2025/04/25 06:40

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わが国に本部を置く唯一の国連条約機関、国際熱帯木材機関(ITTO)の役割とは?

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わが国に本部を置く唯一の国連条約機関、国際熱帯木材機関(ITTO)の役割とは?

国際熱帯木材機関(ITTO)は、熱帯森林資源の前途に対する世界的な懸念の高まりを背景に、国際連合(UN)によって、わが国に本部を置く唯一の国連条約機関として1986年に設立された。

熱帯諸国では森林の乱伐や破壊が加速しており、世界中の人々が危機感を募らせている。その一方、熱帯諸国の経済発展に熱帯木材の貿易が欠かせないことも無視できない。このように相反する利害をどのように調整させるのか、これがITTOに課せられた課題である。

ITTOの誕生は、1976年にまでさかのぼることができる。この年に、国連貿易開発会議(UNCTAD)の第4セッションで、国際熱帯木材協定(ITTA)に向けた討議が開始された。この討議は、国連の一次産品総合計画の一環として位置づけられていた。長年の討議を経た結果、1983年に、国際熱帯木材協定(ITTA)が締結された。ITTAは1994年に改定され、その後も引き続き、検討が加えられている。2006年にはさらなる改定と2008年の実施が予定されている。

 国際熱帯木材協定(ITTA)に向けて本格的な討議が始まった1980年代の初頭は、熱帯雨林の前途に対する懸念が強まり、国際社会の行動が求められていた。しかし、その当時は、熱帯雨林の保全と貿易に対してほぼ同じ程度の重点が置かれていた。この事情は、ITTAの前文に反映されている。すなわち、森林資源の持続的な管理を前提として、熱帯木材の貿易が盛んになれば、地域の持続的な開発も可能になるという理念である。具体的には、森林破壊を防止しながら、貴重な外貨の獲得や雇用の確保への道が拓けるという考えである。

 実際に施行されたITTAは、従来の商品協定とは異なるもになった。この協定には、熱帯木材貿易の促進と森林の保全に同じ比重が置かれていた。これは、1987年に提出された「ブルントランド報告(Brundtland Report)」や1992年の「地球サミット」より前の話である。いずれにしても、貿易も環境保全も同じ比重で重視されていた。2006年版ITTAでは、これまでの合意事項を踏まえて、世界の熱帯木材の経済状況や森林資源の持続的管理を重視しながら、熱帯木材の貿易の促進と森林管理の向上の両方を同時に追及することになる。さらに、熱帯木材だけではなく熱帯木材以外の木材に関する貿易データを含めた情報の共有も目指す。

 

ITTOの行動予定については、「ITTO Action Plan 2008-2011」を参照してください。
http://www.itto.int/ja/sustainable_forest_management/

問い合わせ

事務局 220-0012 横浜市西区みなとみらい1-1-1
パシフィコ横浜 横浜国際協力センター5F
045-223-1110

事務局長 エマヌエル ゼ メカ さん

JPM 留学生インターンシップ修了者が不動産業界でも活躍

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JPM 留学生インターンシップ修了者が不動産業界で活躍

2010年にインターンシップを受けた韓ハンコさん

写真右端が韓さん

 インターンシップの経験者で集まってカラオケを楽しみました

今は、㈱ドリームテクノ社にて、韓国語、中国語を生かして留学生向けの賃貸住宅の紹介及び、外国人向けの売買物件の紹介の仕事をしています。採用に関しても、日本の不動産会社で実践的なインターンを経験していたことが大きなポイントにりましたね。また4週間のインターンシップで日本の会社の雰囲気や、報連相(報告・連絡・相談)などをきちっと行いコミュニケーションが職場で大切であることを学んでいましたので、仕事につく上でも不安はあまりありませんでした。もちろん、業務上覚えないといけないことは、たくさんありますが、より専門性の高い仕事が要求されるのでとてもやりがいもあります。不動産の仕事はとても奥が深いですね。これからは、益々外国人の人たちが増えていくと思いますので、生活に密着した不動産の仕事は留学生にとっても魅力のある仕事だと思います。4週間のインターンシップは他のプログラムと比べると少し長いですが、部外者ではなく、会社の一員として、日本の会社のチームワーク、日本人の仕事に対する姿勢を学ぶことが出来る素晴らしい経験だと思います。

