2025/04/25 02:55

国際人

学生通訳ボランテイアガイドOBインタビュー  第2回 TKさん(明治大学) 活動期間2009年―2010年

国際人

学生通訳ボランテイアガイドOBインタビュー  第2回


TKさん(明治大学) 活動期間2009年―2010年

TKさんに今日はお話を聞きました。

Q1:明治神宮の通訳ボランティアガイドに興味を持ったきっかけは何ですか?

A:1アメリカ、フィリピン、 フィジーなどで短期の英語留学の経験はありましたが日本でも継続して英語に触れておきたいと思い英語を使ったボランティア活動を探していました。
お金をかけないで英語を勉強したい人にとっては英語を使った通訳ボランティアはとても有効なものだと思います。

Q2:実際に通訳ボランティアの活動をやってみての印象はどうですか?

A2:英語の勉強になるのはもちろんですが日本の文化についても勉強することになりますし、
色々な国の人が日本のどんなことに興味を持っているのかを知ることはとても楽しいことです。1年半から2年ほど活動をしましたが海外に興味のある多くの学生と仲間になれたこともこの活動の素晴らしさです。その仲間とは学校卒業してからも連絡を取り合ったりあったりしています。

Q3:TKさんは学生時代に塾の講師を経験しそれがきっかけになって学校の先生になったと 聞きましたが、どうして安定した学校の先生の職を辞めてまで、ニュージーランドに行こうと決意したのですか?

A3:高校には、 5年間英語の教員として努めました。やりがいのある良い仕事でしたが自分の思い描いていたような授業をするのがなかなか難しい現状がありました。それと、学生時代から長期間海外に滞在したいという夢がありましたのでその夢を諦めることもできませんでした。
ニュージーランドを選んだのは、治安が良く、日本との時差もほとんどなく便利で、また私にとってもとても良い教育機関があったからです。去年10ヶ月間その学校で学びましたが、その学校を修了すると、一年間の就労ビザが発行されるんです。
ですので、今年2018年は、学生ではなく仕事をしながら、ニュージーランドに滞在する予定です。まだ自分がどんなことができるのかはっきりとはわかりませんが、 教師の経験なども生かして、自分の可能性を探っていきたいです。


Q4:ニュージーランドでは、日本のどんなものに人気がありますか?
A4:日本食は人気がありますね。健康志向の人が多いので体にいい日本食はニュージーランドの人にもとても受け入れられています。もちろんアニメ漫画なども人気がありますが、ニュージーランドはラグビーが盛んなので五郎丸選手や日本代表のキャプテンのリーチマイケル選手なども人気があります。

Q5:将来の夢は何ですか?
A5:英語の教員として働くことは私の長年の夢でしたが、それに加えて海外での生活をすることも夢のひとつでした。しかしこれから、具体的に、ニュージーランドで生活しながら自分が本当にやってみたいことを探していきたいと思います。実は私は埼玉県狭山市の出身ですが、狭山茶がとても有名なところです。京都や静岡ほどは知られてはいませんが、 地元では歴史も古く狭山茶を使って色んなものが作られています。将来的には海外で狭山茶を PR するようなこともやってみたいですね。

安定した教員の仕事を辞めてまでニュージーランドでの生活を選んだTKさん。
人生は長いようで短い。20代で未婚のうちは、どんなことでもチャレンジができる。
明治神宮の通訳ボランティアで積極的に自分から外国の人たちに声をかけることを学び、いろんな外国人の人たちとふれあいながら、様々な価値観を知ったのは彼にとってとても有意義な経験になったと思う。今から5年先10年先、どんな仕事をやっているかはなかなか想像しづらい世の中だ。

 しかしどんなことも前向きにチャレンジしていく気持ちがあれば必ず道は開けていくであろう。

学生通訳ボランテイアガイドOBOGインタビュー 谷岡理絵さん

国際人

 

学生通訳ボランテイアガイドOBOGインタビュー

明治神宮の通訳ボランティアの活動をリーダーとして盛り上げてくれた谷岡理絵さんにお話をお聞きしました。
Q1:谷岡さんは大学2年の時からこの活動に参加していますが通訳ボランティアの活動の一番の魅力は何でしょうか?

