2024/11/19 06:54

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こんな日本人が増えればいいのですが 永生病院 宮澤相談役

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アジアの看護師・介護士をサポートする元看護部長、永生病院 宮澤美代子氏、看護や介護の仕事には国境はない。言葉のハンディを乗り越え頑張る彼らを育てるのは私たちの使命だ。

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永生病院が最初に外国人のヘルパー実習生を試験的に受け入れたのは2004年。当時は、患者さんの命を預かる大切な仕事なので、言葉も不充分な人たちに務まるのか疑問に思った。しかし、彼らは日本語は流暢ではないが彼らの明るい性格や、じっくり話を聞くやさしさが、患者さんからも病院のスタッフからもとても評判がよかった。病院側もそれ以降、本格的に外国人看護師、介護士の受入に真剣に取り組むようになった。

EPAの制度によってインドネシアからの看護師の受入も始まり、今では、フィリピン、中国、インドネシアの看護師、介護士が働く。多くは看護助手として働きながら日本の資格取得をめざして勉強中だ。外国人のスタッフは患者の人たちにも暖かく迎え入れられている。日本の戦争時代を生きた多くの高齢者は、日本人で看護師を目指す人たちが不足している中、異国から来て頑張る彼らの姿にエールを送る人たちも多い。彼らの存在は、日本人スタッフへも大きな刺激になっているという。また、これを機に50万人以上いるといわれる現在は仕事についていない日本人有資格者の復職が進むことも期待されている。

しかし、まだまだ外国人スタッフを受け入れる現場への負担は非常に大きい。
いくら海外で実務経験があっても、日本で看護婦として働くには、日本の国家試験に合格する必要があるからだ。3年以内に日本人と同じ条件で合格しなければいけないのは、本人にも受け入れ側の病院にも大きな負担である。普段の業務で必要な日本語の会話能力は働きながら身につくが、国家試験に合格するレベルの日本語を、3,4年で身に付けるのはほぼ不可能に近い。また、宮澤さんへの問い合わせの多い看護師、介護士不足で困っている医療機関では、外国人スタッフを受け入れるのは経済的、人的な負担があまりにも大きい。

宮澤さんの意見では、一定期限で評価をして日本で看護助手として働ける年数を延長する、また国家試験でも日本語の文法能力が原因で合格できない場合が多いので、試験問題に振りガナを付ける、辞書や参考書の持込を特別に許可するなどの配慮も検討すべきだという。今のままの制度では漢字がわかる、漢字圏の人でないと実際の試験に合格するのは難しい。当然のことであろう。

少子化の問題はそんなに簡単に解決できるものではないし、このままいけば、2050年には成人1人で1,3人の高齢者を支える計算になり、医療分野に限らず外国人の受け入れを真剣に考えないと今のままでは財政的に不可能な数字である。国民の健康な生活に関わるこの大きな問題は、国家が早急に真剣に取り組む最重要課題であろう。

幸いに医療の現場では、外国人スタッフは同僚からも、患者からも多いに期待されている。経済な問題、受入れ側の人的な問題さえクリアされれば受け入れたい医療機関は後を絶たないという。
文化を超えて心と心が通じ合う医療の現場では、病院側も日本人のスタッフも、また患者の間でも、一日も早い『開国』が待ち望まれている。



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永生病院で業務に就く中国・インドネシア・フィリピンの人たち





永生病院 相談役・ 看護・介護採用担当部長 宮澤美代子氏プロフィール

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長崎より看護の道をめざし上京。産婦人科医院の寄宿舎に住み込み、看護助手として夜勤もこなしながら、定時制高校に通い2年間かけて准看護婦の資格を取得。とにかく忙しかったが、新しい命の誕生に携わる仕事に誇りを持っていた。22歳で結婚、3人の子を育てながら仕事と通学をこなし3年で正看護婦の資格を取得、1990年から永生病院に勤務。2003年に430人の看護師らを束ねる看護部長に就き、翌年から外国人研修生らと接してきた。言葉のハンディを乗り越え、仕事に向き合う姿に感銘を受け、外国人看護師・介護士たちのアドバイザー役を引き受ける。また最近は急増する医療機関からの相談や講演依頼、報道機関の取材対応と、外国人医療人材の受入れに関して現場から発信する第一人者のひとりだ。


