2024/11/18 22:49

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すべては、『あきらめない』気持ちから始まった!!

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すべては、『あきらめない』気持ちから始まった!!

外薗明博(ほかぞの あきひろ)
高畠町役場商工観光課地域活力創生プロデュ―サー。23歳の時、JICA青年海外協力隊としてアフリカ・ウガンダで2年間日本野球とスポーツ教育の価値を普及する活動を行い、‘日本の素晴らしさと日本人の可能性’を発見。帰国後は8年間、何かを失った青少年や保護者を対象に再生教育に尽力。底辺層を救うため、民間で経営者やトップ層を対象にリーダー教育、企業研修を担う。また、いのちの調律師として、人間が本来持つ感性を呼び覚ます体と心の状態をつくる講演を全国で実施。少子高齢化を生かす革命児。

外薗氏サイト:https://omoikanebooks.wixsite.com/samurai

著:国境を越えたサムライ先生 Kindle版
生徒たちの成長に繋がったこと、それは家族、地域、国、世界のためにという「志」を持つこと。
現在、「サムライ先生」と呼ばれるようになった男は、アフリカでの経験を生かし、日本の子どもたち、教育関係者、子育て中の親たち、そしてビジネスマンへ、志を持つことの大切さ伝えるための活動に奔走している。
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怪我との戦いの野球人生

外薗氏は、豊橋市の少年野球チームのキャプテンでエースとして県大会準優勝、170cm を越える身長で、将来のプロ選手と期待された。しかし、怪我で実力を出せなくなり、努力するも中学、高校では、目立った活躍は出来なかった。
しかし、努力と負けん気で、怪我を克服。高校3年で、念願のマウンドへ返り咲いた。どん底からでも諦めず努力を怠らなかった彼が、マウンドに立つと自然とスタンドから『外薗コール』がおこった。その後、グラウンドの仲間がマウンドに集まり、「ゾノ、おまえの努力を今日までみてきた!お前ならできる!」と激励の言葉に涙。努力が報われた瞬間だった。
そして、大学では現役引退が近づき、多くの部員が就活で部活を辞める中、4年春まで練習を続けた。Bチームのキャプテンになっていた外薗氏が、引退時にスピーチをする機会に恵まれた。
彼は、『野球を始めた理由をよく考えて、初心に戻り、諦めず頑張ってほしい』と後輩たちに告げた。
報われない状況でも努力を怠らないうしろ姿を見ていた、後輩たちからの胴上げて、現役最後の野球生活を終えた。ドラマのような感動的な幕切れだった。
親の期待も受けながら、続けた野球だったが、苦しい中やりきった時に、親への感謝の気持ちが自然と沸いてきて、両親に電話で泣きながら「いままで支えてくれてありがとう、俺のわがままを聞いて、野球をやらせてくれてありがとう。」と気持ちを伝えた。
悔いなく、学生時代の野球人生を終えることができたのは、両親のおかげと心から思えた彼は、次のステージに進む準備が出来ていた。

新しい人生の目標

将来の目標として教師の道を志望していたが、新しいことに挑戦しようとJICA青年海外協力隊員としてウガンダ共和国で野球を教える任務についた。
彼らは野球どころか、集団行動の基本すら身に付いていない。この状況を変えようと日本式のしつけを導入。
「時を守り、場を清め、礼を正す」という学校再建の三原則(森信三氏)を基本に据え、ごみを拾う、時間を守るなど、みんながやるまで、根気よく付き合い、メンバーの気持ちを少しずつ変えていった。
『外薗のいう通りすれば、野球もうまくなり、試合にも勝てる。』
最初はキャッチボールすらまともに出来なかった学生達の練習にも熱が入った。外薗氏から自分を律することを学んだ彼らは、最終的には、そのチームワークでウガンダ全土でも、有力なチームになった。
また、外薗氏は、行政の人たちにも、野球の素晴らしさを知ってもらおうと、ウガンダの教育省とスポーツ省にも提案して、野球を公式の教育プログラムに導入してもらうことにも成功した。

帰国後は、離島の広域制通信制高校、あしなが育英会国際課兼心塾課などで経験を積む。その過程で、実践応用心理学をベースに据えた志ある青少年を育てる志教育プロジェクトの立ち上げ責任者として参画し、同時に外薗氏自身の『志(こころざし)』も定まった。

本物の健康的な生活を提案し、町を活性化する

外薗氏は、公のために役に立ちたいという気持ちがひときわ強い性格だ。
健康な体には、バランスの取れた運動と、普段から摂取する食べ物が大切なのは当然のことだ。
外薗氏は、苦労して習得した自分の心と体をいい状態に保つ『体と心のチューニング法』を使いながら、山形県高畠町で、地域活性化伝道師として活躍している。
高畠町は、有機農法が有名な土地だが、その安全で体にいい有機野菜を使って、海外や都市部の若者向けに、健康的な生活ができる魅了的な町として紹介したいと豊富を語ってくれた。