A1:一つは海外に行かなくても色々な国の人たちと、日本の文化を紹介することにおいて、様々な国の文化にも触れることができることです。それと日本の文化を紹介するために、自分たち自身もも日本のことに興味を持って勉強するようになることです。

最初は、明治神宮で声をかけて案内することは少し違和感がありましたが、やってみると多くの外国人の観光客の人たちは自分たちの行為を受け入れてくれました。明治神宮は本当に色々な外国人の人たちが訪れている場所で、東京でも有数の観光地です。私もこの通訳ボランティアの活動を通じて様々な国の人達と交流することができました。

そして SNS を通じて今でもいろんな国の人たちとやり取りをしています。以前に友達になった人たちがまた日本を訪問してくれたり、また、私が彼らの国に行って彼らに会ったりする機会もあります。

この活動をするにおいて英語の能力はもちろん必要ですが、それ以上に必要なものは相手に喜んでもらいたいというホスピタリティ、それと日本の文化への理解です。

神道というのは、一件わかりづらいような印象を受けますが、色々調べてみると身近なことが神道の影響を受けていることがわかります。また明治神宮では、結婚式のカップルの姿を見ることもできてそれも外国人観光客の大きな楽しみの一つとなっているようです。

私も日本人の結婚観とか家族のあり方とかを外国人の人達に説明をすることもあります。そして同時に彼らの結婚観なども知ることができます。

私たちが案内するのは、 多くの場合、日本にビジネスに来た人達や日本の文化を知ろうと観光に来た人達です。彼らは日本のことをもっと知りたいと思って、明治神宮を訪れているので自分たちの話にも興味を持って耳を傾けてくれます。何度も日本を訪れたけど、今回改めて日本のことをよく理解できた気がしたとか言ってもらえるととっても嬉しいですね。

若く経験のない私でも、この活動を通じて英会話の上達と日本人として必要な教養を身につけることができたと思います。今は仕事で海外に行くことも多いのですが、明治神宮で日本のことを勉強しそれを外国人の人たちに伝えたという経験はとっても役に立っています。

海外に出た場合、日本の文化を自分たちの言葉で人に伝えられるって言うことは非常に重要なことだし、有意義なコミュニケーションのきっかけになります。

英語を勉強したい、海外に行っていろんな外国の人と交流したい、そういう思いを持っている学生さんなら是非、 学生通訳ボランティアガイドを体験してほしいですね!!。

社会人になったら本当に役に立つ活動だと思いますよ。また、海外に興味のあるいろんな大学の学生達と友達になれるのもこの活動のいいところです。実際私と一緒に活動していた仲間も海外で暮らしていたり、外国関連の仕事に就いている人達も多いです。経験豊かな OB OG とも交流できる機会もありますので是非一度明治神宮に来てみてください。


Q2:谷岡さんは、 国際紅白歌合戦も1回目から参加していると聞いていますが、学生として参加して国際紅白歌合戦の魅力っていうのはどんなところですか?

A2:国際紅白歌合戦では、日本人は外国語で歌い、外国の人たちは日本語で歌を歌います。
その日のために一生懸命日本語を練習して歌合戦に望む人たちも多いですが、彼等の日本語で歌う姿はとても感動を呼びます。だから私たちも英語で歌ったり、中国語で歌ったりして外国の人たちの 喜ぶ姿を見たいと思い、外国語の歌も練習しています。

1回目は出演者として、2回目以降は運営のボランティアとして参加しました。1回目は本当に無我夢中でしたが、2年目は出演者の人たちをサポートしようと運営のボランティアに参加しました。1回目は出演者として周りの人達にサポートしてもらいましたから、 2回目からは自分がサポートする側に回りました。

学生として、参加者と運営のボランティアの両方を体験できたことはとても有意義だったと思います。一つのイベントを作るっていうのは大変なことですが、多くの人が喜んで帰ってくれる様子 を見るのはとても嬉しいことです。

このイベントも毎年行われていて、2017年はフィリピンのセブ島でも行われました。その大会の優秀者が東京に招待され、歌を歌ってくれました。日本だけではなく、国際紅白歌合戦のメッセージが海外まで届くことは非常に嬉しいことです。このイベントを通じて一人でも多くの外国の人たちが日本に関心を持ってもらうと嬉しいですね。

Q3:谷岡さんは、 7年連続でこの国際紅白歌合戦に関わっていると聞きましたが、今後はどんなイベントになっていけばいいと思いますか?

A3:素晴らしいイベントなのでもっと多くの人に知ってほしいですね。それと、日本人の参加者は外国人の人と比べると少ないので、 日本人の人達にも外国語を練習して歌に挑戦してほしいと思います。私は去年から始まった着物ショーの担当をしていますが、多くの外国人の女性たちと一緒にこのファッションショーを作っていくことも新たな楽しみのひとつとなりました。着物に関心を持っている外国人女性はとっても多いですから、是非多くの外国人の人達にもこのショーも見てほしいです。

Q4:通訳ボランティアガイドや 国際紅白歌合戦の経験は就職活動にお役に立ちましたか?