中国人と仲良くなれる秘訣

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以前、北京で中国大学生日本語スピーチコンテストの司会を務めていたときのことです。各大学から選ばれてきた代表選手はスピーチのあとに、審査員からの質問に答えることになっていました。

確か、北京師範大学の代表選手だったと思いますが、日本人の審査員から、「日本人が中国人と仲良くなれる秘訣は何だと思いますか?」という質問が出されました。

分かりそうで分からないなあ……、司会者の私も舞台の袖に立って一瞬悩んでしまいました。そしたら、なんと、彼が堂々と答えるのです。「それは、お食事の席などでタバコを吸う時、一人で吸わず、周りの人に勧めることだと思います」。会場から拍手と笑い声が沸き起こりました。すごい!その時、深く納得していたのを今も覚えています。

中国人はタバコを吸う前に、必ずと言っていいほど、まず周りの人に「タバコはいかがですか」と自分のタバコを差し出してみます。勧められた人は「どうも、どうも」と受け取ったり、「ごめんなさい、私はこっちしか吸いませんが、一本吸ってみますか」と自分のタバコを取り出したり……。
お酒も同様で、食事会で自酌は基本的に禁物。飲みたいときは、他人に勧めたり、乾杯を提案したりします。

こうして、タバコやお酒を勧めながら、何気なくコミュニケーションを行い、仲良くなっていくような気がします。

一人でタバコを取り出して吸ったり、一人でお酒を注いで飲んだりしている人を見ると、
中国人は、なんて冷たい人なんだろう、なんて変な人なんだろうと思うことでしょう。

人に構わず好きなときに好きなことをする。それは効率的でよいでしょうが、効率ばかり求めていくと心はどんどん狭く、冷たくなりがち。

自分が何かをしたいときに、相手もしたいのではないかと思いながら勧めてみるところに、気持ち的なゆとりと暖かさを感じます。
これは、中国人だけでなく、韓国人、いや、多くの外国人とのお付き合いに通用する秘訣なのかも知れません。

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張景子さんプロフィール・・北京外国語大学 日本語・日本文学学科卒業・
元中国国際放送局(北京放送)アナウンサー 
東京大学 大学院修士学位取得・博士課程修了
JCKフレンズ(日中韓関連事業)代表  立教大学 兼任講師
日中・日韓・日中韓3国の政府間交渉・民間交渉の遂次・同時通訳
NHKの中国語翻訳・ナレーション業務
東アジア評論家として「TVタックル」「太田総理」等の番組に出演

張景子さんのエッセイ集

 
 
 
 
 
 

レイクランド大学ジャパン・キャンパスリポート NO.1

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学ぶことの大切さ、楽しさが実感出来る場所
(アレックス・デュデックさん) 
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英語を教えたことをきっかけに、学校の教師になる夢を持ったアレックスさん、レイクランド大学ジャパン・キャンパスでは、勉強の傍らインターナショナルクラブのリーダーとして、イベントを企画したりしながら世界中から来ている学生の面倒を見みている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ彼は、幼少のころ自分のアイデンティテイが持てず悩んだこともあったが、今では2つの文化を併せ持つ自分の生い立ちに感謝している。教育者を目指したのも、将来は日本の文化や歴史のすばらしさを海外に伝えたいと思ったからだ。自分の国に誇りを持てない日本人の若者が増えていると彼は危惧する。坂本竜馬を尊敬する彼はいう 『このキャンパスは小さいが、みんな自分の可能性を信じて大きく羽ばたいていこうと努力している。世界中さまざまな国から来ている仲間と意見を交わしながら、ジャパン・キャンパスをステップにして自分の夢に向かって突き進もう!』

レイクランド大学ジャパンキャンパスについてもっと知りたい

恋愛上手はコミュニケーション上手

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まず、何を持って恋愛上手というかですが、とてもシンプルに言いますと、心を惹かれた相手にその気持ちを伝えること、そして、相手のことをもっと知ろうとすること、相手のために役立とうすること、相手の優しさを大切にすること、これができれば十分恋愛上手と言えるのではないでしょうか。

