2024/11/18 20:48

特集

海の再生に人生を賭ける

特集
 

海の破壊者から
海の救世主になったプロダイバー
 
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プロダイバーの渋谷正信さんに
グローバルコミュニティーインターン生の
ランス・トロング君がお話を聞きました
 
 
 
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渋谷正信氏プロフィール:「渋谷にできない仕事はあきらめろ」といわれるほどの潜水工事の第一人者。本四架橋、羽田空港、東京湾アクアラインなどの多くの水中工事でも活躍。最近は、長年の調査に基づいた海の再生プロジェクトで、日本国内はもとより世界でも注目を浴びている。TBS系列 情熱大陸、夢の扉に出演.また忙しい仕事の合間を縫って、教育機関での講演で海を守る大切さを伝えている。


Q:海を守る活動をするようになった経緯を教えてください。

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25歳よりプロダイバーとして働き始めたが、私は、『誰よりも長く、誰よりも深く潜る』が信条で、潜水技術と体力には、誰にも負けない自身があった。そして、32歳で潜水工事会社を設立。しかし、最初の大きな潜水工事の仕事で潜水病を発症。3ヶ月の入院生活の中で人間は弱いものだと初めて気がついた。だが、その先にもまだ人生の試練が待っていた。私が人の気持ちをあまり考えず、社員にあまりに厳しいことを要求していたために、社員全員が一度に辞めてしまったのだ。
とても情けない気持ちになり、それ以降、精神的な世界の本を読んだり、ヨガなども始めた。そこで学んだ思いやりの気持ちで日々、自然や妻と接しているうちに『静かなものの中にある強さ』『女性の強さ』を深く感じるようになった。なにも言わず支えてくれる妻にも感謝するようになり、海に潜っても忘れかけていた自然の美しさを再発見するようになった。『こんな美しい海を私は水中工事で破壊し続けていたんだ。』それまで行った過去の工事を振り返り、日々後悔の念を感じ、仕事を辞めたいと考えるようになった。

『海を守ろう!!目覚めるきっかけになったアクアラインの工事』



迷いを払拭できない状態の中で、東京湾アクアラインの仕事が始まった。最初の作業として、「風の塔」と呼ばれる換気装置を据え付けた。しばらくして、その構造物に潜水し、調査してみると、黒鯛が住みついていたのを発見した。その瞬間に今まで携わった工事後の海で魚が戻ってきていた状況が次から次と目に浮かんできた。そして気がついた。

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『水中工事のすべてが悪い訳ではない。やり方次第で魚たちが住みやすい環境を作ることができるはずだ。』 それ以降「環境と開発の両立」や「潜水を通しての心の教育」に人生を捧げる決心をした。生物については、元々専門家ではなかったため、自分で海草や魚などについて一から勉強を始めた。そして、過去に携わった現場に戻り、写真やビデオで工事の後の海を徹底的に撮影して研究した。そして、私たちが提唱する海の環境にやさしい水中工事のスタイルが、少しづつ注目されるようになり、最近はテレビなどのマスコミでも取り上げられるようにもなった。ついに自分の見てきた水中の世界の現実に光が当たりはじめのた。長年地道に活動してきて本当に嬉しかった瞬間だ。
日本の海は、今危機的状況にある。魚や貝の栄養になる海草が急激に減少しているからだ。その現状をまず出来るだけ大勢の人たちに知ってほしい。ちゃんと手当てをすれば、まだ、いろいろなところで海の再生が十分に可能だ。

Q:留学生や若い読者の人たちにメッセージをお願いします。

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私は海のテロリストだった。しかし、今は海を守ることに全精力を捧げている。今はあなた自身も環境を破壊しているかもしれない。しかし、今からでも遅くはない。どんな人にも素晴らしい聖なる心があると思う。嫌なことがあってもそれを乗り越える力だとか、人に親切にするとか、そういう心をみんな持っている。これから先、何度も失敗もすると思うし、嫌なこともあると思うけど、時には自然の美しさに触れ、できるだけ多くの人に優しい言葉を掛けて、前向きに毎日を送ってほしい。

湾岸戦争で海が重油で汚れているのを見ていたたまれず、海をきれいにしようと現地でボランテイアをした経験を持つ渋谷さん。自分が大切だと思ったことは躊躇なく実行に移す実行力。60歳になった今でも、先頭に立って自分自身も海に入っていく渋谷さんの姿勢から学ぶことは多いと思う。今私たちに望まれているのは議論でなく行動だ。

 
 
