれるアメリカの大学が見つかり、念願の教職の仕事を得ることが出来ました。5年ほどアメリカで教鞭をとりましたが、東工大の恩師奥島教授の誘いがあり日本に戻って来ました。 


Q:どうしてアメリカから日本に戻ってきたのですか?そして、大学の教育改革に取り組むようになったのはなぜですか? 

A:私は日本で鍛えてられて、結果的に4つの博士号を取らせてもらいました。厳しい日本社会で鍛えられたお陰で今の私はあります。素直にその日本に恩返しをしたいと思いました。
しかし、赴任した大学で8割以上の学生が授業を理解していなくてもそのままにされていることに気づき、私の授業を受けている全員のやる気を燃え上がらせて見せようと決心しました。
母国や米国での実体験や日本の社会で否定されても何度も挑戦し続けた自分の体験を語り、彼らを励まし続けました。反面、授業にはとても厳しい姿勢で臨みました。授業はほとんど英語で行い、また英語でのプレゼンも学生に要求しました。はじめは学生たちもパニックを起こしましたが、こちらの真剣な気持ちが伝わると、学生たちも少しずつ努力するようになりました。どんな若者も本人も信じられないほどのすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。それを引き出してあげるのは、教育者の本気の姿勢です。大学では、やる気のある学生だけを相手にすればいいという考えがありますが、私は、誰一人として彼らを見捨てません。また他の先生にも生徒を見捨てないでほしいと思っています。



中国の大学の創立100年での記念講演

Q:子供のころ、愛情に恵まれなかったのに、先生のその限りない生徒への愛情はどこから沸いて来るんですか? 

A:私の子供時代はあまりに悲惨すぎて、他人に愛情を求めることが出来ませんでした。ただ、自然の中で遊び、生きていることに感謝するしか自分の存在意義を見出せなかったのです。しかし、子供たちに勉強を教えるうちに人に感謝される喜びを感じるようになりました。愛情は『人に先に与える』ことによって『与えられる』のです。厳しい家庭環境のお陰でそのことに気がつくことが出来ました。そしてその『先に与える愛情』には限りがありません。なぜなら、いつか必ずその気持ちが相手に伝わることを何度も経験して知っているからです。教師として教えた学生が成長していく姿を見ることほど幸せなことはありません。
私は、一人ひとりの学生がそれぞれの物語の主人公だと思っています。自分を好きになって自分らしい人生を送ってほしい。そのためには中途半端はだめです。多くの学生が涙を流すほど私の授業は厳しいので有名ですが、私は一人ひとりの学生に自分の夢を絶対にあきらめさせません。彼らの夢は私の夢でもありますから。
一見やる気のない学生ですら、本来はすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。私たち教育者には、彼らの隠れた本心と真剣に向かい合って、命がけで授業に取り組む姿勢が必要です。そうすれば必ず彼らは、本当の自分を取り戻し、自分自身の夢と向かい合い、自分の物語を作っていくようになります。人に作られたのではないオリジナルの人生を生きるようになります。そしてそれは大きな自信につながり、自分をどんどん好きになり、やがて人にも優しくなります。
 
カワン・スタント氏 早稲田大学臨床教育学研究所所長
カワン・スタント氏:早稲田大学国際教養学術院教授早稲田大学臨床教育科学研究所所長1951年インドネシア・スラバヤ生まれ、74年に来日し、エレクトロニクス技術を学ぶ。77年に東京農工大学の電子工学科へ入学。卒業後、東京工業大学、東北大学など4つの大学で「工学」「医学」「薬学」「教育学」の博士号を取得。88年、米デュレクセル大学工学部準教授、90年、トーマス・ジェファーソン医科大学医学部準教授を兼務、93年に再来日。桐蔭横浜大学工学部教授に就任し、「学生のやる気を引き出す」教育法を確立。2003年より現職。経済産業省産業構造審議会21世紀経済産業政策検討小委員会委員を歴任、米国超音波医学会、米国音響学会、日本音響学会、日本超音波医学会などでも受賞歴あり。著書 『「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか』(三笠書房)が、大きな話題に。
アジアの先進国としての大人の対応が必要


Q:日本に住む外国人が220万を超えましたが、今後日本の社会はどのように対応していけばいいと思いますか? 