これは、実は全ての人々のコミュニケーションにも通用するもので、もちろん、外国の人々とのお付き合いにおいても例外ではありません。

中でも最も大切なのが、気持ちを伝えること、つまり気持ちのコミュニケーションだと私は思います。それは、言葉による或いは行動による気持ちの伝達になりますが、これができて初めて、真の友達や真の恋人になれると言えましょう。

残念ながら、この気持ちのコミュニケーションはまた多くの日本人が苦手とするとこでもあるようです。好きな気持ちだけでなく、友達や周りの人々に優しい気持ちを上手に伝えられないでいるように見受けられます。

その一つとして、最近、電車の中で年配の方に席を譲る人が少なくなってきたことが挙げられるでしょう。中国や韓国ではそれは当たり前のことで、もし、譲らない若者がいれば車掌さんや周りの人が「譲りましょう」と背中を押すのです。

「相手を年配扱いして失礼ではないだろうか」、「相手がすぐ降りる人だったらどうしよう」……といろいろ考えるようですが、譲らなかったら、相手がとてもつらい思いをしている可能性も考えられます。ならば、まずは一歩踏み出して勧めてみるべきではないでしょうか。躊躇して止めてしまうのは、優しさを怠っていることだと私は考えます。恋愛上手な人はきっとまずは自分の気持ちを伝えようとアクションを起すはずです。

「韓国人は熱い」、「中国には熱気がある」という話を良く耳にしますが、「熱さ」というものはストレートじゃないと伝わり難い。くねくね回っていたら冷めてしまうのです。
もちろん、配慮を欠いた直球はひんしゅく物ですが、相手を思いやるストレートな優しさは気持ちのいい物です。それを失礼だと思う人がいるならは、それはその人の心の貧しさだと言うしかありません。

 自分の気持ちを素直に表現して真の友達になれるコミュニケーションを心掛けましょう。

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張景子さんプロフィール・・北京外国語大学 日本語・日本文学学科卒業・
元中国国際放送局(北京放送)アナウンサー 
東京大学 大学院修士学位取得・博士課程修了
JCKフレンズ(日中韓関連事業)代表  立教大学 兼任講師
日中・日韓・日中韓3国の政府間交渉・民間交渉の遂次・同時通訳
NHKの中国語翻訳・ナレーション業務
東アジア評論家として「TVタックル」「太田総理」等の番組に出演

時代の変化に対応できる考える教育が大切。

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――ワーキングホリデーの経験を生かして――
中学・高校受験、大学受験、そして3年になったら就職活動。そして就職。
自分自身のことがよくわからないうちに就職するので、約3割の新入社員が3年もしない
うちに苦労して入った会社を退職。
はたしてこれでいいのだろうか?自分の知らない世界を経験し、困難にも立ち向かっていける
チャレンジ精神を養ってから、社会に出ていく必要があるのではないか?

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ワーキングホリデーは留学のように、あらかじめ決まったプログラムをこなしていくものではない。自分で考え、働きながら、海外生活を体験して、本当の自分自身と向かい合うことの出来る期間を与えてくれる非常に有意義な制度だ。イギリスや英連邦の国々ではギャップイヤーというワーキングホリデーと似た制度があり、高校を卒業した学生が、1年間程ボランティアなどの社会貢献活動をしたり、安宿に泊まりながら世界中の国々を回ったりと多感な時代にいろいろな経験をしている。ウィリアムズ王子なども制度を利用しており、社会的に認められている教育制度なのである。
ワーキングホリデーの体験は教育現場で生かされる。
教育現場の閉塞感が叫ばれ、半数の教師が精神的に大きな悩みを抱えているといわれる。その状況を打破するための応用力、人間力を磨こうと、言葉のわからない新しい環境に飛び込んで自分を試してみる教師が増えている。
日本語教師のボランティアをしたMさんは、こう話す。『ワーキングホリデーを体験して
海外の教育のあり方を現場で学ぶことが出来た。お陰様で、職場で困難なことがあってもあわてず、いろいろな角度からその問題に取り組む方法を考えることが出来るようになった。また、孤独感を感じながら、少数派として生活してみて、日本に暮らす外国人の人たちの気持ちもわかるようになった。生徒にも体験談を話すこともあるが、一番受けがいいのがはずかしい失敗談だ。失敗することも人生を豊かにすること、チャレンジし続けることが大切だと経験から語れるのは、海外の生活を知っている私の強みだ』