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 インタビューした学生の感想文 ランス トロング さん  オーストラリア モナッシュ大学  日本語・ジャーナリズム専攻

日本だけでなく、世界中で尊敬を受けているプロダイバーに話を聞かせていただいたのは、貴重でユニークな体験でした。若者の一人として、多種多様な経験を持っている人と会うことは勉強になり、自分のこれからの人生を考えさせられました。また、渋谷さんの環境再生の活動やそれまでの経緯を聞いた時、「単にプロダイバーの第一人者というだけでなく、社会貢献活動の第一人者でもあるんだ。」と、更に渋谷さんへの尊敬の念が深くなっていきました。現在の様々な環境問題を抱えている地球にとって、こういう人こそ救世主ではないかと思います。
 

いい体験が人や組織を変えていく

特集
キーワードは『母性』。お互いが『与え合う感覚』を何より大切に。
普通の主婦から映画プロデユーサーへ転進。初めて作った映画が日経地域情報化大賞・「日経MJ賞」を受賞。映画製作を通して人の心に火を付け、地域を再生していく越後啓子さんにお話を伺いました。
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映画のプロデューサーになるまでの経緯を教えてください

主人の仕事の関係で東京から福島県白河市に移住したとき、慣れない土地で子供がまだ小さかった専業主婦の私は、まず、子供の学校のPTA活動に参加し、町内でのコミュニケーションに努めました。次第に多くの友人知人ができ、東京での人脈を活かし、講演会やイベントを主催するようになりました。しかし、私も含めて周りは今までイベントなど主催したことのない主婦達ばかり。様々なトラブルもありましたが、素人のみんなが気持ちをひとつにして地域の人たちの応援を得ながら、何とかイベントを成功させることができました。今までそのような活動に縁のない主婦の方々が涙を流して喜ぶ姿を見て、人が持っている現場力や普段は気がつかない人の魅力を実感することが出来ました。本当にいい経験でしたね。その後、熱心な若い製作スタッフ達との出会いがあり、地域の活性化にも繋がると思い、白河市でのロケ支援を提案。制作スタッフ達の熱意も伝わり、前代未聞の地域住民とプロのスタッフとで創る、映画製作のプロジェクトがスタートしました。それを契機に映画会社を設立し、プロデューサーとして本格的に映画に関わるようになりました。

映画作りで学んだことは何でしょうか

映画を通して、製作に関わる人達全員が、自然にテーマを共有し、映像に撮られることで町が変化していく姿に感銘を受けました。今までは、どうしても変わらなかったことが映画の撮影を通じて変わっていったのです。大事なことは、技術、手法、お金だけでなく、製作に関わる人たち、一人一人のモチベーションをどれだけ上げられるかということだと実感しました。

越後さんにとって教育とは何でしょう

教育とは「いい経験」を積み重ねることだと思います。たとえば、町おこしの映画の製作でも最初は大変ですが、製作に関わる人たちが映画を作るという目的に結集すれば、町の組織自体さえ変わっていくこともあります。限られた時間の中での撮影でも変更や新しい提案が次々出てくるので、組織のルールでいちいち許可を取ったりしていては時間が間に合いません。そこで、トップの方と相談して、トップダウンで直接指示を出してもらう体勢を作りました。ある自治体では、映画の撮影がキッカケになり、その後もトップ直結のプロジェクトが増えたようです。「いい経験」をすれば人は自然と学びます。既成概念にとらわれず、とにかくやってみることですね。

教育に関して、私の心のあり方の原点は母性ですが、女性の持つ子供を生み育てていく感覚が、映画作りや組織の活性化にも大切だと思います。子育ても映画のプロデュースも予定通り行かないのが当たり前ですが、自分を犠牲にしてでも、家族のために、あるいは映画のために臨機応変に対応していく柔軟性が母性にはあると思います。男性的な社会はある意味、奪い合う社会かもしれません。しかし、母性の強い女性的な社会は与え合う社会といえるでしょう。日本のいろいろな意思決定の場所で大切なものを守るために、今後女性の与え合う感覚が必要とされてくると思います。



今後、日本に多くの留学生が増えていくことが予想されますが日本はどのように変わっていくと考えていますか

これからますます民族の移動が活発になり、特にアジアの人々との関わりが大切になってくと思います。その中で留学生達の独自の役割を作ってあげないといけないと思います。例えば、通訳でも単なる機械的なものではなく文化を超えたコミュニケーションという重要な役割を担っているのです。そのように別の視点からみて役割を与えること、工夫することが大切だと思います。