A4:とても役に立ちました。どちらの活動も面接官にはかなりアピールになったと思います。
通訳ボランティアガイドは、外国人に自分から声をかける積極性が評価され、国際紅白歌合戦のボランティアは、イベントを通して一つのものを一緒に作っていく体験が評価されたと思います。
ただ、単に、 就職活動に役に立つからやるって言うのではなく、この二つの活動を通じて、日本文化を知りそれを外国語で発信する、また多くの外国人の人たちと一緒にイベントを作っていく大変さや楽しさを共有するということは、人間的な成長にもとても役に立つと思います。

私は 海外に出張に行く機会も多いのですが、自分を紹介する際にこの二つの活動をよく説明します。外国の人達はとても興味を示してくれますね。今では私のライフワークの一つとなっています。

社会人の皆さんも、通訳ボランティアガイドや国際紅白歌合戦のスタッフとして是非私たちの仲間になってほしいと思います。

通訳ボランティアガイド、国際紅白歌合戦の運営スタッフに興味のある方は、是非一度説明会にも参加してください。私も直接みなさんとお話をしてみたいです。

英語だけでなく、中国にも留学経験もある谷岡さんは中国語にも堪能。また茶道の師範になろうと勉強も続けている。そんな彼女も大学受験に失敗し、思い悩んでいた時期もあったという。
大学生活の4年間は長いようで短い。周りに流されず、一途に、自分の信じたことをやり通す強い意思があれば、どこにいっても活躍できる。

彼女の活躍は大学でも話題になり、大学の入試課から取材も受けた。
学生通訳ボランテイアガイド、国際紅白歌合戦の運営スタッフは、自分を大きく飛躍させる可能性があります。日本人学生のみなさん、留学生のみなさん、OBOGの人たちとも定期的に交流が出来ますので、ぜひ一度説明会に参加してください!!

 

問い合わせページ 学生通訳ボランテイアガイド

https://www.yokosojapan.net/article.php/guideinternational_ja

問い合わせページ 国際紅白歌合戦

https://www.irws.org/

 

 

国際紅白歌合戦サポーター紹介 毎日新聞元副論説委員長 石原進氏

国際人

国際紅白歌合戦サポーター紹介 毎日新聞元副論説委員長 石原進氏

 

2018年、東京開催で、国際紅白歌合戦実行委員会より感謝状が贈られました。

 

石原氏は、2011年の一回目の国際紅白歌合戦より行政団体の協力の依頼やマスメディアへの露出で大きく貢献をしていただきました。
移民情報機構代表として、多文化共生や移民政策で様々な提言をされ、日本語教教育推進議員連盟(河村建夫会長)の設立にも深く関わられました。
現在は、日本語教育関係者のポータルサイト『にほんごプラット』の代表世話人として、多文化共生や日本語学校の社会的立場の向上をテーマに多くの提言をされています。

2011年、1回目の国際紅白歌合戦に関して、イベントの意義を深く理解し、示唆に富む提言をいただいています。https://www.yokosojapan.net/article.php/red-whitesinging_%EF%BD%86%EF%BD%85%EF%BD%81%EF%BD%94%EF%BD%95%EF%BD%92%EF%BD%85_ja

2017年、留学生の総数も30万人に近づき、日本語教育に関する議論も活発化してきました。
アニメや漫画の海外での人気が下支えし、日本語自体への興味もどんどん広がっています。
その意味でも、様々な経験をされているジャーナリストの石原様に、『歌を通しての多文化理解を提唱する』国際紅白歌合戦の重要性を高く評価して頂いていることは、実行委員会にとっても大変ありがたいここと考えています。

日本語教育に関する情報プラットホーム  http://www.nihongoplat.org/

国際紅白歌合戦サポーター紹介 山元学校 山元雅信氏

国際人

国際紅白歌合戦サポーター紹介

山元雅信氏へ国際紅白歌合戦実行委員会より感謝状が贈られた。(2017年 東京開催にて)

各国大使も参加する27年の歴史を持つ異業種交流会、山元学校を主宰する山元雅信氏。山元学長は、その幅広い人脈を生かし、2011年の1回目より多くの大使や大使館の関係者に国際紅白歌合戦を告知。1回目から審査委員長を務める国際紅白歌合戦にはなくてはならない存在です。

国際紅白歌合戦の意義を深く理解し、多くの大使や大使館関係者に広く告知をしていただいていますが、参加された大使は、山元氏のエスコートでとてもリラックスして、純粋に歌の国際交流を楽しんでおられるように思います。各国との大使との関わりも、3代、4代と続いていることもあり、新しく大使が赴任すると、『民間外交官』の山元氏も大使館にも招待されるようです。