OECDの国際統一テスト(数学、科学、読解力を測る調査)で連続1位の教育先進国フィンランドでは、考える教育が一番重要だと考えられている。今のように変化の速い時代では、学校で習う知識や技術では限界がある。どんな時代になっても応用が出来る、問題を解決するための考え方を学ぶわけだ。海外に行けば言葉が十分に通じないので、楽しい生活をしようと思うと、いろいろ考えて知らないうちに工夫するようになる。ひとりで生きてく知恵もついていくであろう。ワーキングホリデーの経験者が帰国後もいろいろなことにチャレンジするのは、困難を乗り越える楽しさを知ったからかもしれない。

30万人のワーキング・ホリデー
20代~40代のOB・OGが語る「ワーホリ体験」と「その後の生き方」


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刊行のお知らせ

(有)ビネバル出版では、1980年にスタートしたワーキング・ホリデー制度の利用者が30万人を超えたことを記念して、上記タイトルの本を刊行いたします。



「年齢や渡航先を問わず、どの体験者も、自らのワーキング・ホリデー時代を宝物にしていることを肌身で感じてきました。もちろん、私自身も含めて。それはどういうことなのか。ワーキング・ホリデーとは何なのか。体験者の人生にどういう影響を与えているのか。ここらで、一度検証してみてはどうだろう―――。」(「あとがき」より) 本書は、そんな問いかけから生まれたグローバル時代の「生き方読本」です。国外で暮らす苦労を乗り越えて自分の道を切り開いてゆくワーホリ体験者の姿が、多くの共感を呼ぶものと確信しています。読む人を元気にする33人のワーホリ体験集です。

出会いが人生を変える 

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ワーキングホリデーで訪れたオーストラリアでのある柔道選手との出会い

笠原氏は柔道整復養成専門学校を卒業後、3年間接骨院に勤務。開業の準備をしていたが、このままでいいだろうかと疑問を感じていた頃にワーキングホリデー制度を知り自分探しの旅にオーストラリアのシドニーに渡る。そこで柔道豪州チャンピオンのウォレンと出会う。それがすべての始まりだった。
ウォレンさんとの運命的な出会い

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たまたま知り合った日本人に英語の勉強を進められたのがきっかけでシドニー大学に行った。そこにとても立派な柔道場があり、たまたま立ち寄ったときに会ったのがウォレンだった。65kg級で私はちょうどいい練習相手だったようだ。週4回は道場に通って彼と練習していた。その当時シドニーには日本人の柔道関係者が皆無だったこともあり、とても歓迎してもらった。柔道がこんなに私のオーストラリアの生活を助けてくれるとは思わなかった。そしていつしか、日本で自分の柔道クラブを持ち、柔道で日豪の架け橋になるのが私の目標になった。

帰国後にオーストラリアの友人の柔道家2人が来日

私の帰国後、ウォレンともうひとりのオリンピック候補選手のルイスの2人が、柔道をするために日本にいる私を訪ねてきた。彼らは私が紹介した警察学校や私の母校の柔道部などで猛練習をした。その練習の甲斐のあり、2人ともオリンピック出場権を手にした。私も彼らの練習をサポートできたことをとても誇りに思う。また私がはじめた、柔道クラブも彼ら2人の陽気なオーストラリア人のおかげで、
すぐに大勢の生徒が集まるようになった。

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柔道クラブの子供たちと一緒にオーストラリアで交流練習と学校訪問を体験

その後、私は柔道クラブの子供たちを連れて定期的にオーストラリアへ渡り、オーストラリア人の家庭でホームステイを体験させながら交流練習と学校訪問を行った。子供たちには本当にいい経験になっているようだ。柔道やホームステイを通じた国際交流で、彼らが大人になっても柔道をやっていてよかったと思っていてほしい。
また、オーストラリアからもすでに100人以上の柔道選手が我が家にも来ている。
彼らは本当によく食べるが、全員焼きそばが大好きで、経済的には助かった。(笑い)