 

社会人とのコミュニケーションに自信がついた

2010年 インターン参加者 張新さん(明治大学)

また、不動産業ではないが、早い時期に他の企業から内定をもらった張新さん(右から2番目)はいう。

『このインタ-ンシップの経験で社会人の考え方、仕事への取り組む姿勢を身を持って体験しました。また社長にもインタビューをする経験も出来、自分も少し大人になったように思います。就職の面談でも落ち着いて受け答えできたのは、社会人の人たちと4週間の間、色々な形でコミュニケーションをとることを覚えた方だと思います。留学生にとって、会社を体験できることは何より自分自身への自信になると思いますね。本気で就職を考えているならこのような長期のインターンシップは就職活動にとても役に立つと思います。』

 

2010年 インターンシップ参加者 郭イジョさん(上智大学)

現在、就職活動中ですが、面談でも留学生で長期のインターンシップをしている人は少ないので良く面接官に聞かれますね。私もインターンシップで、日本の会社で仕事をすることを体験し、相手の立場に立て物事を考えることを徹底して教わりました。また、毎日インターンの担当者にメールで一日の報告をしますがそこでも、物事を簡潔にまとめて報告をすることの大切さを教わりました。これは、面談でもとても役に立っていますね。いつも簡潔にわかりやすく話すことを求められますからね。とてもいい経験ですから友達にも薦めています。

2011年  インターンシップ参加者 黄思紅さん(日本大学)

私は、インターンシップ経験者の郭イジョさんの紹介で、参加しました。企業の担当者の方々も、毎日メールで励ましてくれたインターン担当者もとても熱心に私をサポートしてくださいました。私はインターンをした時はあまり日本語に自信がありませんでしたが、今は、大学院で社会企業家について勉強しています。インターンシップの最中に出会った素晴らしい人たちの影響で関心を持ちました。日本の意識の高い社会人の人と触れ合うことが出来るのもこのインターンシップの素晴らしいところだと思います。

 

前列左から5番目が金ゴテイさん

 インターンを修了して企業担当者と記念写真


2011年にインターンシップを経験、不動産会社でアルバイト中の金ゴテイさん

今は、㈱イチイで、不動産業務に必要な資料を作るアルバイトをしています。私はインターンの間は、電話の応対などもやりました。自分の日本語がどこまで日本の会社で通用するのかも良くわかりました。4週間のインターン中は、正直慣れない仕事で、毎日大変でしたが、ビジネス日本語には自信がつきましたね。不動産会社には色々な立場の人から電話がかかってきますが、それぞれ、どのように応対するのかを毎日勉強しながら覚えていきました。アルバイトや短期のインターンシップではとても体験できない日本の会社の雰囲気を味わうことも出来ました。自分の能力を高めたい人にはこのインターンシップはとても役に立つと思います。

応募はこちらのページから

 



 

外国人を採用する企業紹介 エクスポート・ジャパン株式会社

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外国人を採用する企業紹介

 

○企業データ

エクスポート・ジャパン株式会社

本社所在地:大阪府大阪市中央区淡路町2-6-9

業務内容:多言語ウェブサイトの企画・制作・海外向けウェブプロモーション・

海外向けウェブリサーチ

公式サイト http://www.export-japan.co.jp/

エクスポート・ジャパン株式会社  代表取締役 高岡 謙二

フランソワ・ブロサールさん(フランス)

 

"ビジネスを通じて多文化共生社会に貢献する"

"Contributing to intercultural relations through internet business."

 

上記は、エクスポート・ジャパン株式会社の企業理念だ。高岡氏は、大手食品メーカーやタイの領事館での勤務を経て、2000年に起業。JICA、JR東日本、ミキハウス、Fedexなど、国内外の超一流企業や団体の多言語での情報発信のサポートや、日本を紹介するサイトとして有名な『Japan-guide.com』の日本総代理店として、インバウンド事業にも大きく貢献している。今回は、大阪本社で、プログラマーとして活躍するフランソワ・ブロサールさんと高岡社長にお話を聞いた。

 

入社の経緯は?