A:日本はもっと留学生を大切にする必要があると思います。多くのアジアの学生たちは、アルバイトをしながらも本当によく勉強しています。日本の将来のためにも、彼らを暖かく迎えてあげる大人の対応が、アジアの先進国、日本社会には必要だと思います。アメリカの大学で5年ほど教鞭をとりましたが、いろいろな国の人たちを受け入れる寛容性がアメリカの人気の秘密ですね。一方、日本で学ぶ留学生は、日本のすばらしいところをもっと積極的に学ぶべきです。たとえば、日本ほどごみのポイ捨ての少ない国はありませんし、公衆道徳の面でまだまだアジアの学生たちが日本に学ぶことはたくさんあります。

2時間半の間少しも休むことなく、真剣に語りかける姿勢。溢れんばかりの情熱。インタビューに参加した学生たちもすっかり『スタント・ワールド』に引き込まれた。しかし、今はパワフルなスタント教授も、実は2度に渡って、あまりに閉鎖的な日本の大学組織にひどい仕打ちを受け、そのショックでうつ病になり、インドネシアで静養していた経験もあるのだ。そんな経験をしながらも今は日本で真剣に学生たちに向かい合っている。スタント教授の『一人の学生もあきらめない』という教育姿勢に基づいた魂に訴える教育法『スタント・メソッド』は学生だけではなく、多くの指導者達も感動させ、教育界のみならずビジネスの現場でもその効果が大きな注目を浴びている。たったひとりの元インドネシア私費留学生の『どんな時もあきらめない気持ち』が日本の社会を動かし始めている。 

グローバルコミュニティーでは、今後1年に渡り、『スタントメソッド』によって自分を取り戻し、元々持っている自分の可能性を開花させた人たちの様子を紹介していきます。ご期待ください。 

インタビューした学生たちの感想文 




(写真右)鈴木詩乃さん(東京農工大学)・・母親との関係に悩んで、精神的に安定していない時期もあり、母を責めることもありました。しかし、今回それはまったくの間違いだとわかり、母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自然と涙が出そうになりました。これは私にとって最も大きい変化です。スタント先生に会ってお話を聞いたことで、ずっと閉ざしていた自分の内面に新鮮な空気が入ってきたようです。酸欠状態だった私の細胞はただ今活動中です。細胞が活動することでエネルギーが得られ、力が湧いてきました。この力を就職活動や英語学習に向けていこうと思います。

(写真中央)新井誠さん(大東文化大)・・今回のインタビューは、終わった後の感想としてお告げを授かったかのような感覚でした。先生のお話の中で「社会が良くなるには馬鹿が必要だ」という言葉が印象に残っています。馬鹿とは愛のある馬鹿、人の為に尽くせる人間の事です。また、世界で活躍される先生のお話から日本はグローバル化を早急に進めないといけないと本気で思いました。今、行なっている通訳ガイドボランティアの活動やグローバルコミュニティの取り組みで、少しでもいいから海外の方に愛されるみんなが仲良く住める日本社会を一緒に作って行きたいと思いました。

(写真左)スチントヤさん(レイクランド大学)・・先生のポジティブな考え方と人に尽くす考え方には頭が下がります。留学生は、日本の社会に対して閉鎖的な面を見がちですが、日本のすばらしい面はもっと見習っていくことが大切だとあらためて感じました。先生のような方が私たちと同じ一私費留学生として日本でアルバイトをしながら、苦学されていたことを思うととても励みになりました。
 
 
 
 
 
「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか
面白いように「やる気」が目覚める9つの方法 


「負け組み」だと思っていた学生たちが、スタント教授の講義を受けると変わっていく。優良企業の採用担当者や、社長までもが、「おたくの大学生が欲しいのですが」とやってくる。あきらめない教育者の本気の姿勢が学生たちに本当の自分を取り戻させる。どんな状況でも生徒を信じてベストを尽くす魂に訴えるスタント教育法がわかりやすい事例で紹介されている。就職に悩む若者だけではなく、現役の教員の人たちにもぜひ、読んでほしい1冊だ。

《「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか

留学生インターンシップ  就職に繋がる実践型インターンシップ

特集

留学生インターンシップ 就職に繋がる実践型インターンシップ
編集者より

 
今年で8年目を迎える留学生インターンシップ制度へお問い合わせをいただ きありがとうございます。1期目の修了生は続々と優良企業に就職を決めたり、インターンで培った自信で新しいことにチャレンジしています。JPM留学生インターンシップ制度は日本の会社を体験できる数少ないチャンスを提供します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

日本の再生はここからはじまる

特集

日本の再生はここからはじまる

No.1 No.2
留学生や日本人学生が地域の人たちと協力して新しい未来を切り開く
高島平団地、日本で一番大きく、歴史のある団地で日本の大学生と留学生が地域の活性化に目覚めて大きな問題に挑戦している。 新しい地域と大学の関わり方を探るため、このプロジェクトの発起人で、ある大東文化大学の山本教授と大学職員の井上さん、活動中の大学生、留学生や地域の人たちにお話をお聞きしました。
 