『一期一会の大切さ』を身にしみて知っている笠原さんは、とても面倒見がいい人だ。一度知り合った人には、柔道だけではなく、進学や就職、結婚の相談まで受けることもあるという。笠原さんのワーキングホリデーに端を発した20年以上にわたる国際交流が、数多くのオリンピック選手も育ててきた。共に練習をした同僚、弟子たちのネットワークもどんどん世界中に広がっている。笠原流国際交流の成功はひとりひとりと真剣に向かい合う武道の精神によるのであろう。

スポーツ国際交流のススメ

スポーツ国際交流のススメ

著:笠原則夫
出版社:新風舎

国際交流の最適の入門書。日本の伝統を伝えながら、子供の体と心を鍛える
笠原流国際交流。新しいタイプの教育の手引書として、教育者、あるいは教育者を目指す人にはぜひとも読んでほしい本だ。

異文化交流の決め手は言葉

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言葉そのものが文化の結晶であり、文化を紐解くカギであるからです。
言葉の大切さは同じ文化圏に住んでいる人々の間でも常に語られてきました。

「言葉に救われる」、「言葉には魂がある」、「忘れられない言葉」……日々感じているところではないでしょうか。これは、異文化交流においてもまったく同様。いや、もっと大事なのかも知れません。言葉そのものが文化の結晶であり、文化を紐解くカギであるからです。

外国人が最も錯覚する日本語の一つに「結構です」或いは「いいです」があります。レストランでの食事の最後に、「デザートはいかがですか」と聞かれ、「結構です」と断る。新米の外国人ウィトレスなら注文だと理解するに違いありません。

もっと明確に「要りません」と言えばいいのに…と思うかもしれませんが、この一言にも日本文化の一面が凝縮されています。つまり、人がせっかく勧めてくれるものを「要りません」のような冷たい言葉で、っきりと断るのは失礼だという考え方なのです。断るのは申し訳ないので、できるだけオブラードに、やんわりと、表現しようという気持ちから、今は十分だという状態を伝える意味で「結構です」と表現しています。まさに遠まわしな表現、婉曲表現ですね。

もちろん、だれもが毎回そんな気持ちでこの言葉を使っているわけではありません。長い間、そうした他人への気遣いの文化が培われてきて様々な言葉として定着しているわけで、今はたんなる断るときの表現として「結構です」と言っているのかも知れません。これも一種の日本文化の結晶だと言えるでしょう。

このように、言葉の深みを掘り下げていくと、そこに息づいている文化を感じ取ることができる。そういう意味で、言葉は異文化を紐解くカギだと思うのです。

相手の言葉を学ぶ時、「ややこしい~」とか、「おかしい~」を連呼するのではなく、「なぜこういう言葉や表現があるんだろう?」と首を傾げながら進めて行くと、きっと、頭も心も豊かになっていくはずです。

ただ文法的に機械的に習うのではなく、そこに秘められている文化を理解しながら言葉を身に付けて行く、それで初めて、真の異文化交流が図れると信じています。

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張景子さんプロフィール・・北京外国語大学 日本語・日本文学学科卒業・
元中国国際放送局(北京放送)アナウンサー 
東京大学 大学院修士学位取得・博士課程修了
JCKフレンズ(日中韓関連事業)代表  立教大学 兼任講師
日中・日韓・日中韓3国の政府間交渉・民間交渉の遂次・同時通訳
NHKの中国語翻訳・ナレーション業務
東アジア評論家として「TVタックル」「太田総理」等の番組に出演

HIMEKAがついにデビュー

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来日1年で夢をかなえたシンデレラガール 
HIMEKAがついにデビュー

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HIMEKAさん プロフィール:

本名:Catherine St-Onge (カトリーヌ ・セント・オンジュ)
カナダのケベック州出身。母国語はフランス語。

ワーキングホリデー制度を利用し来日した彼女は、インターネットで偶然見つ
けた「第2回全日本アニソングランプリ」に応募。応募総数3186人の中を勝ち抜き
、決勝大会では、審査員も驚くその圧倒的な歌唱力と日本語の表現力で見事優勝


2009年5月27日に、プロデューサーにスキマスイッチの常田真太郎を
迎え、2009年4月より放送の『戦場のヴァルキュリア』のオープニング主題歌「明
日へのキズナ」で、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルより念願
の日本デビューを飾った。

公式HP http://www.himeka.info/


圧倒的な歌唱力で3186人の応募者の頂点に立ったのは、アニメから抜け出したような純真な心を持ったカナダ人女性

Q:日本に来るきっかけは何ですか?