『どんな状況でも、あきらめずに前向きに進めば、道は開かれる。』とよく言われるが。実際に実行するのは簡単ではない。スポーツ選手のセカンドキャリア、転職を考えている人たちにも勇気付ける存在になりたいという外薗氏。
心と体を真から健康にする、生き方を提案する高畠町での地域活性化プログラムは大変有意義な活動だ。筆者も協力を依頼されたが、すでに現地で活動を開始した外薗氏のこれからの活躍が楽しみだ。(文:グローバルコミュニティー編集長 宮崎計実)

 

 

国際紅白のボランテイア経験を生かして海外生活を楽しもう!!

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国際交流の仲間と一緒にイベントを作っていく楽しさを味わった

1年6ヶ月のボストンでの留学経験を経て、大学3年だった小野愛実さんは、日本でも多くの外国人の人たちと関わりたいと国際紅白歌合戦のボランテイアに応募した。

同じような経験をした学生も多く、ボランテイア同士、また参加者の外国人との交流も楽しく、毎年のボランテイアを続けた。一昨年から、責任のある立場も任され、ボランテイアの取りまとめのリーダーとして活躍した。舞台裏からイベントを支えながら、みんなでひとつのイベントを作り上げる楽しさも味わった。

今年は、長年のボランテイアの参加に対して、国際紅白歌合戦実行委員会から小野さんに感謝状も贈られた。学生時代から5年に渡って、色々な国の人たちと協力して、イベントを運営していくことは、とてもいい思い出になったという。

11月からワーキングホリディー制度を利用しオーストラリアへ

大学を卒業してから、3年ほど人材系の会社で働いたが、あまり海外と関係がない会社だったので、思い切って、会社を退職して、11月から、ワーキングホリディーに挑戦する。

元々は、英語のランゲージセンターで仕事をしたいのと思っていたので、まずは、シドニーで関連の仕事を探す予定。色々な国から英語の勉強に来る人たちをサポートして喜んでもらうことが当面の目標だ。

どうして、オーストラリアを選んだのか?

英語圏の中で、行ったことのない国に行きたかったし、魅力的な街も多かったのでオーストラリアを選んだ。まずは、英語のラーニングセンターのたくさんあるシドニーで3ヶ月働いて、慣れてくれば、メルボルンやパースにも行ってみたい。いろんな人たちと交流しながら、本当に自分のやりたいことを時間をかけて探せればいいと思う。

あと、グローバルコミュニティーの記者の役割ももらったので、好奇心に任せて、私なりにオーストラリアの魅力を伝えて行きたいと思う。そして、オーストラリアの人たちには逆に日本の魅力を伝える活動もして、アメリカ留学時代には出来なかった経験もしてみたい。

とっても充実した生活になりそうで今から本当に楽しみだ。

私も、18歳の時に、ワーホリ一期生として、オーストラリアに渡ったが、その当時は、日本人もほとんどおらず、人伝えに仕事を探したが、今では、情報も多く、様々なワーホリの楽しみ方があるようだ。

そのひとつが、有機農法の農家での収穫のお手伝い。インターネットで現在スタッフを募集している農家を一覧できるサービスを利用すれば、簡単に働く農場を探すことが出来る。

給料は高くはないが、ゆったりとした住まいと、有機農法で取れた、体にいい野菜を食べながら、色々な国の若者と共同生活を送る体験なども出来て人気が高い。都市の生活も便利でいいが、オーストラリアの生活の醍醐味はやはりカントリーサイド。小野さんにも、オーストラリアの雄大な自然に触れる生活を体験してほしいと思う。(グローバルコミュニティー編集長 宮崎計実)

オーストラリアの自然体験

http://oz-pro.com/wwoof-オーストラリアの情報/

国際紅白歌合戦のボランテイアも募集中です。

https://www.irws.org/entry-参加申込/

国際紅白歌合戦2017 出演者インタビュー 座間真知さん

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国際紅白歌合戦2017 座間真知さんインタビュー

青年海外協力隊として2年間フィリピンで活動した後、今も仕事でフィリピンと仕事で関わっている座間さん。今回はシーアの「Chandelier」で出場します。

Q、国際的な活動を行うようになったきっかけを教えてください。

A、昔から、世界史が好きで、いつか海外に行きたいと思っていたんです。青年海外協力隊として2年間フィリピンに行って、フィリピンが好きになり、その後も仕事でフィリピンに関わっています。先日の6月にも渡航しているんですよ。