 

(フランソワ)元々子供の頃から、アニメなどの影響で日本には興味があった。高校や大学でも日本語の授業をとっていたが、愛媛大学での3ヶ月のIT・プログラム関連のインターンシップを受け、日本で働いて見たいという気持ちが強くなった。大学卒業後、フランスでセキュリティ関連の会社で経験を積んだのち、ワーキングホリデーの制度で来日。色々な会社で面接を受けたが、日本語の力が足らず入社には至らなかった。しかし、在日8年のフランス人の知り合いの紹介で、エクスポートジャパンの事を聞き、自分の技術が日本を紹介することにも役立つと訴え、入社が決まった。

英語を話すメンバーも多いが、日本語を早く上達させるために、出来るだけ日本語での会話を心がけた。そのおかげで、1年半経った今では、ほとんど業務上は日本語で困ることはなくなった。制作チームの一員としてミーティングやプレゼンテーションも行うが、あまり意識をすることもない。漢字は、書くのは難しいが、(注)「リカイチャン」という日本語の上をマウスでなぞると英語になるソフトがあり、それを使ってどんどん漢字もわかるようになったという。

 

日本の会社で働いてみての感想は?

 

(フランソワ)もちろん、日本人の仕事にかける時間と情熱はフランス人より大きいかもしれない。しかし、私は日本での生活をとても楽しんでいるので、それはあまり問題ではない。あと、勤務時間もコアタイムを守れば自分で時間を決めることも出来る。通勤ラッシュを避けて気持ちよく出勤することも可能だし、夕方から約束があれば、早く出勤して調整することもできる。また、有給も自己申請で自由に取れるので、帰国してもゆっくり出来る。他の日本の会社と比べても労働条件は悪くはないと思う。

 

外国人の社員が気持ちよく働けるために心がけていることは?

 

(高岡) 誰とでも話しやすい雰囲気を作る。例えそれが、批判的なことであっても、他のメンバーの本音は大切だ。何か不満や不安が、あっても、みんなで共有出来る様にしたい。それには、上司や幹部が上下の関係なく、みんなの意見をオープンに聞く姿勢が大切だ。私もあまり人に管理されるのは好きではない。だから、社員にもプロ意識を持って自己管理をして仕事を進めて行くことを推奨している。

あと、会社の企業理念にも掲げているし、社員の2割が外国籍ということもあり、自然と多文化への理解は、社員が共有していると思う。

それと、大阪と東京の事務所をつないで、『フランス語ランチ』『中国語ランチ』を毎週開催しており、社員がホスト役になって、東京と大阪の社員が一緒に、外国語に親しもうという試みも続けている。外国人社員と日本人社員というだけでなく、普段はあまり行き来のない、東京と大阪の現場の社員同士のコミュニケーションにも役立っている。

自分自身の能力を高めるための、本の購入やセミナーの参加なども推奨しており、一定額会社も費用を負担している。社員の能力の向上は、会社にとってもとても有益なことだ。

 

これから、外国人の人材の活用を検討している人にアドバイスは?

 

(高岡) 単に外国語が出来るとか、特別な技術などで採用するケースもあるが、色々な文化を取り入れることで、時代の変化にも対応出来る柔軟な組織になるのではないかと思う。営業企画部門などでも、外国人人材の活躍するところがもっとあるはずだ。

あと、一番大切なことは、どこまで、本気で海外との取引を考えているかということだ。国境を超えた人の行き来は今後とも増えていくであろう。日本の市場だけでは、不十分だと誰もが理解してきている。

仕事に対する考え方ももちろんその文化によって様々だ。いいところはどんどん取り入れて、会社の運営の仕方も工夫が重要だ。

 

*注)「リカイチャン」はフリーの翻訳ソフト。日本語の言葉にをマウスを重ねると、即座に読み方や意味が出る。 多くの漢字が苦手な外国人に使われている。

特集:日本の大学はどのように変わるべきか?
学生たちは何を求めているのであろうか?