A:アメリカの{アニメコンベンションでやっていた}カラオケコンテストで優勝してから、長年の歌手になる夢をかなえるために、お金をためて準備をして、日本にやってきました。
日本に来た頃はやはり、日本語があまり出来ないのでアルバイトを探すのにも苦労しましたが、
何とかフレンチレストランなどでアルバイトをしながら、こつこつと日本語を勉強したり、カラオケボックスや家で歌の練習をしてチャンスを待っていました。

Q:日本語がとても上手ですが、どうやって勉強しましたか?


A:15歳の頃「セーラームーン」を見た時から、日本のアニメに興味を持ってオリジナルの日本語版アニメを見たり、アニメソングを聴きながら日本語を覚えていきました。学校で勉強する機会もないし、日本人の友達もいなかったので全て独学で大変でしたが、日本語の歌が本当に好きだったので苦にはならなかったですね。
日本に来てからも、少しでも時間のある時は、テレビを見たりして日本語の単語を覚えています。今日も新しい単語をたくさん覚えました。紙芝居、血圧、狂犬病とか(笑)

Q:オーディションで受かる自信はありましか?

A:外国人なので現実的には難しいと思っていましたが、いつかはチャンスが 来ると信じて頑張っていました。

Q: HIMEKAという名前は自分で考えたということですが。

A: HIMEKAは私が、子供の頃から空想していたアニメのキャラクターでいろい
ろなストーリーを描いていました。文章にすることはなかったのですが、私のこ
ころに住んでいる私の理想像です。

Q:『明日へのキズナ』はどんな思いをこめて歌っていますか?

A:『自分を信じて、進んでいって欲しい』と歌を聴いてくれるみんなを応援する気持ちで歌っています。つらいことがあっても頑張っている人たちに、勇気と希望を与えるような歌を歌えるのはとっても幸せです。

Q:外国人の人たちでHIMEKAさんと同じように夢を持って日本に来ている人たちへの メッセージをお願いします。

A:いろいろ大変なこともあるとは思いますけど、日本に来たときの気持ちを思い出して 頑張ってください。私ももっと日本語を勉強して、みんなを元気づける歌を歌っていきたいと思います。

彼女の歌への情熱は『みんなを勇気づけるために歌いたい』という一途な気持ちから来ている様に感じられた。審査員の方たちにも歌のテクニックだけではなその気持ちが伝わったのだと思う。

13歳でデビューした韓国の人気トロット歌手 その2

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トロットとは韓国の演歌である。ジウォンは4歳から歌を歌い始め
13歳で最年少のトロット歌手としてデビュー、その年齢にはそぐわない
歌唱力で一躍人気歌手の仲間入りをした。今彼は、日本語能力検定試験に向けて猛勉強を
している。また、彼は歌手というだけでなく、*韓国で高校卒業資格試験に合格した最年少の少年としても有名でこれからもいろいろな意味で注目を浴びている天才少年である。

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:日本の印象は? 日本語の勉強は楽しい?

: 今の日本の生活にはなれてとても楽しい時間を過ごしています。日本語勉強は7月にある日本語1級試験を目指して勉強しています。 
(지금 일본에서의 생활은 적응이 되어서 정말 즐거운 시간을 보내고 있습니다. 일본어 공부는 7월에 있을 일본어 1급 시험을 지향하여 공부하고 있습니다.)
 
: 日本のどんな歌が好き?
 私は、個人的には氷川きよしさんの「初恋列車」という歌が大好きです。
 (저는 개인적으로 히카와 키요시형의 첫사랑 열차라는 곡을 좋아합니다.)
 