今後はどのような活動を行っていく予定ですか

今は、人それぞれが持っているキャリアに注目して活動しています。社会で長く働いた人は勿論、若い人でもそれまで生きてきたキャリアがあります。経験や年齢、性別のみで人を判断せず、ひとりひとりが持っている感性を大切に育てていける組織を作っていきたいですね。
そこでもキーワードは『母性』です。お互いが『与え合う感覚』を何より大切にしていきたいです。

地域活性・教育改革の仕掛け人

越後啓子氏 プロフィールこれまでの概念を覆す映画制作法を次々と展開。期間限定型のパートナーシップマネジメントで、地域を巻き込む手法は、ビジネス・地域活性の分野でも注目され全国からの講演依頼も多い。映像の魅力を通じて、子供達の教育環境改善を図りたいという強い願いを持つ。 洞爺湖サミット公式記念上映作品/環境映画「KIZUKI」・文部科学省2008年第20回生涯学習フェスティバル・「まなびピアふくしま」記念事業作品/映画「春色のスープ」などのプロデュースに参加。 多くの地域の特性を生かした教育改革のプログラムで活躍。今もっとも注目されている地域活性・教育改革の仕掛け人のひとりである。
インタビューした学生の感想

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三浦宏起さん 慶応大学4年 

インタビューの際、越後さんは今まで多くの自治体や地域の悩みが、映画作りを通して、解決していったとおっしゃっていました。映画作りには、人や地域を変えていく「きっかけ」になる様々な要素があるようです。「良い経験」は、悩んでいたこと、改めて実感すること、今まで意識しなかったことなどを気づかせてくれます。そして、気づきこそが新たな創意工夫を生む第一歩であると思うのです。私もこの取材活動を通じ新たな気づきを得て、皆様に提供していけるよう頑張りたいと思いました。

心のバリアフリー 成田真由美選手

特集
パラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!
心のバリアフリーパラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!昔は水泳が苦手だったというパラリンピック水泳の金メダリスト成田真由美さんにお話をお聞きしました。
Q:成田さんはよく学校で講演をされるとお聞きしましたが、どんなことを子供たちに伝えていますか?

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A:ひとつは、簡単にあきらめないこと。あとは仲間を大切にすることですね。私は子供のころはプールが大嫌いでした。その私でも泳げるようになって、金メダルを取る目標を持ってからは最後まであきらめませんでした。だから誰でもあきらめなければ必ず出来ると思います。トレーニングはつらいですが、プールサイドには応援してくれる仲間がいます。その姿を見ると仲間のためにも頑張ろうという気が起こりますよね。

Q:成田さんは、大きな手術や入院を繰り返してもそのたびに、驚異的に復活して活躍されていますが、そのエネルギーはどこから来ていますか?

A:私の場合はいつもどんなアクシデントがあってもその苦しさの後に、必ずそれ以上のいいことが待っていると信じています。だからいつも諦めませんでした。逆に苦しいことがあれば、またその後にいいことが待っていると希望を持ってその苦しさと付き合っていくことが出来ました。

Q:パラリンピックでの思い出に残るシーンや出来事は何ですか?

A:アトランタとシドニーのパラリンピックで競い合ったドイツのカイ・エスペンハイン選手は、すばらしいライバルであり親友でもありました。ある時、彼女が危篤状態と知りましたが、私自身も入院中で動くことも出来ず仕方なく、5日で急いで折った千羽鶴をカイのお母さんに送りました。しかし、千羽鶴が届いたのは彼女の死の1日後でした。34歳志半ばで亡くなった彼女のためにも、また頑張ろうという気持ちになりましたね。パラリンピックの大会の後、ドイツにあるカイの墓をたずね、彼女が得意としていた背泳ぎで獲得した金メダルを墓前に供えて来ました。私が水泳を続けてこられたのもカイのようなよきライバルにめぐり会えたからだと感謝しています。カイは私の心の中で今も生きている永遠のライバルですね。

Q:東京にパラリンピック・オリンピックを呼ぶためには何が大切だと思いますか?