カテゴリ名:
 
国際交流のイベント参加者で記念写真
1:高島平のプロジェクトを始めようと思ったきっかけは何ですか?
(山本教授)

かつては3万人以上が住んでいたといわれる高島平団地も、今では65歳以上の高齢者の割合が35%近くになり、超高齢化団地となりつつあります。また少子化が進み今後、以前にもまして大東文化大学も地域との連携が大切になって来ています。社会全てが内向きになっている状況を大学側と地域の人たちが協力して打破しようとの思いで情報交換をスタートしたことがこのプロジェクトの始まりです。最初は関係者の賛同を得るのに苦労しましたが、触れ合う間に、少しずつ雰囲気が変わり始めました。現在は大学や文部科学省からの補助も得て、高島平団地の空室を大学側が借り上げて希望学生に家賃の一部を大学が負担する形で、留学生9人を含む学生16人が入居しています。

地域通貨「サンク」の普及活動や、団地の活性化事業や広告・出版・映像事業などの展開も計画中ですし、昨年まで学生だったスタッフ(井上温子氏 後述)も大学の職員としてプロジェクトに関わり、学生と地域の人たちが以前にもまして自主的にプロジェクトの企画、運営に携わるようになってきています。



2:住民の方々と留学生や日本人の学生たちとの関わりについてお聞かせ下さい。
(井上温子大学職員)

カフェサンクという団地の店舗スペースを利用した交流スペースが5月にオープンしました。そこで学生たちや地域の方々が自主的に様々な行事や講座を企画しています。
留学生や日本人の学生が中国語、韓国語、英語などを教え、地域の人たちは子供に絵本の読み聞かせをしたり、外国人のための日本語教室などを開催しています。全ての講座は、関わる人たちのボランティアで成り立っていますが、報酬の代わりに地域通貨「サンク」が発行されます。サンクは地域の加盟店でポイントとして利用ができますから、間接的に地域の経済的な活性化にも役立つことになりますね。


3:このプロジェクトを通してどんなことを感じられましたか?

(山本)
日本の社会が内向きになっていることですかね。自分のテリトリー以外のことは関係ないという姿勢は正さないといけないと思います。パイがどんどん大きくなる成長社会が終焉を迎えているのにまだそのことに気がついていない人が多いように思います。今、一番そのことを理解しないといけないのは学生でもなく、地域住民でもなく、大学の教員だと思います。大学は少子高齢化の大きな波を受けているにもかかわらず危機感がない。このことが一番心配していることですね。教員が学生の自主性を尊重して、どうしたらやる気を起こすことが出来るかを真剣に考えなければならないと思います。ますます、大学の枠を超えて、地域や他の大学とも連携して学生の学ぶフィールドをどんどん広げていくことが重要ですね。


4:自分の将来を決めかねている学生にメッセージをお願いします。


(山本)
損得だけで物事を判断するのではなく、本当に今の自分に重要なことは何かを自分自身に問いただしてみてください。高島平には日本の社会が抱える問題が山積しています。しかし、ここに集まった学生たちはその問題に果敢に挑戦して、失敗してもまた新しいやり方を考えて仲間たちとがんばっています。周りの大人たちも経験の少ない彼らが懸命に一つのことに取り組んでいる姿をいつまでも傍観しているわけにはいきませんよね。
カフェサンクでも志のある大人たちが学生たちをサポートする体制が出来つつあります。
一度、カフェサンクに来て見てください。きっと新しい出会いが待っていますよ。

(井上)
ここにはそれぞれの個性を活かしあって助け合える仲間が大勢います。
「自分が出来ること」で周りの人たちを幸せにする、こんなにすばらしいことが実現できる舞台がここ高島平団地にはあります。私も去年まで学生でした。協力してくれるはずの学生が急にこれなくなったり、時間をかけて行事の計画してもぜんぜん前に進まないこともたくさんあります。しかし、山本先生のおっしゃる通りとにかく前向きにがんばっていると色々な人たちとの出会いの中で不思議と道が開けてくることもありました。
一度、カフェサンクに遊びに来てください。私たちと一緒に大きな夢を共有し、その夢をいっしょにかなえていきましょう!!
 