留学生活体験リポート ドイツ ハンブルグより

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留学生活体験リポート ドイツ ハンブルグより

●ハンブルク大学留学●
大阪市立大 3回生 鵜塚 真生

ドイツ最大の港町として、観光客や地元の人で活気溢れる都市ハンブルク。
そこに、私は今年の4月から交換留学生として滞在しています。 (2014年10月現在)
ハンブルクは古くから貿易で栄えていた都市で、レンガ造りの倉庫街や毎週日曜に開かれる「フィッシュマルクト (魚市場)」など、港町にいることを感じられる場所が数多くあります。街の中心にある大きなアルスター湖も、ハンブルクのシンボル的存在で、私の一番のお気に入りの場所です。夕方には絵のように綺麗な景色が見られ、たくさんの人が散歩やジョギングを楽しんでいます。

●ドイツ語の勉強●
大学に入学してすぐに何故、自分が独語を選んだのか、はっきりとは思い出せないものの、学んでいくうちにドイツ語が放つ、知的で力強い響きに魅了され、文法をパズルのように読み解いていく練習が、単純に楽しかったのを覚えています。英語だけでない別の外国語の世界にも浸り、学問の視野をもっと広げたいと思い、二年生からドイツ語の専攻を決めました。三年になる際、教育制度の優れたドイツで、大学の勉強を通して英語、ドイツ語の両方を身に付けるという目標とともに、日本を発ちました。

●ドイツに住んで●
ハンブルクに来て感じるのは多様な国籍、言語、文化を持つ人の多さです。ハンブルクの街中にはあちこちに、中東、アジアの料理店が立ち並び、町で人々が話す言葉は、ドイツ語だけに限りません。ハンブルクはドイツの中でも特に移民が多く、様々な文化が濃く入り混じった都市です。50年代頃から、ドイツは経済復興のため、トルコを中心に多くの移民を受け入れてきたのですが、来る前の私の頭の中では、やはり白人ばかりのイメージが出来上がっていたので、そういうものが尽く覆されました。
前期では、多国籍のメンバーからなる音楽バンドに参加し、身近に言語の多様性について考える機会がありました。バンド内でコミュニケーションをとる際、拙いドイツ語で話す私は、仏、伊、西、中国などから移住し、時に母国語で話しながらも、ドイツ語、はたまた英語を流暢に話す彼らからは特に多くの刺激をもらいました。日本にいた頃の、一か国語だけが当たり前という環境からは、絶対に得られない経験だったと思います。
様々な国が隣り合ったヨーロッパにいると、自然と色々な言語、文化に触れる機会が増え、そういうものが日本より隔たりなく、もっと身近に扱われているように感じます。

●日本語学科●
ハンブルク大には「日本語学科」が存在し、多くのドイツ人が日本に興味を持って勉強しています。彼らの授業にも参加することができ、そこにはまた違った楽しさがあります。私達が普段意識しないような文法を一から学び、膨大な数存在する漢字に、「明日は漢字テストだ…。」などと言いながら、地道に挑戦していくドイツ人。「外国語」を学ぶ者同士、共感し合えることが自然と多いです。彼らとは「タンデム」という言語学習のための時間を通して、日本語やドイツ語で、日々お互いに勉強を助け合っています。

留学も早くも残り半分以下となり、語学力の向上はもちろんのこと、ここでしかできない出会い、経験を求めてこれからも自発的に行動していきたいと思います。

外国人の力で外国人向け不動産ビジネスを拡大

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外国人の力で外国人向け不動産ビジネスを拡大

有限会社ダイワホームズネットワーク
専務取締役 藤井 恵子 ( ふじい けいこ) さん ×
 フレイザー・ジャーミンさん
 

Q. 外国人向けの仲介業を始めたきっかけは?
藤井さん─ 2011 年、フレイザーの前任のスタッフが飛び込みで「不動産の仕事をしたい」とダイワホームズの店舗を訪ねてきたのがきっかけ。彼女の帰国に伴い、新しくダイワホームズに入ってきたのが、フレイザー。彼も、得意の日本語を生かして、不動産管理会社、仲介会社で2 年の経験を積んでいた。日本で不動産業の経験があり、なおかつ日本語ができる英語のネイティブスピーカーを採用できたことは大変幸運だった。不動産仲介会社が外国人を対象に集客する場合は、インターネットや口コミに頼るところが大きいが、日本語からの翻訳ではわかりづらい。そこで、ホームページの制作をイギリスの会社に発注し、英語ネイティブ顧客に訴求する情報提供を始めた。英語圏向けのSEO 対策もうまく機能し、当初から一定のユーザーを集めることにも成功。顧客の立場を理解したプロモーションを目指す徹底した顧客第一主義を目指す。