Q、去年も参加されていますね。出演を決めた背景を教えてください。

A、仕事で来ていたフィリピンフェスティバル(@代々木公園)で主催者の宮崎さんと知り合って。歌うことが好きなので参加しました。

Q、前回はレディガガのパフォーマンスをしていただきましたが、今回はChandelierを選曲されています。この曲を選んだ理由はなんでしょうか。

A,今回のChandelirはレディガガがシーアというアーティストに楽曲を提供している曲です。フィリピンではアメリカのヒットチャートがよく流れています。また、最近ではディオールのCMで使われていて、私も好きな曲なんです。

Q、座間さんのパフォーマンスの中で、観客の皆さんに特に注目してもらいたい点はどこでしょうか。

A、ダンスです。この曲のPVでも小さい女の子が曲をダンスで表現しています。私も1人ダンサーを連れて来て踊ります。

Q、それは聴いても見ても楽しめるパフォーマンスになりそうですね。座間さんは赤組として国際紅白歌合戦に出場されますが、目標はなんでしょうか。

A、前回のように、また賞を獲りたいです。

Q、国際紅白歌合戦に期待することはなんでしょうか。

A、イベントを通じて知り合いが増え、友だちが増えることです。今回も新たな出会いを楽しみにしています。どんどん交流していきたいです。

Q、最後に、観客の皆さんにひとことお願いします。

A、魂を込めて、全力を出し切ってパフォーマンスをするので、よろしくお願いします!!!!!!!

10月9日(祝)のパフォーマンス,紅組3番(プログラム5番目)にご期待ください。

国際紅白歌合戦 公式ページ http://irws.org

初めて海外で開催された国際紅白歌合戦 In CEBU

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初めて海外で開催された国際紅白歌合戦

2017 年、8 月 6 日、AYALA CENTER のイベント会場で、日本の外務省、観光庁、フィリピン観
光省などが後援する国際紅白歌合戦が行われた。
紅白とはいっても男女で別れるのではないが、日本人は外国語で歌い、日本人以外の人たちは
日本語で歌う、お互いの文化を尊重する歌の国際交流イベントとなっている。
このイベントは、東日本大震災のあった 2011 年、本国に帰ることの出来ない日本定住の外国人
と被災した日本人を励まそうと始まったが、その後毎年、東京で行われているが、海外での開催
はセブが初めて。


どうして、セブだったのか?


私が、セブに来たのは 4 年前。たまたま、ご縁のあった高校の英語研修の運営企画をすることに
なり、英語学校の視察に来た。英語の歌を 1 曲、発音や歌詞を含め完全マスターし、最終日には
一般の人たちの前で発表するプログラムを作った。緊張の中、迎えた発表会だったが、彼らの
堂々と歌う姿はとても頼もしく見えた。そして、その彼らを励まそうとフィリピンの先生たちが、隠れ
て練習していた日本語で歌を歌ってくれた。最後は、日本の高校生とフィリピンの先生たちが一緒
になり、英語と日本語で歌う感動的なステージになった。仕事をサボって、拍手を送るフィリピンの人たちのおおらかさもあって、単なる発表会ではなく、心のこもった立派な『日本とフィリピンの歌の交流会』となっていた。その時、将来は、セブで国際紅白歌合戦を開催しようと心に決めた。


いよいよ、現実になったセブ島開催


2016 年東京での開催に、セブで働いていた日本人女性と一緒に、CEBU MUSIC LEARNING
CENTER(CMLC)で歌を教えていた中原さんが、一参加者として参加した。
そして、イベント終了後、中原さんと 2,3 度ミーテイングを重ね、CMLC をパートナーになってもらって開催することを決心した。
東京でもフィリピンの人たちは、イベント全体を盛上げてようと協力的だったので、セブでも何とかうまく行くのではないかと思った。イベントの公共性、CMLC の実績が認められ、運よく、ALAYACENTER の協賛が得られた。そして、中原さんはじめ、CMLC のスタッフやボランテイアの人たちのサポートで、準備も進んでいった。
私は、日本からの間接的なサポートが主で、実質的な運営は、オーディションの立会いからであっ
た。40 組の申込があり、その熱気は日本以上であった。感動して、歌っている参加者の顔を見れ
ないこともあった。選ばれたと連絡をもらって、涙ながらに喜んでいる参加者もいたのは印象的だ
った。
そして、後日、選ばれた参加者とのミーテイングを迎えたが、その際に、確認したのは、このイベントは優劣を競うものではないということ。あくまでも、CONTEST ではなく、FESTIVAL であることだ。
これは、2011 年の 1 回目の開催時から 7 年間一貫してのことだ。もちろん、個人賞はあるが、本
当に大切なのは、日本人は外国語で歌い、日本人以外の人は日本語で歌いお互いの文化を尊重することである。