A:『心のバリアフリー』ですかね。障害を持つ人たちへの考え方を変えてほしいと思います。障害者は日本ではまだまだ活動が限定されています。実は私は健常者の水泳大会にも出ていますが、前例がないといわれ最初は出場できませんでした。しかし、前例がないのであれば私が作ろうと思い挑戦し続け、今では参加できるようになりました。最初はいつも最下位でしたが、出場しているうちにだんだんと順位も上がってきました。ある時、泳ぎ終えた後観客席から拍手が沸きあがったのですが、障害者というより、単なるアスリートとして拍手をしてもらったように感じて、本当にうれしかったですね。
この頃小中学校でも、障害者の生徒が健常者の生徒といっしょに学んでいるところがありますよね。そんな学校では私が講演にいっても子供たちはじろじろ見ることもなく、普通に対応します。出来れば一度、競技として障害者のスポーツを見てもらえればいいと思います。障害者の大会でも同じようにスポーツとして十分に楽しめますよ。

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心のバリアフリー。障害者の人でも、外国人の人でも自分とは少し違うと思っても積極的に受け入れることが大切だと思います。そしたらもっと心が豊かになりますね。
「私は人との出会いに恵まれています。」という成田さん。とっても明るく、何事においても積極的な人で、お話しているだけで周りを明るくするひまわりのような人でした。すばらしいお話ありがとうございました。

成田真由美さんプロフィール

神奈川県川崎市出身のパラリンピック水泳選手。アトランタ、シドニー、アテネ、北京と4大会連続出場し、合計15個の金メダルを獲得(うち13個は世界新記録付)。その圧倒的な強さから「水の女王」と呼ばれる。水泳以外のスポーツは万能の少女時代をおくるが、中学生のときに 横断性脊髄炎を発症、下半身麻痺となり以後、車椅子生活をおくる。趣味は料理とドライブ。障害者への理解を求め、全国各地で講演活動も行っている。1997年には勤務する日本テレビの番組「24時間テレビ」の中で、鹿児島県錦江湾で12キロの遠泳に挑戦。8時間かけて完泳した。大きな手術や長期の入院を繰り返しながらも、そのたび毎に困難を新しいエネルギーに変えて、周りの人たちさえも元気にしてしまうスーパーアスリート。

今どうして通訳ボランティアガイドなのか?

特集
ボランティアガイドという仕事について
 
 
思いやりのある言葉は短く簡単なものであっても、
その反響はじつに無限である。(マザー テレサ)
Kind words can be short and easy to speak,
but their echoes are truly endless.(Mother teresa)
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今どうして通訳ボランティアガイドなのか?

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世界は今、急速な国際化社会に向かって、突き進んでいます。日本も例外ではありません。大都市圏では、国際結婚のカップルが10組に1組を数え、いろいろな国から来た留学生や働く外国人の人たちを目にすることも珍しくなくなりました。しかし、一般的にはまだまだ日本に住んでいる外国人の人たちと親しく付き合っている人は少ない状況です。ましてや海外からの観光客との接点などはほとんどない人が大半ではないでしょうか。
ここ数年は1700万人以上の日本人が海外に旅行やビジネスで渡航しています。そこで多くの人たちは現地の普通の人たちの『やさしさ』や『思いやり』の気持ちに感銘を受けて帰国しています。

けっして、日本と比べると豊かとはいえない国の人たちがいきいきと生活していて、外国から訪れている自分たちを歓迎してくれる。

そろそろ、私たち日本人もこころをオープンにして、日本に住んだり、訪れたりしている外国人の人たちを暖かく迎え入れる必要があるのではないでしょうか。通訳ボランティアガイドの業務はその歓迎の気持ちを伝えていく大切な使命を持っています。
 
ボランティアガイドという仕事について

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皇居東御苑大手門にて

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明治神宮参道にて


東京シテイガイドクラブの深谷さんに通訳ボランティアガイドについてお聞きしました。

通訳ボランティアガイドを始めた動機は何ですか?

私もそうですが、多くの通訳ボランティアガイドの皆さんは海外で外国の人たちに親切にしてもらった経験を持っています。その親切に日本に来る外国人の人たちを案内することで恩返しをしていこうという気持ちで活動されている人が多いですね。

東京シティガイドクラブはどのようなブラブですか?

この東京シティガイドクラブは『東京シティガイド検定』という試験に合格した人たちの有志が集まって出来たクラブです。最初は得意の分野別に分かれて研修や勉強会をすることから始めました。勉強会を続けるうちに『東京』という大都市についてもっと勉強してみたいという気持ちがわいてきました。みんなで街を歩きながら東京の持つ歴史、文化、風土に直に触れることの楽しさ、メンバー同士の交流もとても楽しくて知的な満足感も得ながら外国人観光客の人たちにも喜んでもらえるすばらしいクラブです。


外国人の観光客はどのように案内するのですか?