Q. フレイザーさんの今後の抱負は?


フレイザーさん─ 海外企業の大阪進出支援事業を考えている。タイガーコペンハーゲンと
いうデンマークの雑貨店が大阪に店舗を出したが、大阪を選んだ理由は、欧米の会社の日本
進出は東京を選ぶ場合が多く、逆に大阪なら話題にもなりやすいし、街がコンパクトで関西
圏のどこからも店舗にアクセスしやすいからだそうだ。しかし、そのタイガーコペンハーゲ
ンが出店に際して一番困ったのが、日本の不動産業者とのやり取り。日本市場に興味を持っ
ている海外企業はとても多いので、外国人にもわかりやすい不動産仲介のサービスを行うこ
とができれば、まだまだ大阪へ海外企業を呼び込めるチャンスがあると思う。将来的には、
外国人に日本の優良物件のオーナーとして投資してもらい、その物件を外国人に賃貸住宅と
して仲介するような不動産ファンドビジネスを目指したい。


不動産総合コンサルティング企業
DAIWA HOME’S GROUP

大阪府大阪市北区曽根崎新地2-6-21 GUILD7 階
http://apartment-osaka.com
06-7670-7178

ロシアの家 ジェーニャのコラム

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ロシアの家 ジェーニャ コラム

先日、日本のテレビでロシアのフィギュア選手、プルシェンコさんのお家が紹介されました。豪華で広いお家で、ロシア人が見ても「すっごい!」と思います。

 

一般のロシアのお家は割と素朴な感じです。フルシチョフ時代に作られた「フルシシェーフカ」というマンションが一般的で、キッチンは6平米しかないと言う狭さ。ロシア自体、広いイメージがあるけど、お家は日本と比べてもちょっとだけ広い。

そういう意味では、アメリカとかヨーロッパより、ロシアが日本に近いかもしれない。広くて綺麗なお家は、みんなの夢の一つです。きっと、世界共通ですね!

ちなみに、日本と同じ、お家は土足禁止です。玄関で靴を脱ぎます!

違う所があげるとしたら、ロシア人は、友達とお家で集まるのは、大好きです。初めて会う人でも「うちにおいでよ」と誘った時、社交辞令ではないです。本気でこれからお家に行く事になっちゃいます。

ただ、ロシア人はシャイな人が多いので、初対面の時は照れています。2回目会ってから、大仲良しになっちゃいます。シンプルな人たちです!

ロシア人も、お・も・て・な・しが全て!自分が明日食べ物がなくなっても、お客さんのためなら、一番美味しい物を出します。

リビングより、キッチンで紅茶やビールを飲みながら、友達と話すのは、一般的。

いつかロシア人にお家に誘われたら、断らないで!来てくれたら、心から喜んでもらいます☆

清水yukaさんのハワイ大学留学リポート from hawaii

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Aloha! こんにちは。ハワイに1年間、交換留学生として留学している清水悠加です。日本人には、常夏の楽園ハワイというキャッチフレーズで、観光地や新婚旅行として親しみのあるハワイですが、ハワイで勉学に勤しむということは、なかなかない貴重な経験だと思います。私の住むマノアという町は比較的雨が多く、天気の変化が激しく、傘が手放せないのですが、虹の町と呼ばれるように、手の届きそうなほど近くで大きな虹を見ることが出来ます。

 