8 月 6 日、いよいよ、本番を迎える


紅白チームに分かれて、他のメンバーにも声援を送る雰囲気を中原さんや司会の人たちがうまく
作ってくれた。出演者がお互いを励ましあう姿を見ることはとても微笑ましかった。
フィリピンと日本の国歌斉唱からはじまり、22 組がイベントを盛上げた。
MYTV のテレビの撮影もあり、出演者もそのステージの雰囲気を楽しんでいた。
フィリピンの人たちが、日本の歌をあんなに感情を込めて歌っている姿を見るのは日本人にとって
は、とても嬉しいものだった。
日本人の参加者は、長くセブに暮らす人たちが多かったが、皆さんバックグランドが様々で、ビザ
ヤ語で歌う人までいて、セブの人たちからも喝采を浴びていた。
ゲストの日本舞踊やセブで有名なクアイアー、孤児たちの『翼をください』なども感動的だった。
優秀賞には、秦基博の曲を弾き語りで歌った、中華系フィリピン人の Kenichi Uang さんが選ば
れた。セブ-東京往復航空券を副賞として受け取った彼は、フィリピン代表として、10 月
9 日の東京開催にも参加する。他の出演者の歌のレベルも相当なもので、誰が賞をとって
もおかしくない内容だった。歌のレベルは 1 回目からすでに東京を超えた。
審査員をつとめてくださった、ホテルオーナーの辻さん、日本語が流暢なアレックスさんもまた来
年も楽しみだねといってくださり、このイベントはこれからも続いていくであろうと感じた。
最後になりましたが、日本人会の皆様はじめ、様々なご支援、ご助言を下さった皆様には、心より
感謝しています。
また、来年も、セブでお目にかかることを楽しみにしております。

(文:国際紅白歌合戦発起人・代表 宮崎計実)

国際紅白歌合戦 IN CEBU https://www.irws.org/cebu/

国際紅白歌合戦 出場者 【ラテン歌手ジョージ・KURAMOCHI プロフィール】 日系三世(ペルー国籍)

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国際紅白歌合戦 出場者 

【ラテン歌手ジョージ・KURAMOCHI プロフィール】
日系三世(ペルー国籍)

ギタリストの兄の影響で、7歳より歌のレッスンを始める。
14歳迄、マリア・パロデ女史に声楽を学ぶ、その後ラテンバラードに転向し16歳の時に「 トランポリン アラファマ・フェスティバル 」に出演し、グランプリを獲得する。


18歳の時にアルゼンチンの歌姫「グラシュラ スサーナ」を日本に紹介したと言われる、日系人プロデューサー島袋氏に日本での活動を薦められ来日する。


テレビ東京「外国人歌謡大賞」にて日本語で「乾杯」を歌い優勝する。


続いて「日本ラテン協会・アムラン新人コンテスト」にて優勝しラテン協会メンバーとなる。
その後戸川昌子「青い部屋」、松原ルリ子シャンソニエ、渋谷ジャンジャン、クロコダイル等に定期的に出演する。        
同時にラテンポップバンド活動も開始し、ライブハウス「原宿ロサンゼルス」にてコンサートを開催する。
2002年ニューヨーク・ワシントンで、ギタリストとして活躍していた兄に招かれ、「ワシントンDCラテン・フェスティバル」に出演し好評を博す。 
この頃よりアメリカでの活動も多くなり、ニューヨークのクラブ「コパカパーナ」や「ラ・コパ」等に定期的に出演する。         
又、ニューヨークで行われた「スーパースター・フェスティバル」に参加しファイナルメンバーとしての出演を果たす。
この時、世界のテナーと言われている「プラシド ドミンゴ」と一緒のステージとなり、本人曰く「もう死んでも良いと思った・・・」程の思い出となる。
又、南米全土で30年間トップスターとして活躍している「ロサンゼルス ネグロス」に招かれ、ワールドツアーにソロシンガーとして参加し絶賛される。


日本に於いては、2005年・2007年・2011年と三回に渡りサッカー「キリンカップ日本対ペルー戦」にて国歌斉唱を努める。(三回の出演は稀である)
日本側歌手は尾崎紀世彦、石井竜也(米米クラブ)であった。


現在はイベント歌手としての活動も多く相撲界や野球界、政治家パーティー、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、企業パーティーや結婚式等でも活躍している


又、東北支援・チャリティーコンサートやイベント等の参加出演も多く、自らも南米や アジアの「恵まれない子供たち」の為のコンサート等の企画主催をしている。
「いつも全力投球」をポリシーとしている、熱いラテン・シンガーである。

恋ダンスを日本語・中国語で楽しもう!!