勉強会で知識をつけ、自信が持てるようになると、次はこの喜びを少しでも他の人たちにも伝えてあげたいと思うのは自然の成り行きだと思います。現在は23のモデルコースを作り海外の人たちを案内しています。観光客だけではなく、在日の外国人、留学生の団体など日本に住んでいる外国人の人たちを案内することも多いのですが、日本の文化についてあらためて感じることの出来る体験が出来たととても喜んでもらっています。

東京観光を通じた文化交流本当に楽しいですよ。こんなに楽しく、知的で、語学の上達にもなる経験はなかなか他では体験できないと思います。
新しい『東京の魅力』も発見できるし、日本の文化に対してもっと興味も沸いてくると思います。また一番うれしいことは、案内した人たちが本当に喜んでくれることですね。
人にこんなに喜んでもらえることが身近に出来て、文化交流にもなる。通訳ボランティアガイドって本当に楽しいですよ!

メンバーはシニア層や社会人がほとんですが、若い人たちも十分に楽しめますので、外国人の友人を誘って一度ツアーに参加してみてください。そして一度、あらためて『東京』を外国人の人たちと一緒に体験してみてください。
(注:日本人の方だけでの外国語での案内はしていませんので、必ず外国人の人たちと一緒に参加してください。)

あと、外国人で困っている人を見たらぜひ声を掛けてあげてください。
その一言が相手にとってどんなにうれしいことか、ほんの一言でその国の印象が大きく変わることもありますから。

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NPO 法人 東京シティガイドクラブ事務局
〒113-0024 文京区西片1-15-15
春日ビジネスセンタービル10F  (東京観光財団内)
TEL・FAX 03-6912-1518
http://tcgc.5.pro.tok2.com/index.html
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観光庁でインターンとして活躍する留学生

特集
『住んでよし、訪れてよし』の国づくりを目指して
観光庁で2008年12月より3ヶ月の予定で中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちが、インターン(行政体験研修)をしている。『開かれた観光庁』を目指す取り組みの一環として外国人の視点を観光行政に活用し、外国人留学生のキャリア形成支援や観光行政に対する理解を深めてもらうのが目的だ。
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中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちへのインタビューはこちら
観光庁の業務に関連する以下の課題について、観光庁職員からのレクチャーや関係者へのヒアリングを交えつつ研究を行います。

(1)外国人観光客の受入のための環境づくり(観光地域振興課)
関東エリアにおいて、外国人観光客に人気のあるモデルルートを選定し、その受入体制が、外国人観光客にとって「理解しやすく」、「使いやすいもの」であるかとの観点からの研究を行う(12月に実施予定の「外国人によるひとり歩き点検隊」にも参加)。

(2)在留外国人の視点からの観光プロモーション手法の開発(国際観光政策課)
我が国に住む外国人のネットワークを活かした観光プロモーション手法や、日本人が気づいていない外国人に評判の観光スポット等の発掘など、在留外国人の視点からの観光プロモーション手法の研究を行う。

(3)観光プロモーション手法の比較研究を通じた戦略策定(国際交流推進課)
日本に事務所を置く各国政府観光局へのインタビュー、インターネットによる情報収集、文献調査等を通じ、日本と外国の観光プロモーション手法に関する比較研究を行う。

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『観光とは自分の生活文化にほこりを持つこと。
住んでいる人たちが楽しそうに暮らしているのを見て観光客が集まってくる。』



島田 晴雄氏 千葉商科大学学長 
観光立国推進会議ワーキンググループメンバー


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1943年生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、米ウィスコンシン大学で博士号(労働経済学)を取得。以後、MIT(マサチューセッツ工科大学)、フランスESSEC(経済経営グランゼコール)の客員教授を歴任。OECDやILOのアドバイザーを務めるなど、わが国有数の国際派エコノミスト。政府税制調査会特別委員、観光立国懇談会委員、内閣府特命顧問なども歴任。学術研究の傍ら、新聞、雑誌、テレビなどでも活発な言論活動を行っている。著書は『雇用改革 「雇用の質」を改善せよ』(共著)(東洋経済新報社 2007年)『成功する!「地方発ビジネス」の進め方』(かんき出版 2006 年)など多数。


外国人の留学生の活用について:

『外国の文化を理解している人たちが観光産業に入るといい。研修実習制度をもっと今以上に業界団体も取り入れるといいであろう。』

学生へのメッセージ:

『外国人の留学生は問題意識があるからいいが、日本人の学生は問題意識がない人が多い。』『これから、日本人の活動の中心はますます海外になっていく。海外を見ないような
学生はこれから生きていけない。外国人の友達もいっぱい作って英語だけではなく
中国語やスペイン語も勉強しよう。そして世界に出て行こう!!』