これだけ、長期間に渡って、分け隔てなく私利私欲なく民間外交を続けている人物は、大使にとってもとてもありがたい存在。

国際紅白歌合戦も、山元氏のように参加者、ボランテイア、スタッフ、ひとりひとりが大切な『民間外交官』であるという意識で今後も関わっていきたいと考えています。

山元氏は、さまざまな国の大使を、山元学校にスピーカーとして招待していますが、国際的なことに理解の深い質の高い参加者の前で話すことは、大使にとってもメリットのあること。忙しい公務の間を縫って毎回大使も競って参加されています。

審査員の大使代表をサポートする山元氏

 

今後は、参加者のまだ少ない、アフリカの人たちも集まってくれるような仕掛けを山元氏と一緒に考えて行きます。2018年10月20日、国際紅白歌合戦の新たな側面にもご期待ください。

 

30年近い歴史を持つ各国大使や社会起業家が集まる異業種交流会 『平成の松下村塾』

山元学校公式HP http://yamamotogakko.jp/

 

山元雅信氏インタビュー  私塾は日本を救う!!

https://www.yokosojapan.net/article.php/feature_%E5%B1%B1%E5%85%83%E5%AD%A6%E6%A0%A1%EF%BC%90%EF%BC%99%EF%BC%91%EF%BC%90_ja

すべては、『あきらめない』気持ちから始まった!!

国際人

すべては、『あきらめない』気持ちから始まった!!

外薗明博(ほかぞの あきひろ)
高畠町役場商工観光課地域活力創生プロデュ―サー。23歳の時、JICA青年海外協力隊としてアフリカ・ウガンダで2年間日本野球とスポーツ教育の価値を普及する活動を行い、‘日本の素晴らしさと日本人の可能性’を発見。帰国後は8年間、何かを失った青少年や保護者を対象に再生教育に尽力。底辺層を救うため、民間で経営者やトップ層を対象にリーダー教育、企業研修を担う。また、いのちの調律師として、人間が本来持つ感性を呼び覚ます体と心の状態をつくる講演を全国で実施。少子高齢化を生かす革命児。

外薗氏サイト:https://omoikanebooks.wixsite.com/samurai

著:国境を越えたサムライ先生 Kindle版
生徒たちの成長に繋がったこと、それは家族、地域、国、世界のためにという「志」を持つこと。
現在、「サムライ先生」と呼ばれるようになった男は、アフリカでの経験を生かし、日本の子どもたち、教育関係者、子育て中の親たち、そしてビジネスマンへ、志を持つことの大切さ伝えるための活動に奔走している。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーー
怪我との戦いの野球人生

外薗氏は、豊橋市の少年野球チームのキャプテンでエースとして県大会準優勝、170cm を越える身長で、将来のプロ選手と期待された。しかし、怪我で実力を出せなくなり、努力するも中学、高校では、目立った活躍は出来なかった。
しかし、努力と負けん気で、怪我を克服。高校3年で、念願のマウンドへ返り咲いた。どん底からでも諦めず努力を怠らなかった彼が、マウンドに立つと自然とスタンドから『外薗コール』がおこった。その後、グラウンドの仲間がマウンドに集まり、「ゾノ、おまえの努力を今日までみてきた!お前ならできる!」と激励の言葉に涙。努力が報われた瞬間だった。
そして、大学では現役引退が近づき、多くの部員が就活で部活を辞める中、4年春まで練習を続けた。Bチームのキャプテンになっていた外薗氏が、引退時にスピーチをする機会に恵まれた。
彼は、『野球を始めた理由をよく考えて、初心に戻り、諦めず頑張ってほしい』と後輩たちに告げた。
報われない状況でも努力を怠らないうしろ姿を見ていた、後輩たちからの胴上げて、現役最後の野球生活を終えた。ドラマのような感動的な幕切れだった。
親の期待も受けながら、続けた野球だったが、苦しい中やりきった時に、親への感謝の気持ちが自然と沸いてきて、両親に電話で泣きながら「いままで支えてくれてありがとう、俺のわがままを聞いて、野球をやらせてくれてありがとう。」と気持ちを伝えた。
悔いなく、学生時代の野球人生を終えることができたのは、両親のおかげと心から思えた彼は、次のステージに進む準備が出来ていた。