ハワイの最大の特徴は、何と言っても文化の多様性です。1860年代の砂糖産業の発展に伴い、不足している労働力を補うために他国から南太平洋諸島をはじめとする、ポルトガル人、ノルウェー人、中国人、日本人、フィリピン人などがハワイに移住してきましたことが始まりです。例えば、スパムにぎり、ふりかけアヒ、ワサビと海苔で和えたポキなど日本食の要素を取り入れたグルメや、日本語を含めた様々な言語が混合したピジン・クレオールという言語など、日本の影響を受けて形成されたものが一つの文化として存在しています。また、1959年に50番目の州としてアメリカへの併合を果たしたという歴史から分かるように、アメリカ文化も存在しつつ、もちろん、他民族が移住してくる以前にハワイで生活していた原住民の文化もあります。従って、このように様々な文化が共存しているハワイでは、他国の文化に寛容で、興味を持つ人が多いように感じます。特に、日本人の先祖を持つ2世、3世、4世などのローカル達は、日本文化や日本語に熱心な人が多いです。日本人らしい容姿であり、苗字も日本人でありながら、日本語より英語を流暢に話す人もいますが、自分は日本人だから日本をもっと知りたいし、日本と繋がっていたいと話す彼らの姿は、とても印象的でした。

「日本人」留学生であり、更に、茶道、日本舞踊などの日本文化のお稽古をしたり、Politics of Multiculturalism, Food in Asian Politics, Bilingual Educationという授業をとったりしているために、日本の文化や、日本人としての意見を求められることが多々あります。明治神宮のガイドボランティアで培った知識に助けられることも度々あります。しかし、例えば、「アメリカでは失恋した時に、バケツサイズのアイスクリームを食べるのだけれど、日本人はどうするの?」、「できるだけ、なるだけ、の違いって何?」、「なんで日本人は返事に困ると笑うの?」、「日本人がパールハーバーを観光地として訪れることをどう思うか。」など、答えるのに苦労するような質問もたくさんあります。「日本」として一般化するのも難しいですし、意外と個人的経験から思い起こし、結びつけるのも大変です。日々、日本人としてのアイデンティティーを強く感じています。

個人的な経験として、日本と他文化の異なる考え方や行動に驚くことや戸惑うこともたくさんありました。例えば、生活面では、食の嗜好がはっきりして、時に偏っていることです。具体的に言うと、ベジタリアンの多さや、グルテンフリーであるために、パスタやパンを一切食べなくても、フレンチフライやクッキーは食べても良いなどです。更に驚いたことは、レストランが、個々人の好みに合った無茶苦茶な注文を聞き入れてくれることです。ハンバーガーショップでバンズをレタスに変えてくれと頼んでいるお客さんだけでなく、それに普通に対応する店員さんにもびっくりしました。学校では、授業中にお菓子やお昼ご飯を徐に取り出し、むしゃむしゃと食べ始めることや、先生を呼び捨てで読んだり、先生の意見を批判したりすること、また、自分の専攻を何回もころころと変える人の多さに初めは目を見張りました。しかし、自分が不思議に思ったことや、違和感を口に出すことで、新たな発見をしたり、妙に納得したりして、徐々にすんなり受け入れていくことが出来ました。「何で?」、「どうして?」などの疑問を対話につなげることがお互いの理解につながることを学びました。

 

様々な、日本とは異なるユニーク文化に触れると共に、日本と、そして自分自身を再認識する毎日ですが、それらを良いとか、悪いとか、比較したり、評価したりするのではなく、全てを理解出来なくても、異なりに興味を持ち、相手に寛容でありつつ、コミュニケーションを図ろうとするひとりひとりの意識や姿勢がハワイでの多文化共生を可能にしているのではないでしょうか。

皆さん、お元気ですか?ジェーニャは元気です!

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皆さん、お元気ですか?ジェーニャは元気です!


すっかり秋になりましたね。
ロシアにいた頃は、秋が全然好きな季節じゃなかったけど、日本に長くいたら、秋が大好き。一番可愛いファッションも楽しめるし、食べ物も美味しい し。
たくさんの日本人が秋が好きだというので、私も日本人になったのかな?
最近、自分が日本人なのか、ロシア人なのか、アイデンティティーがぶれてきた事に気付きました。


今年の9月に、4年ぶりにロシアに行ってきました。家族にも、友達にも会って、お仕事もしてきて、友達の結婚式まで行ってきて、楽しくて盛りだく さんの旅でした。


その中で、久しぶりに帰ったロシアにも違和感があったし、自分がロシアにいる事にも違和感があった。同じロシア人なのに、浮いている。ロシア語が自然にしゃべれるけど、ぶつかった時は「痛い!」とか言っちゃう。うっかり出てくる言葉は、日本語。