中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちへのインタビューはこちら

観光は国際化、地域活性化のキーワード

特集
観光学科 鈴木教授にお話を伺いました
外国の人たちといっしょに日本の郷土のよさを再発見する旅に出てみよう。
桜美林大学 鈴木教授
呉英姫さん(学習院大学)
いよいよ、10月1日に観光庁がスタートします。
今回は、『観光立国』を目指す、日本の観光に向けての取り組みを大手旅行会社の経験を生かして観光業に様々な提案を投げかけている鈴木教授に中国人留学生の呉英姫さんがお話をお聞きしました。
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地域の時代が到来!!
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1:観光の重要性についてお聞かせ下さい。

日本を元気にするため、特に地域産業を活性化するためには、『観光』は非常な重要なキーワードです。日本は最近までアウトバンド(日本人が海外に行くこと)が多く、インバウンド(外国人観光客を日本に迎えること)が非常に少なかったのですが、日本国内に観光客を海外から迎えることは日本の真の国際化にも非常に有効なことですね。色々な国からお客さんが来ると地域にも活気が出て、みんなが自分の故郷に自信を取り戻すきっかけになると思います。
あと、観光は色々な産業を活性化する起爆剤にもなります。観光客を迎えるお店や宿泊施設、
新しいおみあげの開発なども考えられます。

2:日本の一番いいところは何だと思いますか?

この小さな国土に北海道から沖縄まで各地域で多種多様な特色があるところですね。四季折々の自然や郷土の料理もすばらしいですし、温泉にしても各地で本当に特色があります。日本人特有のホスピタリティーももっと日本人が外国人を理解して、地域に誇りを持てば、それ自身が大きな観光資源になりますね。

3:日本が観光立国になるためには何が一番必要だと思いますか?

外国人の人たちといっしょに日本のすばらしいところを見つけ出す努力をすることだと思います。自分たちが普段、当たり前になって見逃しているものでも外国人の人たちにとっては、とっても魅力のあるものかもしれませんね。
旅行業界の公共の組織や大手の企業などももっと、外国人の人たちがリーダーとして活躍する場をもっと作っていくことが必要ではないかと思います。また日本に長期で滞在している留学生や外国人の人たちに住み心地のいい国だと思ってもらうことも大切ですね。
彼らが日本を好きになって帰国してくれれば、それが1番のPRになります。


4:観光業界に興味のある学生たちに何かメッセージをお願い致します。

旅行のプロを目指してがんばってもらいたいですね。私のところの学生でも
旅行の資格をとって、がんばって大手の旅行会社に入った中国人の留学生もいます。
彼は、入社3年目にして北京オリンピックの時に現地で重要な役割を果たしました。
日本人の気がつかないことでも外国人であれば分かることがたくさんありますよね。
どんどん経験を積んで日本の会社でマネージャーを目指してください。
これから将来、皆さんの活躍する場所は必ず増えていくでしょうから、その時に
主役になれるようにがんばってください。

5:座右の銘を教えていただけますか?

とにかく、百聞は一見にしかず。とりあえず、どんなことでも頭で考えるだけではなく
体で経験することが大切だと思います。やりたいことがあったら、とにかく、実行してみましょう!!

鈴木勝 教授プロフィール

鈴木勝 教授プロフィール1967年 早稲田大学商学部を卒業し、JTB(日本交通公社)入社京都支店での経験を経て、責任者としてシドニ-に5年、北京に4 滞在 JTBワールド・オセアニア部長、取締役アジア部長などを経て8年前から、“サラリーマン貫徹派”教授として、大学の教壇で学生相手に「国際ツーリズム振興論」etc.を講義。現在、インバウンド&アウトバウンドの双方向観光が均衡&拡大する「観光立国ニッポン」造りに取り組む。

自然に対する感謝が大切!

特集
― 環境問題には国境がありません!! ―
映画「KIZUKI」の監督 瀬木直貴氏インタビュー
インタビュアー
王秀麗さん
中央大学
自然に対する感謝が大切!
映画「KIZUKI」の監督 瀬木直貴氏インタビュー
― 環境問題には国境がありません!! ―
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Q:映画監督になるきっかけは何ですか?