新しい人生の目標

将来の目標として教師の道を志望していたが、新しいことに挑戦しようとJICA青年海外協力隊員としてウガンダ共和国で野球を教える任務についた。
彼らは野球どころか、集団行動の基本すら身に付いていない。この状況を変えようと日本式のしつけを導入。
「時を守り、場を清め、礼を正す」という学校再建の三原則(森信三氏)を基本に据え、ごみを拾う、時間を守るなど、みんながやるまで、根気よく付き合い、メンバーの気持ちを少しずつ変えていった。
『外薗のいう通りすれば、野球もうまくなり、試合にも勝てる。』
最初はキャッチボールすらまともに出来なかった学生達の練習にも熱が入った。外薗氏から自分を律することを学んだ彼らは、最終的には、そのチームワークでウガンダ全土でも、有力なチームになった。
また、外薗氏は、行政の人たちにも、野球の素晴らしさを知ってもらおうと、ウガンダの教育省とスポーツ省にも提案して、野球を公式の教育プログラムに導入してもらうことにも成功した。

帰国後は、離島の広域制通信制高校、あしなが育英会国際課兼心塾課などで経験を積む。その過程で、実践応用心理学をベースに据えた志ある青少年を育てる志教育プロジェクトの立ち上げ責任者として参画し、同時に外薗氏自身の『志(こころざし)』も定まった。

本物の健康的な生活を提案し、町を活性化する

外薗氏は、公のために役に立ちたいという気持ちがひときわ強い性格だ。
健康な体には、バランスの取れた運動と、普段から摂取する食べ物が大切なのは当然のことだ。
外薗氏は、苦労して習得した自分の心と体をいい状態に保つ『体と心のチューニング法』を使いながら、山形県高畠町で、地域活性化伝道師として活躍している。
高畠町は、有機農法が有名な土地だが、その安全で体にいい有機野菜を使って、海外や都市部の若者向けに、健康的な生活ができる魅了的な町として紹介したいと豊富を語ってくれた。

『どんな状況でも、あきらめずに前向きに進めば、道は開かれる。』とよく言われるが。実際に実行するのは簡単ではない。スポーツ選手のセカンドキャリア、転職を考えている人たちにも勇気付ける存在になりたいという外薗氏。
心と体を真から健康にする、生き方を提案する高畠町での地域活性化プログラムは大変有意義な活動だ。筆者も協力を依頼されたが、すでに現地で活動を開始した外薗氏のこれからの活躍が楽しみだ。(文:グローバルコミュニティー編集長 宮崎計実)

 

 

国際紅白のボランテイア経験を生かして海外生活を楽しもう!!

国際人

国際交流の仲間と一緒にイベントを作っていく楽しさを味わった

1年6ヶ月のボストンでの留学経験を経て、大学3年だった小野愛実さんは、日本でも多くの外国人の人たちと関わりたいと国際紅白歌合戦のボランテイアに応募した。

同じような経験をした学生も多く、ボランテイア同士、また参加者の外国人との交流も楽しく、毎年のボランテイアを続けた。一昨年から、責任のある立場も任され、ボランテイアの取りまとめのリーダーとして活躍した。舞台裏からイベントを支えながら、みんなでひとつのイベントを作り上げる楽しさも味わった。

今年は、長年のボランテイアの参加に対して、国際紅白歌合戦実行委員会から小野さんに感謝状も贈られた。学生時代から5年に渡って、色々な国の人たちと協力して、イベントを運営していくことは、とてもいい思い出になったという。

11月からワーキングホリディー制度を利用しオーストラリアへ

大学を卒業してから、3年ほど人材系の会社で働いたが、あまり海外と関係がない会社だったので、思い切って、会社を退職して、11月から、ワーキングホリディーに挑戦する。

元々は、英語のランゲージセンターで仕事をしたいのと思っていたので、まずは、シドニーで関連の仕事を探す予定。色々な国から英語の勉強に来る人たちをサポートして喜んでもらうことが当面の目標だ。

どうして、オーストラリアを選んだのか?

英語圏の中で、行ったことのない国に行きたかったし、魅力的な街も多かったのでオーストラリアを選んだ。まずは、英語のラーニングセンターのたくさんあるシドニーで3ヶ月働いて、慣れてくれば、メルボルンやパースにも行ってみたい。いろんな人たちと交流しながら、本当に自分のやりたいことを時間をかけて探せればいいと思う。

あと、グローバルコミュニティーの記者の役割ももらったので、好奇心に任せて、私なりにオーストラリアの魅力を伝えて行きたいと思う。そして、オーストラリアの人たちには逆に日本の魅力を伝える活動もして、アメリカ留学時代には出来なかった経験もしてみたい。

とっても充実した生活になりそうで今から本当に楽しみだ。

私も、18歳の時に、ワーホリ一期生として、オーストラリアに渡ったが、その当時は、日本人もほとんどおらず、人伝えに仕事を探したが、今では、情報も多く、様々なワーホリの楽しみ方があるようだ。

そのひとつが、有機農法の農家での収穫のお手伝い。インターネットで現在スタッフを募集している農家を一覧できるサービスを利用すれば、簡単に働く農場を探すことが出来る。