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今回3度目の出場になる人類皆兄弟チーム。日本、中国、台湾、香港出身のメンバー50人で日本語・中国語でパフォーマンスし、毎回会場を盛り上げている。


■語学学校はどうしても語学習得に費用と時間がかかるので、より効果的な方法を模索した。


    人類皆兄弟チームは日本語と中国語の語学交換サークルであるcafechaが主催している。cafechaは活動開始より早7年、開催回数は8千回、参加者数は述べ1万人にものぼる。まさに、東京において代表的な日中語学交換サークルであり、現在では上海、北京、広州、ソウル、大阪など各地域でも開催されている。

 


cafechaで語学交換の様子。定期的に東京・有楽町エリアで開催している。

 

cafechaを企画する高橋さんは学生時代まで中国との関わりがなかったが、職場の先輩に誘われて興味本位で中国語を勉強を始める。中国語の面白さに気づいた高橋さんは更なるレベルアップに向けて都内中の語学学校の無料体験に参加したが、結局、1番いい方法はコンビニでアルバイトをしている留学生にお願いして、週に1度語学交換する時間を設けることだった。自分が思ったこと、感じたことを話すこのスタイルは語学向上に大いに役立つことを感じた。この経験が元となり、高橋さんはcafechaを立ち上げた。
cafechaでの交流を通してわかったことは、活動に参加する人たちのバイタリティの高さ、そして、何より国籍は関係なく、皆心優しいことであった。このような良い連鎖が繋がった上での新たな取り組みが国際紅白歌合戦への出場であった。


■年齢や国籍、社会的な立場を関係なくフラットな関係で切磋琢磨出来ることが最大の魅力。


そもそも、国際紅白歌合戦はcafechaの参加者に誘われて参加した。今回で3度目と連続出場する最大の魅力は、各参加者の人生における大きな出会いが生まれるからである。世間では国際交流イベントが多く開催されているが、交流の質という点ではどうしても限界がある。国際紅白歌合戦では、舞台を成功させるために長い期間共に切磋琢磨する。その結果、自然と絆が生まれる。この絆は国際紅白歌合戦終了後も続き、メンバーで旅行に行ったり、就職活動の手伝いをしたりと絆を深めている。この絆の間には年齢や国籍など社会的立場は関係ない。


■国際紅白歌合戦は「コンテスト」ではなく「フェスティバル」。だからこそ、会場みんなで楽しみたい。

 


昨年の様子。日本・中国で大流行したJ-pop3曲を披露し、ベストパフォーマンス賞を獲得した。

今回人類皆兄弟チームが出場するのは、昨年日本・台湾で大ブレイクした「恋ダンス」、そして、世界的ヒットとなった「PPAP」である。選曲理由を高橋さんは語る。


「人類皆兄弟チームが大切にしているのは自分たちだけではなく、会場みんなが楽しめるパフォーマンスをすること。国際紅白歌合戦主催の宮崎さんがおっしゃるように、国際紅白歌合戦はパフォーマンスの良し悪しを競うコンテストではなく、フェスティバル(お祭り)。だからこそ、会場全体で楽しみ、盛り上がるパフォーマンスをしたい」

 

国際交流の新しい形を作った人類皆兄弟チームは紅組4番として出場。今年も会場全体で大いに盛り上がるパフォーマンスに期待したい。

八坂神社で活動するPIPS JAPANの関西メンバー

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八坂神社で活動するPIPS JAPANの関西メンバーにお話を聞きました。

 


代表の大久保さん(左)と副代表の上村さん(右)

PIPS JAPAN(高校生主体の通訳ガイドボランテイア団体)の活動は関西でも活発に行わ
れている。
 
運営メンバーは、現在8名ほどだが、八坂神社を中心に、ほぼ毎週日曜日に活動をしている。兵庫の滝川高校3年の代表大久保龍さんと関西学院千里国際高等部3年の副代表・上村青(ハル)さんに、お話を聞いた。

 

どうしてこの活動を知った?

大久保)中学でアメリカに短期の語学研修を体験したが、英語が出来ればもっと楽しめたのにと思い、英語を話せる高校生の活動はないかとインターネットで探して、PIPS JAPANの活動を知った。
活動自体は、中々大変なこともあるが、とても有意義な活動なので、出来るだけ多くの高校生にこの活動を知って欲しいと思い続けている。男性会員は少ないが、帰国子女のメンバーも多く、性別や年齢にはこだわりなく、活動する文化が根付いている。自分は3年生だが、内部進学で比較的時間もあるので、この活動を通じてもっと英語力だけでなく、いろいろな経験を積んでみたいと思う。

上村)帰国子女なので、英語であまり困ることはないが、普段使わないと英語力が落ちるので、英語を使って何かの活動をしてみたいと思っていたところ、先輩の宮本さん(現在・関西学院大2年)が、学校の掲示板にPIPS・JAPANの告知を出していたので、安心してコンタクトを取った。活動して1年半になるが、外国人の観光客の人たちが貴重な日本での時間を有意義に過ごしてもらえるように、よりいいガイドができるように、準備をしていきたい。

 

 
活動の場所はどうして決めた?