:  将来の夢は?
世界の人の心を響く演歌歌手になりたいです。また、皆に認められる歌手になりたいです。   
    (세계인들의 마음을 울리는 엔카가수가 되고 싶습니다. 그리고 여러분 들에게 인정받는 가수  가 되고싶습니다.)

15歳になったばかりとは思えないしっかりした日本語で答えるジウォン君でした。日本語の勉強頑張ってください。

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名前:ジウォン(Ji Won)
生年月日:1994年3月27日
身長:161cm
学歴:韓国 韓国高校卒業国家試験最年少者合格
血液型:A型
得意:ピアノ演奏、サッカー
趣味:歌の練習、スポーツ
所属:KOREA:仁友プロダクション
   JAPAN:KOVA ENTERTAINMENT


彼の日本語のブログも見れるジウォンのHP

観光は平和の象徴、観光産業は21世紀の最大の産業

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60年にわたる観光教育の歴史のある、立教大学観光学部の豊田学部長にお話をお聞きしました
観光の重要性についてお教えください

観光は文化的な側面と経済的な側面を持っています。文化的な側面のひとつは、他の地域を訪れてその地域を知り、地域の人たちと交流することによって他の文化の理解を進めることです。いろいろな国どうしの交流がもっと盛んになって、お互いの国を訪問すれば戦争がない平和な世界になるという考えもあります。経済的には、観光産業は非常に裾野の広い産業で、世界の国内総生産(GDP)
の約10.%に相当するいうデータもあります。
また今後は世界の国々の交流が進み、観光産業は21世紀の最大の産業になるといわれています。日本の国としても今後本格的な取り組みが今以上に必要になってくるでしょう。

本に海外からの観光客を増やすには何をすればいいと思いますか?

日本にはすばらしい観光資源がたくさんある割にはPRがまだ進んでいないところがありますね。日本独自の、人をもてなす文化などは本当にすばらしいと思いますが、観光PRに関しては地域全体でもう少し、統一的な取り組みが必要かもしれません。たとえば地域の景観の問題などは、個々に対応しても限界があります。また、他の観光が盛んな国と比べると他の民族の人たちを国内にうまく受け入れながら観光振興にも役立てることもまだまだ進んでいません。日本に住んでいる人が日本は住みやすいと感じるようになればおのずと海外からの観光客も増えるのではないかと思います。

観光を勉強している学生たちにどのようなことを伝えていますか?

他の地域や国の文化を尊重することを伝えています。人間はどうしても、意識しないと自分とは異質のものを低く見たり、受け付けなかったりすることがあります。そのためにもいろいろな国を訪ねてその国の人たちと交流することはとても大切ですね。その経験を重ねることによって偏見をなくしていくことが重要なことだと思います。



先生のお話は本当に多岐にわたり、ディズニーランドの魅力を研究する講義や、学生たちが中心になって関わっているユニークな地域振興のお話などもありましたので次号も引き続き、豊田先生のお話を掲載させていただきます。本日はどうもありがとうございました。


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立教大学教授/観光学部長 豊田 由貴夫氏

東京大学/東京大学大学院卒業
亜細亜大学助教授を経て、1996年より立教大学勤務。
主要著作:
『シンシン-パプアニューギニアのフェスティバル』(共著)、Fringe Area of Highlands in Papua New Guinea(共著)
主な担当科目:地域研究法(文化人類学)、開発と文化、観光地域研究特論、専門演習


学生らしい視点が生かされたユニークなマップが好評。

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立教大学では、武蔵野銀行との産学連携協定のもと、特に新座キャンパス(埼玉県新座市)に展開する3学部(観光・コミュニティ福祉・現代心理)の個性と固有のナレッジを活かし、市民生活における個々の具体的な課題を、課題のある現場で解決していくという取り組みを行っている。 観光活性化プロジェクトの第1弾として、観光学部の学生が中心となって幸手市の歴史や観光資源についての現地調査を行い、収集した情報をもとに3種類 (歴史編・美食編・家族編)の「まち歩きマップ」を作製した。
(大学プレスセンターニュースリリースより)