A:公害で有名な三重県四日市市で生まれた私は家族旅行で長野に行った時に、その自然の豊さに魅了されて自然の中で暮らしたいという気持ちになりました。また、小学校4年生の時に教科書で見た、公害の悲惨さを訴える水俣病の写真をきっかけに、報道の道に進みたいと思うようになりました。
しかし、大手の新聞社の試験には受からなかったので、大学時代に、アルバイトをしていた映画の製作会社にそのまま入社しました。そこで、スタッフにも恵まれたお陰で通常10年はかかるところ、わずか2年半で監督になれました。あまりの速さで監督になったので、本当に映画が好きかどうかと自分に問いかけてみようと思い、26歳で監督をやめ、7ヶ月間世界旅行に出かけました。
言葉が通じにくい環境の中で自分自身をあらためて見つめ直してみました。そして、1秒間に24枚の写真が入る映画なら、写真以上の『思いを伝える』可能性があるんじゃないかと思い、日本に戻り助監督からやり直しました。そして、映画が大好きになりました。

Q:「KIZUKI」にこめた特別な思いを聞かせて下さい。


A:人間の行動の矛盾、心の葛藤に焦点を当てました。今回の作品はドキュメンタリー映画ではありません。人間ドラマを中心にして、裏面にある社会問題を抉り出すように作りました。人間は生きていくうえで、必ず何かを作り、資源を消費していく。しかし、資源を消費しなければ生きていくことが出来ません。人間はこのような矛盾を抱えています。今回の作品は4つのストーリーからなり、主人公のそれぞれが持っている矛盾や葛藤を描いているので、ストーリーに自分を照らし合わせて考えてみることが出来ると思いますよ。

Q:中国の環境問題についてどう思いますか?


A:映画には石垣島の漂着ごみをみんなで拾うシーンがあります。その中で、8~9割は海外からのもので、中国語やハングル語の文字が並ぶごみが多くあります。それは、中国や韓国が一方的に悪いと言うのではなく、環境問題には国境がないということです。このことはぜひ理解してほしいですね。国境がないから、環境問題は世界中の人が何か行動を起こさなければ意味がない。

Q:留学生たちへのメッセージ


A:現状では、残念ながら、留学生が集まる地域ではごみの分別などがきちんとされていないことがあります。それぞれの環境、文化、生活習慣は違いますが、やはり環境問題には国境がないから、どうしていけばいいかを改めて考えてみてほしいです。

Q:座右の銘は何ですか?


A:うん。座右の銘かどうかわかりませんが、「感謝」―自然に対して、相手に対して、家族に対しての感謝の気持ちを持ち続けることです。

瀬木直貴監督プロフィール

瀬木直貴監督プロフィール1963 年 三重県生まれ 大学を卒業後 プロダクション勤務を経てフリー 地域の自然とコミュニティを舞台に継続的に映画を撮りつづけ、前作「Watch with Me 卒業写真」は末期医療のあり方に正面から挑み、映画・演劇雑誌『ぴあ』で観客満足度1位(昨年6月)を記録するなど社会派の監督として、映画業界のみならず、教育、まちづくりの分野でも注目されています。 瀬木監督プロフィール

NHK 英語でしゃべらナイト インタビュー

特集
どんなに自分が恵まれているか良く考えてみてください。
コメディアン・タレント・俳優として活躍する
パックンことパトリック・ハーラン氏
英語を話すことに関しての壁を壊したいんです
マレーシアの留学生
エビアンさんがインタビュー
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Q:日本の第一印象はどうですか?

A:第一印象はあまりアメリカと変わらない感じでした。もっと違うものを想像していましたからね。みんな着物を着ているわけではないし、家も車も想像していたより大きかったですね。食事はアメリカより日本がずっといいですね。日本は暮らすには、本当に素晴らしい国だと思います。

Q:非漢字圏の国から来られて日本語の学習はどう取り組みましたか?

A:漢字カードが役に立ちましたね。どこに行くにも持っていきましたよ。
バスの中でも仕事の最中でも。特に読むことに力を入れました。2年で2000文字を
クリアしました。漢字を覚えると日本語の能力は大きく伸びますよ。


Q:日本人が英語に上達するには何が必要だと思いますか?

A:日本を脱出しよう!外国で生活するのがベストですね。秘密の方法なんてないと思いますよ。英語もテニスをするのと同じで簡単に上達する方法はありませんね。練習するしかありません。

Q:日本に来てカルチャーショックを受けたことは何ですか?