上村)最初は、大阪の心斎橋で活動をしていたが、あまりガイド活動という感じではなかったので、今は、文化的な物に興味がある外国人観光客が多い、京都の八坂神社を中心に活動をしている。大阪城、清水寺なども検討したが、入観料がかるし、神戸や大阪のメンバーが多いので、地理的な利便性も考えて、入館料も掛からず、活動しやすいのが、八坂神社を選んだ。また、多くの観光客がいる場所だが、神聖な雰囲気もして活動をしやすいのが、八坂神社の特徴だ。
高校生が中心の活動なので、安全の面も考えて、今は、運営メンバーが3人以上参加の場合のみ活動をしている。
 
ボランテイアとはいえ、英語ができないとガイドの活動は大変ではないか?
大久保)この団体の特徴は、帰国子女と純日本育ちの生徒が互いの足りないところを補いながら活動をしているところだ。英語が得意ではない、私には中々大変なことも多いが帰国子女の仲間の力を借りながら、純日本育ちの私たちが、日本文化については、頑張って質問に答えるようにしている。

 

ボランテイアガイドの活動のやりがいは?


大久保)やっぱり、説明した事に興味を示してくれたり、喜んでくれた時はこの活動をしていてよかったと思う。拙い英語でも一生懸命に話せば通じるし、役に立ちたいという気持ちがあれば、誰でも楽しめると思う。
英語はできなくても、英語を使って有意義な活動をしてみたいという高校生には、ぜひ一度参加して欲しい。まずは、運営メンバーと体験ガイドをしてもらって活動の楽しさを知って欲しいと思う。

 

将来の夢は?


上村)まだ、はっきりとは決まっていないが、将来は、特許関連の翻訳の仕事に就きたいと思っている。英語を生かした仕事をしたいと思うが、語学以外にも興味があるので、技術分野の翻訳にも挑戦してみたい。
大久保)どんなことにも挑戦して、海外で活躍できる仕事をしてみたいですね!(笑)

 

実は、私も高校時代に彼らと同じ体験をして、その楽しさ、むつかしさを体験した。
30年以上も前の話だが、当時の自分は、両親にも友達にも恥ずかしくて、その事を話せなかった。しかし、上村さんたちの先輩の宮本さんたちは、SNSを使って、
積極的に仲間を募って、この有意義な活動をどんどん広めた。そして、その活動は、東京、大阪、京都でもしっかりと根付いて、後輩に受け継がれている。
また、純日本育ちの高校生と帰国子女がおたがいの長所を生かして、活動をしているのもとても新鮮な発見だった。
もちろん、外国にルーツを持つ高校生の活動も大歓迎。ボーダーレスな彼らの活動が、東京でも大阪でも京都以外にもどんどん広がって行けば素晴らしいと思う。

あと、高校生新聞という高校生向けの媒体も彼らのことは注目している。
https://www.koukouseishinbun.jp/2016/06/46597.html
彼らの活動が、いずれは高校や中学の教科書でも紹介される日が来るだろう。
その時は、PIPS JAPANの活動が、日本中に広がって行くに違いない。
そのためにも、周りの大人も彼らが安心して、活動が出来るように見守って行くことも大切だと思った。

(グローバルコミュニティー 編集長 宮崎計実)

PIPS JAPAN 公式HP  http://pipsjapan.com/

世界に日本の不動産事情を紹介 塩見紀昭代表 明和住販流通センター

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世界に日本の不動産事情を紹介

 

 (2012年ブラジル リオデジャネイロの国際会議にて 日の丸を持つのが塩見氏)

不動産管理業と国際化。一見あまり関係がないように思われるが、実は、日本が今、世界の不動産管理業者の注目を集めている。韓国からも日本の業界に学ぼうと視察団が頻繁に訪れているという。世界各国の不動産業者のネットワークを持つ、日本で最初の全米不動産管理業協会(IREM)の公認不動産管理士。株式会社明和住販住宅流通センターの塩見紀昭氏にお話を聞いた。


塩見 紀昭氏 プロフィール

 

  (株)明和住販流通センター 代表取締役

昭和62年、マンションデベロッパーから投資型マンションの賃貸管理部門として同社を設立。売買業界と比べ、賃貸業界の遅れを痛感、米国の進んだ賃貸管理業(プロパティマネジメント)に触れ、そのシステムを学ぶ。「プロパティマネージメント」とは資産を『投資商品』として考え、その投資効率を最大限まで高めるための管理手法。本場の「プロパティマネージメント」を習得すると同時に、アメリカ最大の賃貸管理業団体IREM(Institute of Real Estate Management:全米不動産管理業協会)が教育・認定するCPM(Certified Property Manager:公認不動産管理士)を日本で初めて取得。世界各国の不動産業者との幅広いネットーワークを利用し、日本の不動産事情を世界にも発信。財団法人日本賃貸住宅管理協会理事など多くの不動産関連団体でも要職を歴任。