給料は高くはないが、ゆったりとした住まいと、有機農法で取れた、体にいい野菜を食べながら、色々な国の若者と共同生活を送る体験なども出来て人気が高い。都市の生活も便利でいいが、オーストラリアの生活の醍醐味はやはりカントリーサイド。小野さんにも、オーストラリアの雄大な自然に触れる生活を体験してほしいと思う。(グローバルコミュニティー編集長 宮崎計実)

オーストラリアの自然体験

http://oz-pro.com/wwoof-オーストラリアの情報/

国際紅白歌合戦のボランテイアも募集中です。

https://www.irws.org/entry-参加申込/

国際紅白歌合戦2017 出演者インタビュー 座間真知さん

国際人

国際紅白歌合戦2017 座間真知さんインタビュー

青年海外協力隊として2年間フィリピンで活動した後、今も仕事でフィリピンと仕事で関わっている座間さん。今回はシーアの「Chandelier」で出場します。

Q、国際的な活動を行うようになったきっかけを教えてください。

A、昔から、世界史が好きで、いつか海外に行きたいと思っていたんです。青年海外協力隊として2年間フィリピンに行って、フィリピンが好きになり、その後も仕事でフィリピンに関わっています。先日の6月にも渡航しているんですよ。


Q、去年も参加されていますね。出演を決めた背景を教えてください。

A、仕事で来ていたフィリピンフェスティバル(@代々木公園)で主催者の宮崎さんと知り合って。歌うことが好きなので参加しました。

Q、前回はレディガガのパフォーマンスをしていただきましたが、今回はChandelierを選曲されています。この曲を選んだ理由はなんでしょうか。

A,今回のChandelirはレディガガがシーアというアーティストに楽曲を提供している曲です。フィリピンではアメリカのヒットチャートがよく流れています。また、最近ではディオールのCMで使われていて、私も好きな曲なんです。

Q、座間さんのパフォーマンスの中で、観客の皆さんに特に注目してもらいたい点はどこでしょうか。

A、ダンスです。この曲のPVでも小さい女の子が曲をダンスで表現しています。私も1人ダンサーを連れて来て踊ります。

Q、それは聴いても見ても楽しめるパフォーマンスになりそうですね。座間さんは赤組として国際紅白歌合戦に出場されますが、目標はなんでしょうか。

A、前回のように、また賞を獲りたいです。

Q、国際紅白歌合戦に期待することはなんでしょうか。

A、イベントを通じて知り合いが増え、友だちが増えることです。今回も新たな出会いを楽しみにしています。どんどん交流していきたいです。

Q、最後に、観客の皆さんにひとことお願いします。

A、魂を込めて、全力を出し切ってパフォーマンスをするので、よろしくお願いします!!!!!!!

10月9日(祝)のパフォーマンス,紅組3番(プログラム5番目)にご期待ください。

国際紅白歌合戦 公式ページ http://irws.org

初めて海外で開催された国際紅白歌合戦 In CEBU

国際人

初めて海外で開催された国際紅白歌合戦

2017 年、8 月 6 日、AYALA CENTER のイベント会場で、日本の外務省、観光庁、フィリピン観
光省などが後援する国際紅白歌合戦が行われた。
紅白とはいっても男女で別れるのではないが、日本人は外国語で歌い、日本人以外の人たちは
日本語で歌う、お互いの文化を尊重する歌の国際交流イベントとなっている。
このイベントは、東日本大震災のあった 2011 年、本国に帰ることの出来ない日本定住の外国人
と被災した日本人を励まそうと始まったが、その後毎年、東京で行われているが、海外での開催
はセブが初めて。


どうして、セブだったのか?


私が、セブに来たのは 4 年前。たまたま、ご縁のあった高校の英語研修の運営企画をすることに
なり、英語学校の視察に来た。英語の歌を 1 曲、発音や歌詞を含め完全マスターし、最終日には
一般の人たちの前で発表するプログラムを作った。緊張の中、迎えた発表会だったが、彼らの
堂々と歌う姿はとても頼もしく見えた。そして、その彼らを励まそうとフィリピンの先生たちが、隠れ
て練習していた日本語で歌を歌ってくれた。最後は、日本の高校生とフィリピンの先生たちが一緒
になり、英語と日本語で歌う感動的なステージになった。仕事をサボって、拍手を送るフィリピンの人たちのおおらかさもあって、単なる発表会ではなく、心のこもった立派な『日本とフィリピンの歌の交流会』となっていた。その時、将来は、セブで国際紅白歌合戦を開催しようと心に決めた。