A:行儀やマナーについてのアメリカと日本の違いの大きさですかね。日本の水準ではあまり良く思われないかも知れませんが。例えば、いすに手を置くとか、足を組むとか、目上の人の隣に座って、『元気?』なんて日本人は言わないですよね。日本人はいい意味で礼儀にうるさいところがありますね。あと、よく家の中で頭を打ちましたよ。(笑)

コメディアン・タレント・俳優として大活躍するパックン

パトリック・ハーラン氏(パックン)
コメディアン・タレント・俳優として活躍。アメリカコロラド出身。
ハーバード大学比較宗教学科を卒業、同年に来日。
1997年,吉田眞氏と漫才コンビ『パックン・マックン』を結成。
現在はテレビやラジオにてマルチタレントとして活躍。
NHKの『英語でしゃべらナイト』のレギュラー出演はもちろん、
爆笑問題との共著『パックン英語原論』も話題になっている。

melody.さんインタビュー 

特集
音楽的にも文化的にも豊富な経験を持ち、
若くて華やかにVJもこなすアーティストmelody.!
サラジェーン・シーバート
melody.さんインタビュー
melody.が司会を務めるNHK番組・J-MELOを取材。彼女のハワイ時代の音楽的キャリアに加え、ハワイ生まれの日本人という立場についてもインタビュー!
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Q:ご自身が司会を務めるJ-MELOと他の日本の音楽番組の一番の違いは何だと思いますか?
A:はっきりと違うことは、J-MELOの放送は全て英語だということです。あとは、他の番組は日本人向けに制作しているのに対し、この番組は日本文化のことはあまり知らなくてもJ-popなどの日本の音楽には興味をもっている外国人のために作っていることが一番の違いだと思いますね。J-Popだけでなく、クラシック、ジャズ、伝統的な音楽までジャンルを越えて紹介しています。番組を見てくれた人はきっと本当の意味での日本の音楽を感じ取ってくれるはずです。
世界中の人たちに、日本のことをもっと知ってもらうことが私たちの仕事だと思っています。私も日本ではなくハワイで育ったので、日本の伝統文化を"外国人“の視点から見ることができるんです。だから私もいつも新しいことを学んでいる気持ちなんです。なので私にとってシンプルに、外国人にも分かりやすく説明できるんです。
Q: J-MELOでは今まで沢山のアーティストの方々と共演されていますが、特にどんなエピソードが心に残っていますか。

A: 一番は沖縄で新良幸人さん、下地勇さんの2人とコラボレーションしたライブですね。私の母が沖縄出身で、毎年夏休みには親戚に会いに沖縄を訪れていたので、沖縄の伝統音楽と文化は私にとってすごく馴染みがあるものなんです。でも、それまで沖縄で歌ったことはなかったので、初めて親戚や祖母の前で歌うことができて最高に幸せでした。この2人の沖縄のミュージシャンはとてもソウルフルで素敵な方々でした。それに、沖縄では時間の流れがすごくゆっくりです。東京とは違って音楽は楽しむもので、“仕事”ではないということがすごく新鮮でした。

銀座ファイブ

特集
東京メトロ銀座駅直結
外国人に優しいショッピングモール
国際化を目指して
日、英、中、韓国語版パンフレット
多言語WEBを展開
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東京メトロ銀座駅C1出口に直結している銀座ファイブでは日本人だけではなく外国人にも優しいショッピングモールとして日本語、英語、中国語、韓国語版の多言語パンフレットとホームページの作成を行い11月5日にパンフレットが完成した。
最近は訪れる人の中に外国人居住者や旅行者が激増し、銀座周辺の地図と路線そしてお店紹介が英語だけではなく中国語、韓国語もあれば便利だという訪日外国人の要望を取り込んだようなパンフレットとなっている。このパンフレットの一番の特徴はインタビュアーにアメリカ人、台湾人、韓国人を起用して『外国人の視点』 から描いたものであるということ。今までの情報誌の多くがお店側からの情報発信であったものに対しこのパンフレットは利用者である外国人の立場から発信していくという具合にシフトチェンジをしたのだ。銀座に寄った時は、読み物としても面白く語学の勉強としても役立つ多言語パンフレットをぜひ手に取ってみてはいかがだろうか?
外国人旅行者の目的のトップが『買い物』であり、外国人旅行者の半分以上が東京を訪れている。彼らが首都圏で訪れる場所でトップは新宿だが次いで2位は銀座である。ここ最近の国土交通省のビジットジャパンキャンペーン(Yokoso japan)の積極的なPRに伴って年々外国人旅行者が増えてきている。また海外では色々な国でYokoso JapanのCMが流れている。 このYokoso Japanは2010年までに1000万人外国人旅行者を呼び込む目的で活動しているのだ。
外国人訪日数をあげてみると・・・
2006年9月573627人
2007年9月689500人
と、20.2%の大幅な伸び率
今後外国人に優しい街作りはさらに必要となってくるだろう。