株式会社明和住販流通センター

東京都世田谷区若林 3 丁目 4 番 11 号 第 7 明和ビル

代表取締役 塩見紀昭

TEL03-5430-5100 FAX03-5430-5101 E-mail : info@meiwa-g.co.jp

 1ROOM マンションの管理・売買一筋 27 年。 2014 年現在 8400 戸の物件を東京、神奈川、埼玉で管理。プロパティーマネイジメントの一つとして早くより確実に市場のニーズをつかみサービスを提供することで、不動産価値を高めると共に高い稼働率を維持している。

起業のきっかけは?

つい先日も、韓国から20社ほどの不動産業者の訪問を受けたが、最初に起業した時は、まさかこんなことが将来起こるとは想像もしていなかった。起業のきっかけは、とてもシンプルで、元々は、不動産の売買の仕事をしていたが、年子の弟が、不動産投資の事業で成功したこともあり、その物件の管理をすることになった。そしてその業務に関わっていくうち、売買業と比較すると管理業がまだまだ制度的に遅れていることを感じた。同時にそれは、ビジネスチャンスであると思い、先輩の経営者に教えを請い、自分なりに知識を蓄えていった。自分自身で一から一件ごとの契約書を作るなど、何もかも手探りで始めたが、多くの素晴らしい先輩経営者にも巡り会い、26歳、たった一人で作った会社も、順調に業績を伸ばすことが出来た。そして、企画委員として歩んできた日本賃貸管理住宅協会(日菅協)でも今では理事職を務めるまでになった。

 

(2012年ブラジル リオデジャネイロ国際会議で)

米国の公認不動産管理士資格を取得したきっかけは?

1990年代後半に、アメリカから不動産証券化というアイデアが日本にも入って来た。新聞紙上などでも話題になったが、私も1996年、日菅協の有志とアメリカに視察に渡った。そして、とても進んでいるアメリカの不動産管理の理論的な考え方に触れ、研究会を立ち上げることになった。私はその研究会の担当でもあったので、米国の公認不動産管理士を取得することになった。この資格は世界中に広がり、事実上の国際標準になっている。

 

(2012年中南米ガティマラの大会で発表する塩見氏)

(2012年中南米ガティマラの大会で)

アメリカの人たちの自分たちの活動を標準化していく考え方には私たちも学ぶことが多いが、この資格のおかげで仲間が世界中に出来た。日本人はまだまだ少ないが、多くのメンバーは日本に興味を持っているので、日本についても良く話をする機会をもらう。私は決して流暢に英語を話すわけでもないし、特別な海外経験があった訳ではないが、どこに行っても物怖じしない性格なので、外国人の人たちに混ざって、会合やレセプションなども楽しんでいる。

海外に大きなネットワークもお持ちだが将来の夢は?

TPPや東京オリンピック、少子高齢化などの社会情勢もあり今以上の日本の国際化は必須だ。また、進んだ技術、安定した社会、日本文化のユニークさなど、日本に興味を持っている仲間も多い。しかし、不動産管理業を営む日本人経営者として海外の同業者と関わり、日本の情報を発信している人はまだ少ない。業界をより良くしようと集まった有志なので、信頼をおけるいい仲間が集いやすい。近い将来日本にももっと、大勢の外国人が暮らし、またビジネスを行う人も増えるとあろう。不動産管理業者もそれに伴い、海外の信頼できる同業者のネットワークが必ず必要とされる日が来るに違いない。 しかし、現状の日本の不動産管理業のイメージは、決してかっこいいとは、いえない。私の夢は、この業界の仕事を『かっこいい』ものにしたい。不動産売買の仕事は、一件派手だが、好不況の影響を受けやすい。その点、管理業は地味だが、管理戸数が増えれば増えるほど経営が安定する優良なビジネスだ。今は国内での活動がほとんどだが、ビジネスを海外に広げて行けば、これから本格的な経済発展を迎える東南アジアや南米各国での可能性は桁違い
 
 
だ。

(2013年南米チリにて仲間たちと)


(2013年南米チリ不動産管理協会会長と)