 
 

大東文化大学 山本教授

カテゴリ名:
山本 孝則 教授 大東文化大学 環境創造学部 環境創造学科 やまもと・たかのり 1948年東京生まれ。81年武蔵大学大学院経済学研究科博士課程修了。89年大東文化大学経済学部講師。92年同助教授。97年同教授。01年より現職。この間に94年独ハノーバー大学客員教授。主な著作に『現代信用論の基本問題』(以下いずれも日本経済評論社刊)『不良資産大国の崩壊と再生』『環境創造通貨』(共著)などがある。 山本先生が主宰する「環境創造学と環境創造通貨サンクのページ」の URLはコチラ ↓ http://members.at.infoseek.co.jp/tyamamoto/
 

みんなで東京にオリンピックを呼ぼう!!

特集
2016年東京オリンピックを望む学生の会
2006年からオリンピック招致の運動に積極的に関わっている学生団体
 
テレビで見た石原都知事の、『未来の若者のために東京で2016年にオリンピックをやりたい』という話を聞き、当時の大学生有志が学生という立場を生かし、オリンピックのPRをしようと2006年に立ち上げた団体。オリンピック招致の署名活動をしたり、オリンピックの記念の場所をめぐるツアーをしたりしながら、学生らしい招致活動の草の根ムーブメントを起こしていく為の活動をしている。オリンピックの招致関連のボランティアも努めた森崎さんと大友君に話を聞いた。
 


「スポーツの力」をオリンピックで体感したい! オリンピックキャラバンで東京から福岡まで2ヵ月半かけて各地を訪問。主に大学や学生団体、NPOなどを訪問し、77日間で6,089kmを移動しながら、今回の環境や障害者の人たちに配慮した新しいかたちのオリンピックを訴えた

学生の会の皆さんが行った、オリンピックキャラバンについて教えてください。

2007年12月1日の出発式には、元ノルディックスキー競技選手で金メダリストの荻原健司さんが駆けつけてくださり、旅先では北京オリンピッ ク トランポリン日本代表の廣田遥選手、アテネオリンピック 水泳銀メダリストの山本貴司さん、阪神タイガースの若竹竜士選手など、数々のアスリートの方々にお目にかかりました。また大学やNPO、議員の方まで幅広 い分野の2000名以上の皆さんと交流させていただきました。



 こうした活動を地元のラジオや新聞に取り上げていただくことで、私たちのオリンピックに対する想いを日本全国の皆さんに届けると共に、地方に住む皆さんが抱いている想いを直接うかがうこともできました。とても学ぶことの多いオリンピックキャラバンだったと思います。


森崎さんは外国人との関わりがこの運動に関わる
きっかけになったということですが。


サッカーW杯の時の出会いで、私の人生は大きく変わりました。
当時私は中学2年生だったのですが、お台場で私が今まで見たことがないフェイスペインティングをした楽しそうな外国人の人を大勢見たんです。お祭りのような雰囲気だったの
習いたてのつたない英語でその人たちに話しかけたんです。そのつたない英語を外国人の人たちは一生懸命聞いてくれてとっても楽しかったんですね。楽しそうな皆さんの仲間になれたようで、外国人の人との出会いが私の人生を変えたと思います。
この運動に関わってオリンピックを日本、東京で行うことが出来れば、子供たちにも私に起こった出会いを作ってあげることが出来ると思います。
東京オリンピックをきっかけに、そこから新たにたくさんの夢が生まれてほしいですね。
 


大友さんが学生の会に関わって感じることは何ですか?

この運動に関わるまでにいろいろな人権活動や環境イベントに参加したことがあったのですが、自分の好きなスポーツと関わりながら社会的な活動をしたいと思ったんです。
今回の東京オリンピック招致には環境問題に対する明確な提言があって今までのオリンピックとは少し違った側面も持っています。環境問題は一人ひとりが関わっていかなければいけない世界の共通の問題だと思います。2016年に東京でオリンピックが行われれば、世界中のみんなが環境問題に対してもっと関心を持って前向きに取り組む気持ちが沸いてくると思います。
 

森崎ゆりやさん(2016年東京オリンピックを望む学生の会代表) プロフィール

生年月日: 1988年9月24日生まれ(20歳)
在学校: 青山学院大学国際政治経済学部国際コミュニケーション学科2年
将来の夢: オリンピックのように、“リアル”によって人の心を動かすこと。
2016年東京招致実現に向けてひと言:
  サッカーW杯のときの出会いにより、私の人生は大きく変わりました。2016年の東京オリンピックを夢で終わらせるのではなく、実現し、そこから新たにたくさんの夢が生まれてほしいです。


全人類が直面する環境問題に正面から取り組んでいる
東京オリンピックの招致運動を応援していきましょう!!


2016年東京オリンピックを望む学生の会の活動

https://www.shochi-honbu.metro.tokyo.lg.jp/bid-committee/jp/news/2009/03/vol3_2016.html