いよいよ、現実になったセブ島開催


2016 年東京での開催に、セブで働いていた日本人女性と一緒に、CEBU MUSIC LEARNING
CENTER(CMLC)で歌を教えていた中原さんが、一参加者として参加した。
そして、イベント終了後、中原さんと 2,3 度ミーテイングを重ね、CMLC をパートナーになってもらって開催することを決心した。
東京でもフィリピンの人たちは、イベント全体を盛上げてようと協力的だったので、セブでも何とかうまく行くのではないかと思った。イベントの公共性、CMLC の実績が認められ、運よく、ALAYACENTER の協賛が得られた。そして、中原さんはじめ、CMLC のスタッフやボランテイアの人たちのサポートで、準備も進んでいった。
私は、日本からの間接的なサポートが主で、実質的な運営は、オーディションの立会いからであっ
た。40 組の申込があり、その熱気は日本以上であった。感動して、歌っている参加者の顔を見れ
ないこともあった。選ばれたと連絡をもらって、涙ながらに喜んでいる参加者もいたのは印象的だ
った。
そして、後日、選ばれた参加者とのミーテイングを迎えたが、その際に、確認したのは、このイベントは優劣を競うものではないということ。あくまでも、CONTEST ではなく、FESTIVAL であることだ。
これは、2011 年の 1 回目の開催時から 7 年間一貫してのことだ。もちろん、個人賞はあるが、本
当に大切なのは、日本人は外国語で歌い、日本人以外の人は日本語で歌いお互いの文化を尊重することである。


8 月 6 日、いよいよ、本番を迎える


紅白チームに分かれて、他のメンバーにも声援を送る雰囲気を中原さんや司会の人たちがうまく
作ってくれた。出演者がお互いを励ましあう姿を見ることはとても微笑ましかった。
フィリピンと日本の国歌斉唱からはじまり、22 組がイベントを盛上げた。
MYTV のテレビの撮影もあり、出演者もそのステージの雰囲気を楽しんでいた。
フィリピンの人たちが、日本の歌をあんなに感情を込めて歌っている姿を見るのは日本人にとって
は、とても嬉しいものだった。
日本人の参加者は、長くセブに暮らす人たちが多かったが、皆さんバックグランドが様々で、ビザ
ヤ語で歌う人までいて、セブの人たちからも喝采を浴びていた。
ゲストの日本舞踊やセブで有名なクアイアー、孤児たちの『翼をください』なども感動的だった。
優秀賞には、秦基博の曲を弾き語りで歌った、中華系フィリピン人の Kenichi Uang さんが選ば
れた。セブ-東京往復航空券を副賞として受け取った彼は、フィリピン代表として、10 月
9 日の東京開催にも参加する。他の出演者の歌のレベルも相当なもので、誰が賞をとって
もおかしくない内容だった。歌のレベルは 1 回目からすでに東京を超えた。
審査員をつとめてくださった、ホテルオーナーの辻さん、日本語が流暢なアレックスさんもまた来
年も楽しみだねといってくださり、このイベントはこれからも続いていくであろうと感じた。
最後になりましたが、日本人会の皆様はじめ、様々なご支援、ご助言を下さった皆様には、心より
感謝しています。
また、来年も、セブでお目にかかることを楽しみにしております。

(文:国際紅白歌合戦発起人・代表 宮崎計実)

国際紅白歌合戦 IN CEBU https://www.irws.org/cebu/

国際紅白歌合戦 出場者 【ラテン歌手ジョージ・KURAMOCHI プロフィール】 日系三世(ペルー国籍)

国際人

国際紅白歌合戦 出場者 

【ラテン歌手ジョージ・KURAMOCHI プロフィール】
日系三世(ペルー国籍)

ギタリストの兄の影響で、7歳より歌のレッスンを始める。
14歳迄、マリア・パロデ女史に声楽を学ぶ、その後ラテンバラードに転向し16歳の時に「 トランポリン アラファマ・フェスティバル 」に出演し、グランプリを獲得する。


18歳の時にアルゼンチンの歌姫「グラシュラ スサーナ」を日本に紹介したと言われる、日系人プロデューサー島袋氏に日本での活動を薦められ来日する。


テレビ東京「外国人歌謡大賞」にて日本語で「乾杯」を歌い優勝する。


続いて「日本ラテン協会・アムラン新人コンテスト」にて優勝しラテン協会メンバーとなる。
その後戸川昌子「青い部屋」、松原ルリ子シャンソニエ、渋谷ジャンジャン、クロコダイル等に定期的に出演する。        
同時にラテンポップバンド活動も開始し、ライブハウス「原宿ロサンゼルス」にてコンサートを開催する。
2002年ニューヨーク・ワシントンで、ギタリストとして活躍していた兄に招かれ、「ワシントンDCラテン・フェスティバル」に出演し好評を博す。 
この頃よりアメリカでの活動も多くなり、ニューヨークのクラブ「コパカパーナ」や「ラ・コパ」等に定期的に出演する。         
又、ニューヨークで行われた「スーパースター・フェスティバル」に参加しファイナルメンバーとしての出演を果たす。
この時、世界のテナーと言われている「プラシド ドミンゴ」と一緒のステージとなり、本人曰く「もう死んでも良いと思った・・・」程の思い出となる。
又、南米全土で30年間トップスターとして活躍している「ロサンゼルス ネグロス」に招かれ、ワールドツアーにソロシンガーとして参加し絶賛される。