国際的に活躍したい若者へのメッセージ

不動産管理業は、時代とともに進化して行く大変可能性のあるサービス業だ。一件、地味にも見えるが、入居者のニーズが変われば、運用形態も変わっていく。外国人の人たちへの対応、高齢者向けの住宅サービス、ペットと共に暮れせるマンションなど、新しいサービスを提供する会社もどんどん生まれている。私たちの使命は、『オーナーに変わって、不動産物件を効率的に運営し、より多くの収入を確保する』ことだが、入居者の生活インフラを支える大変社会的な仕事でもある。そのためには、物件への入居者の立場も理解し、選ばれるサービスを提供していくことも大切だ。今後は日本発のサービスもどんどん出てくる可能性もある。東京オリンピックで、更なる日本への注目も集まっている。日本を世界に紹介していくことも我々の仕事の一つとなっていく。そこでも優秀な日本人学生、外国人留学生が活躍する場面が増えるであろう。そのためにも、腰を据えて業界の知識を学んで欲しいと思う。日菅協では、学生のための『賃貸住宅のアイデアコンテスト』や『留学生インターシップ』などにも取り組んでいる。皆さんでどんどん、この業界を盛り上げていって欲しい。

 

不動産業界で活躍するインターンシップ体験者

国際人

不動産業界で活躍するインターンシップ体験者

李玲玉さん(2014年 JPM留学生インターンシップを体験  2016年3月 国士舘大学卒業)

『留学生インターンシップを体験した学生さんを紹介してほしい』と、 最近、企業さんよりそのような要望を聞くことが増えた。

2014年に留学生インターンシップを終えた、李玲玉さんは、そのインターンシップの経験を買われ、アルバイトを経て、今では、イチイの外国人サポートセンターで4月より新入社員として働いている。

李玲玉さんは、3年生の時に不動産事業の可能性に気づき、インターンシップに挑戦した。
元々日本語の能力も高く、素直で、積極的な性格で、インターン受け入れ先の不動産会社の環境にも対応し、会社でもとても大事にしてもらったようだ。

その不動産会社でも、彼女の活躍は評判となり、初めての外国人留学生の受入れとういこともあって、インターン生として社内報に紹介されるほどだった。
数年前は、不動産の業界では、活躍する外国人はまだまだ少数で、一般的な不動産会社では、そんな状況だった。

彼女は、インターンシップ修了後、4年生になって、就職活動を本格的に始めたところ、留学生インターンシップの経験者を採用したいと希望していた㈱イチイで、採用が決まった。

新設された、不動産に関する外国人のサポートする、『外国人サポートセンター』は、部屋探しをする外国人だけではなく、受け入れに慣れていない不動産会社のサポートもする。

同僚のネパール人留学生のスニタさんと共に、外国人が住みやすい日本社会を作っていく気概で、日々の業務ついているようだ。

昨日は、25名の留学生が、JPM 留学生インターンシップを修了したが、企業のニーズは、ますます上増えている。

2020年までに、外国人観光客を倍の4000万にという国の目標もあり、
民泊関連の法整備も、積極的に受け入れる方向で進んでいる。

不動産業界での留学生の活躍の場は、今後ますます、確実に増えていくであろう!!

留学生の皆さん、ぜひこの夏は、
JPM 留学生インターンシップに挑戦してみよう!

詳しい情報は、こちらから。

https://www.yokosojapan.net/article.php/editor_r1001_ja



 

ルームキャンバスプロジェクト 第1号がいよいよ完成しました。

国際人

 

ルームキャンバスプロジェクト 第1号がいよいよ完成。

賃貸住宅の壁に、芸術家の卵が絵を描く、ルームキャンバスプロジェクト第1号の作者は、ブラジルの留学生クリスさん。今回は、横浜らしく、きれいな海と豊かな緑を部屋いっぱいに描いた。

思っていたより時間は掛かったようで、製作期間は、約1週間。これだけ、大きな絵を描いたことは今までなかったとのこと。苦労もあったが、最終的には納得いく作品が出来たようだ。

クリスさんは、国費留学生として来日。将来の夢は漫画家だが、まずは、時間をかけて、日本の社会についてもっと理解してから、外国人にも日本人にも楽しめる漫画を描いてみたいという。

そのために、まずは、日本の会社にデザイナーとして入社しようと現在は就職活動中。

日本語も十分できるし、とてもまじめに、コツコツ努力するタイプなので、就職に関しても、学校の先生から力強いサポートがあるそうだ。

デザイナーのようなクリエイテイブな仕事についている外国人は、まだ少ないが、クリスさんのように、日本が好きで、大きな夢を持っている人がどんどん活躍する場が広がってほしいと思う。

部屋のオーナでこの企画の発案者の東京ハピネス不動産の代表の市野さんと一緒に。

このような自己表現の場を公にもらって、クリスさんも市野さんにはとても感謝していると話していた。

ルームキャンパスプロジェクトに関心のあるオーナーの方、あるいは芸術家の卵の方は、ぜひ、市野さんに一度ご相談してみては?