 

 

外国人がよく訪れる、モスクワの赤の広場にあるデパート、GUMにも行ってきた。モスクワに住んでた頃、よく行ってたし、あの雰囲気、好きなんで す。
今回は、新しい感覚に気付いた。周りは外国人ばかりで、なんだか、すごく安心した。自分が外国人だなって思い


帰りの飛行機に乗る前に、CAに「日本の在住カードがあるよ」と言ったら「そんなの、見ればわかる」と言われました。もう、ロシアに住んでいる人 に見えないって事ですね。きっと表情が違うって事だと思います。嬉しかったような、どこか悲しかったような気持ちになった。


それでね、同じ飛行機に乗っていた人に「あなたは、声優のジェーニャでしょう」って言われた!ロシアでも、私の事を知っている人がいる、嬉しい!



自分だけのアイデンティティーを見つけたい。きっと、外国に住んでいる人にも、地方から上京した人でも、私の気持ちがわかるはずです。


住めば都、って事は正解かもしれない。

 

 

 

今日のスイーツ 



ロシアから持って帰ったスイーツ「シュガーコーテングのクランベリー」



砂糖のカラの中に、生のクランベリーが入っています。中のジュースが、ぷちっと口の中で広がる!普通に食べると、とても酸っぱいベリーなのだけど、砂糖と一緒にすれば、バランスがばっちり!



告知:
12月1日イベントのMCをやります!歌も、生アフレコもする予定!


ぜひ遊びに来てね!詳細はこちら!
http://anievez.com/c/archives/8152
国際系アニソンクラブイベント

 AniCrush!!! vol.2 (東京・秋葉原)mogra秋葉原 2013年12月1日(日)15:00~

http://anievez.com/c/archives/8152








インド人って映画好き??

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インド人って映画好き??

平均インド人の一日の生活パターンを紹介しましょう!!

これは大学生から上ということになります。暖かい国ですから朝はわりと早く起きます。一般インド人の朝ごはんは大体似てます。サブジ「汁の無いカレー」チャパティー。「ナンよりもお腹に優しい薄い丸いパン」とホットチャイ.インド人みんなこの朝ごはんは大好きです。これがたまにオムレッツに変わるだけ。

学生は大学へ、そして大人はそれぞれの仕事場へ.中流階級はというと、

帰ってきて少し家の手伝い、晩御飯、テレビ見て寝る。毎日の人生に大きなチャレンジなどは無い.中流階級は世間に迷惑かけずに、トラブルに巻き込まれないように、安全に安全にがモットーです.親と名誉が大事。特に女の子は色んな意味で宝物(これは箱入り娘ではない、金銭面的にそんな余裕はありません)結婚するまでに何もスキャンダルの無いようにガードです。

では下流階級どうでしょう。

今はインドの学校教育の普及率もかなり上がってきてますがそれでも学校へ行けない子はたくさんたくさんいます。十分な朝ごはんも食べれず、時間になったら仕事へ。日雇い労働、力仕事、人がやりたがらないような仕事を何でもします。仕事があれば幸せです。ご飯が食べれます。その日に働いてその日に稼いでその日に食べる。ぎりぎりの生活です。しかし、貧しいけどテレビがある家庭も多いです。もしなければ、何人かでテレビのある家に移動します。テレビはみんな好き、大好き。でももっと好きなのは映画です。多くのインド人はご飯を食べれなくも映画は見たいです。明日の生きることの心配よりも今日公開した新作みたい。それも自分の好きな俳優さんとかだったらなおさら見たい。インド人は本当に映画が好きです。

インドを離れて28年目ですが、日本での生活は、食べ物も文化も言葉も全て違うのですがやっぱり我が国インドの部分で持っておきたいのは映画とそれにちなんだ音楽ですね。異国の我々インド人を支えているのはこの二つの柱です。これが崩れるとどんな国へ行っても住み難いです。いい作品が少なく、本当に見たいものはわずか。それでも毎日の日本でのストレスあふれてるライフスタイルで唯一のオアシスはインド映画です。

これに勝てるものは無い.アーメン!

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