日本に於いては、2005年・2007年・2011年と三回に渡りサッカー「キリンカップ日本対ペルー戦」にて国歌斉唱を努める。(三回の出演は稀である)
日本側歌手は尾崎紀世彦、石井竜也(米米クラブ)であった。


現在はイベント歌手としての活動も多く相撲界や野球界、政治家パーティー、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、企業パーティーや結婚式等でも活躍している


又、東北支援・チャリティーコンサートやイベント等の参加出演も多く、自らも南米や アジアの「恵まれない子供たち」の為のコンサート等の企画主催をしている。
「いつも全力投球」をポリシーとしている、熱いラテン・シンガーである。

恋ダンスを日本語・中国語で楽しもう!!

国際人

今回3度目の出場になる人類皆兄弟チーム。日本、中国、台湾、香港出身のメンバー50人で日本語・中国語でパフォーマンスし、毎回会場を盛り上げている。


■語学学校はどうしても語学習得に費用と時間がかかるので、より効果的な方法を模索した。


    人類皆兄弟チームは日本語と中国語の語学交換サークルであるcafechaが主催している。cafechaは活動開始より早7年、開催回数は8千回、参加者数は述べ1万人にものぼる。まさに、東京において代表的な日中語学交換サークルであり、現在では上海、北京、広州、ソウル、大阪など各地域でも開催されている。

 


cafechaで語学交換の様子。定期的に東京・有楽町エリアで開催している。

 

cafechaを企画する高橋さんは学生時代まで中国との関わりがなかったが、職場の先輩に誘われて興味本位で中国語を勉強を始める。中国語の面白さに気づいた高橋さんは更なるレベルアップに向けて都内中の語学学校の無料体験に参加したが、結局、1番いい方法はコンビニでアルバイトをしている留学生にお願いして、週に1度語学交換する時間を設けることだった。自分が思ったこと、感じたことを話すこのスタイルは語学向上に大いに役立つことを感じた。この経験が元となり、高橋さんはcafechaを立ち上げた。
cafechaでの交流を通してわかったことは、活動に参加する人たちのバイタリティの高さ、そして、何より国籍は関係なく、皆心優しいことであった。このような良い連鎖が繋がった上での新たな取り組みが国際紅白歌合戦への出場であった。


■年齢や国籍、社会的な立場を関係なくフラットな関係で切磋琢磨出来ることが最大の魅力。


そもそも、国際紅白歌合戦はcafechaの参加者に誘われて参加した。今回で3度目と連続出場する最大の魅力は、各参加者の人生における大きな出会いが生まれるからである。世間では国際交流イベントが多く開催されているが、交流の質という点ではどうしても限界がある。国際紅白歌合戦では、舞台を成功させるために長い期間共に切磋琢磨する。その結果、自然と絆が生まれる。この絆は国際紅白歌合戦終了後も続き、メンバーで旅行に行ったり、就職活動の手伝いをしたりと絆を深めている。この絆の間には年齢や国籍など社会的立場は関係ない。


■国際紅白歌合戦は「コンテスト」ではなく「フェスティバル」。だからこそ、会場みんなで楽しみたい。

 


昨年の様子。日本・中国で大流行したJ-pop3曲を披露し、ベストパフォーマンス賞を獲得した。

今回人類皆兄弟チームが出場するのは、昨年日本・台湾で大ブレイクした「恋ダンス」、そして、世界的ヒットとなった「PPAP」である。選曲理由を高橋さんは語る。


「人類皆兄弟チームが大切にしているのは自分たちだけではなく、会場みんなが楽しめるパフォーマンスをすること。国際紅白歌合戦主催の宮崎さんがおっしゃるように、国際紅白歌合戦はパフォーマンスの良し悪しを競うコンテストではなく、フェスティバル(お祭り)。だからこそ、会場全体で楽しみ、盛り上がるパフォーマンスをしたい」

 

国際交流の新しい形を作った人類皆兄弟チームは紅組4番として出場。今年も会場全体で大いに盛り上がるパフォーマンスに期待したい。